成功者やスゴい人ほど自慢話はしない。過去に固執すると失うもの。




どうでもいい独り言。

何をもって他人のことを“スゴい”と感じるかは人それぞれだと思う。

何をもって“成功者”だと思うかも人それぞれだと思う。

…と前置きをしつつ、僕が昨日スゴい人にあった話をしてみようと思う。

昨日、自称冒険家の山ちゃんが経営するバーに誘われたので行ってきた。

山ちゃんは不動産会社で勤めながらバーともんじゃ焼き屋を経営していて、ついでにたまに旅もするらしいという謎の経歴&肩書の持ち主。

そのバーでは冷蔵庫から勝手にお酒をとって良くて、ご飯も勝手に出てくる。

ルールは唯一“誰かと喋れ”だった。

僕もかつて美容師交流会とか旅人交流会とか主催してたし、数々の人々をくっつけてきた自称人間接着剤なので、何かすごくその趣旨というかそういうのがよくわかった。

実は僕は人と人とをくっつけるのは好きでも、そういう輪の中に飛び込んでいくのがすごく苦手で。

大人数の飲み会とかは積極的に行けないタイプ。

一対一(せめて一対三)ではないと本領発揮できないネクラっぷりは旅しても変わらなかった。

それでも、昨日の場はとても楽しかった。

なぜならスゴイな〜と思う人とたくさん出会えたからだった。

小笠原諸島の村議会議員さん、オリコン1位をとる作曲家さん、テレビ局で働きながらプライベートででかいイベント主催をしてる人、など…

他にもCAさんとか、あんまり世に出ないような仕事をしてる普段会えないような人も。

帰国してから1年ちょっと経つけど、何かのジャンルでめちゃくちゃ活躍してるような人と会う機会が本当に本当に増えた。

もはやどこかの会社の社長さんとサシで飲んでても、有名人みたいな人と飲んでても、それがなんか”普通だな”と思えるくらいに感覚が麻痺してしまった。

でも改めて考えると、そんな機会を当たり前にもらえてる事ってとんでもなくありがたい事なんだな〜なんて気がついた。

そしてもう1つ気がついたことがある。

“なぜ周りからすごいと言われる人はすごいのか?”

その理由。

もちろんやったこと…つまり実績が圧倒的にすごいのだろうけど、そういう人たちってだいたい謙虚。

というか超謙虚。

いわゆる成功してるとか、社長とか、美容室のオーナーとか、スゴいって言われる人はほとんどが僕より年上だ。

つまり世間的には28歳なんてまだぺーぺーのクソガキなんだという事がわかる。

そのクソガキである僕に対してもなぜかエラそうにしない…。

めちゃくちゃ謙虚なのである。

よく考えたら「すごいだろ?俺」なんて言葉やよくわからない自慢話を、本当にすごいと思った人からは聞いたことがない。

これは一体何なのだろうか…。

なんか今朝からこんなことばかり考えてる。

そこで僕はある仮説みたいなものをたててみた。

【すごい人=自慢をしない人】

なのではないか…と。

そもそも自慢って本当はどんな意味だ?と思って調べてみたらこんな感じだった。

【自慢】 の意味

出典:デジタル大辞泉

[名]自分で、自分に関係の深い物事を褒めて、他人に誇ること

そう、たぶん過去に起きたことをただ述べるのは自慢ではなく、過去に起きたことを述べつつ自ら褒めるのが自慢ということなのだろう。

自慢をすると過去に縛られる

新しいものでも、既存のものでも、つまり記録的な事をした人=スゴい人なのだろう。

でもそれだけじゃ成り立たない。

「すごいですね〜」と言う人が絶対的に必要になってくる。

つまりその記録や実績がスゴいかどうかを決めるのは本人ではなく周りということ。

周りがすごいと思えばスゴいし、周りが「ふ〜ん」だったらスゴくないのだ。

ってことは自分で決める(自慢)というのはそもそも間違っているのではないか。

“スゴいといわれる人が、なぜ自慢をしない人なのか?”

その理由はそんなことだけではないと思う。

おそらく、自慢することで過去に縛られてしまうからだと思う。

例えば、前例がない何かを成し遂げた人がいるとしよう。

周りがそれを認め「君はすごい」と褒め称える。

「だろ?俺のやったことすごいだろ?」

もしこう言い放ったとしたら、その瞬間にその人は過去にとらわれることにならないだろうか。

その”すごい何か”ありきの人にならないだろうか。

過去を美化するということは、いい事かもしれない。

だけどその過去に固執して自分のやったことを他人に自慢し続ける人は、その”過去にやったこと”が素晴らしいものであり続けないと、なんの価値もなくなってしまうのかもしれない。

人の価値観なんかすぐ変わる。

時代も常識もすぐ変わる。

スゴいものはいずれスゴかったになる。

スゴかったモノなど、時代や常識が変わればなんにもならない。

画期的な発明も、斬新なアイデアもアイテムも…

スマホを持ってることを自慢するやつなどもうこの世にはいないのだ…

昔はケンカが強かったとか、会社で売上が高かったとか、貯金がたくさんあったとか、女の子にたくさんモテたとか、世界を旅したとか、生きてればスゴいと言われたことなんかたくさんあるだろう。

でも、そんな事は遅かれ早かれスゴいことではなくなる。

時代の流れの中で、または周りの人との付き合いを変えていく中でそんな事はどうでもいいことに変わっていく。

例えば、中学のとき番長だったとか今はもうどうでもいいことでしょ?

でももし固執し続けていたとしたら、もし過去を自慢し続けていたら、そのものの価値が変わったり周りの人の価値観が変わってしまったときにその人はどうなってしまうんだろう。

きっと”人”を失うと思う。

信頼なのか、彼女なのか、友達なのか、部下なのか…。

わからないが、きっと周りから人がいなくなる。

「本当にスゴい人は、それをわかっててわきまえられるからこそスゴい人なのではないか?」

昨日そんなことを思った。

過去の功績は褒め称えられるべきものだったかもしれない。

でもそれはもう過去の話。

ただの実績でしかない。

その実績にしがみついたところで先には進めないし、成長もできるわけがない。

過去は経験と思い出でしかないからだ。

その経験を応用していけばまた新しい「スゴい」が生まれることをスゴい人はわかっている。

言い換えると、そういう人たちにとっては1秒前の自分でさえもう自慢するに値する人物ではなくなっているのではないだろうか。

だから人に自慢話をしないのだと思う。

意識的にか無意識的にかはわからないが…。

「スゴいですね〜」

人は自分の未来を褒めてはくれない。

でもそれは当たり前。

誰も未来なんかわからないから褒めようがない。

だから人は過去の実績を褒めてくれる。

ただ、それはその人の価値観でそう思ってくれているだけ。

世の中上には上がいて、そして世界は思ってるよりずっと広い。

昔はケンカが強かったとか、会社で売上が高かったとか、貯金がたくさんあったとか、女の子にたくさんモテたとか、世界を旅したとか、そんな事はとんでもなく小さい事なのかもしれない。

少なくとも僕の中では世界を一周したことはすごいことではないと思っている。

だって600年前にマルコポーロがやってしまってるわけだから…。

それはあくまで僕の中での素敵な経験でしかない。

自慢するようなことではない、

そう思っていれば、過去に固執せずにごく自然にいろんな事に挑戦ができる。

そう、自慢話をするくらいならもっと外に目を向けることに時間を使ったほうがいいのかもしれない。

僕はスゴい人になりたいわけではないが、自慢話ばかりして過去にしがみつくかっこ悪い人にはなりたくないな。

昨日会った人たちの話を聞いて、そんな事をぼんやり考えていた。

でもなぁ…。

世界一周かぁ…。

また行きたい。

ヒトリゴトでした。

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