お金と時間があれば自由だと勘違いしてる日本人は一生自由になることはできない。

僕は自由人です。

遊びまわってるとかお金持ちとかじゃないですが、自由は自由だと思ってます。

好きな仕事しかしてないし、いろんな人と出会えるし、毎月海外行ってるし、美容師だけど土日も休めます。

かといって時間にめっちゃ余裕があるわけではないですし、めちゃくちゃお金持ちなわけではありません。

何をもって自由というかは人それぞれですが、僕は今は自由に生きてるなと思えています。

なんというか充実しています。

昨日、3年前に1000人カット世界一周の旅でカンボジアを訪れたときに出会ったとある旅人がお店に来てくれました。

当時その方に「孤児院でボランティアヘアカットしてみたら?絶対喜ぶと思うよ」との言葉に押されて実際に孤児院へ行きました。

カンボジアのソク孤児院

カンボジアのソク孤児院

懐かしいな…みんな元気かな…。

夜だったのでそのままお店を閉めてご飯へ行きました。

そこでワインを飲みながらいろんな話をしていました。

その中でふと「自由」という事についての話題になりました。

そんな事があったので、今回は自由ということについて書いてみようと思います。

自由とは何か?

ネットで検索してみました。

自由
じゆう
一般的には,心のままであること,あるいは外的束縛や強制がないことを意味する。哲学上は,人間が行為する際に一つの対象を必然的に追求するのではなく,それ以外の対象をも選びうる能力をいう。

コトバンクより引用

なんか小難しいけど、簡単に言うと束縛がなく、自由に選択できるというようなことなのでしょう。

多くの人にとっての自由という言葉に対する認識はこれですよね。

ストレス社会だとか社畜がどうとかブラック企業がなんたらかんたら…

現代では多くの人がそういう所に不満を述べていて、対極にある【自由】を手に入れたいと望んでいます。

つまり会社に束縛されず、自由にスケジュール設定できるような生活を…と。

そして、今話題の【フリーランス】という働き方を選べば自由になると多くの人が思ってると思います。

理由は後で説明しますが、先に言わせてもらうとそれは100%間違った考えです。

フリーランスになれば自由とか、会社を辞めたら自由とかもし思ってる人がいたらマジでやばいので、ぜひ下まで読んでみてください。

シェムリアップのソク孤児院

カンボジアの子どもたち

自由の本当の意味とは

そもそも自由という言葉は比較的新しいのだそうです。

英語ではlibertyとかfreedomといいますが、この言葉を日本で作り、広めたのは日本に西洋文化を取り入れようとしていた福沢諭吉をはじめとする知識人たちであり、外来語を日本語に置き換えるという作業の中で【自由】という言葉をfreedomとくっつけたという説があります。

つまり明治時代以前は日本にはfreedomという概念はなく、それを示す言葉もなかったようです。

でも最古の書物「日本書紀」にすでに「自由」の文字があり、その言葉自体は遥か昔から日本に存在しています。

freedomという概念になる前の【自由】とは一体何だったのか?

僕は今自由を求めて行動を起こそうとしてる人、つまりフリーランスになりたいとか会社辞めたいとか言ってる人に知ってほしいです。

自由の「自」という字は誰もが知ってると思いますが自分自身をさす言葉です。

私、僕、俺…それが自です。

でも「由」の意味を知っている人はあまりいないのではないかと思っています。

由は【ゆ】【よし】と読み、意味は【もとづく】【経る】【応じる】【従う】などです。

はあ?と思うかもしれません。

つまり簡単に説明すると、理由という言葉にも使われているように由は物事の発端、過程であり、物事に従うことという意味になります。

その2つの漢字を組み合わせたものが自由。

自由とは【自らに由る】ということであり、それは他に由らずに独立することを意味します。

自分に従うこと。そしてその理由や経過や方法のことなんです。

これは実はブッダの言葉なのだそうです。

弟子たちへ「他の意見や権力によって支配されず、自分自身によりどころを」と教えたそうです。




あなたが目指す自由は何?

束縛されない自由と、自分に従う自由。

どちらも正しく自由です。

でも束縛されない自由を安易に選ぶ人は僕はさっきも書いたようにヤバイと思っています。

束縛の反対は解放です。

解放されたい願望がある人それぞれ”何から解放されるか”が違うと思います。

会社の時間的な拘束なのか、金銭的なものなのか。

それとも人間関係なのか。

フリーランスになれば何かからは確かに解放されると思います。

会社をやめて業務委託美容室で働く人もいますし、なにもフリーランスでなくともそれまで働いてた会社よりゆるい会社に転職する人もいると思います。

そこに1つか2つの望んだ自由はあるかもしれません。

午後から仕事を始めたり、上司にイライラしなくて済むかもしれません。

だけど新たに解放されたくなる事が生まれてきます。

必ず。

時間が出来たけど、友達がいないとか。

お金があるけど時間がないとか。

友達はいるけどお金がないとか。

そこからまた自由を求めて動き回っても結局同じことなんです。

なぜならそれは他人に由ることによる解放だから。

「うちの会社はシフト自由ですよ」

「お金は働いただけもらえますよ」

そういううたい文句の求人もよく見ますが、そこにある自由とは他人が用意してくれたfreedomな環境です。

たとえお金が良くても、時間が短くても、用意された環境によるものであるのなら、それは本当の自由を手に入れたことにはなりません。

ブッダさんの言うところの「他の意見や権力によって支配されてる」という状態でしかなく、つまり自らに由る生き方ではないということです。

もし転職先の会社が潰れたら?

もし業務を委託してもらってる会社が潰れたら?

そうなったら独りで生きていけないという人は次に移るかまた仕事を探す必要が出てきて、やっぱり自由はなくなってしまいます。

それは本当に自由を手に入れたとは言えません。

本当の自由を手に入れたい

“何を持って自由とするか”

それは人それぞれです。

会社に勤めていても”自らに由る”生き方をしていればそれは自由なんです。

会社に時間的に束縛されていても、そこに不満がなければ時間がない=不自由ではありません。

会社=不自由

フリーランス=自由

なんていうのはたった1つの側面での判断でしかなく、職種、年齢、所属などでは自由か不自由かは決められません。

自らに由る生き方をしてるかしてどうか?

答えはそのどちらかです。

カンボジア孤児院ヘアカット

ダロくん

1300人以上世界で髪を切ってきたけど、その中で1番心に残っているのがカンボジアの孤児院でカットしたダロ君。

彼は幼い頃に地雷で足を失いました。

家が貧しくて孤児院で暮らしています。

そんな彼は医者を目指して猛勉強をしていました。

15歳で英語とフランス語が話せるほど努力をしていました。

置かれた環境や、自分のハンデには左右されず自由に生きようとしていました。

10歳くらい下の彼の話を聞き、本当に感動したし、驚いたし、本気で生きてやろうと思いました。

彼のお陰で今の僕があると言っても過言ではないです。

僕もここには書ききれないような苦難も努力もしてきました。

お金も時間もめちゃくちゃ自分に使ってきました。

その結果今は最初に言ったような充実感を得られています。

と言ってもまだまだやりたい事もたくさんあるし、なりたい自分像もあるから毎日が努力の積み重ねで、結局全ては過程でしかないんです。

フリーランスになればいいとか、会社辞めたらいいとか、そういう人たちに言いたいことは、自由の形は人それぞれということです。

自分はお金があるから自由、カンボジアの子は貧しいから不自由。

そんな事は絶対にないです。

会社員だって会社のただの言いなりになって支配されてる人もいれば地位を与えられていろんなこと好きにやってる人もいます。

フリーランスだって楽しんでる人もいれば辛いという人もいます。

お金があるとかないとか、時間があるとかないとかではなく、全ては自らに由るという言葉のとおり、自分に従うことができているかどうかです。

freedomという意味での自由を手に入れるのは本当に本当に難しいことです。

もし何もせず他人に由り手に入れた自由があったとしたら、それは他に由ることをやめらたいきなり無くなる薄っぺらい嘘の自由なのだと思います。

自分に従い、努力した過程、やってきた事は絶対になくなりません。

理由があるから勉強するし、行動する。

他人に流されず、支配されず、自分に従う。

freedomを手に入れる事が出来るのは、そうやって自らに由る生き方を選択して来た人のみだと思います。

自らに由るは、つまり全ては自分次第ということ。

意識さえ変えれば別に今日からでもできることはあります。

本当にやりたいと思うことに向き合ってるか?

それを実際に行動にうつしてるのか?

今までの過程は自分にとって価値あるものなのか?

自分の気持ちに正直に従ってるか?

自らに由る生き方をしたその先に望んだ自由がある…僕はそう思っています。

長くなってしまいましたが、いろんな人に読んでもらえたらいいなと思い書きました。

読んでくれてありがとうございました。

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