価値観が違う人は分かり合えない。けど認めることはできる。ゲイの友達の「好きな人は選べない」という一言。

なんかモヤっとしてるので書きます。

久しぶりのブログ。

サボってたわけじゃないんですけど、最近新しい事業を始めようと思っていて、その準備とホームページ作成などで中々書く気が起きませんでした。

「いろいろ忙しい」

っていうのはわりと言い訳っぽいですが、自分の中ではバランスを考えてやっています。

例えば【ブログを書く】と【ホームページを作る】のどちらを優先させるべきか…そのバランスです。

ブログを書くことは僕にとっては仕事の一貫です。

仕事がどういう概念かにもよるけど、収入を得ていることが仕事なのだとしたら、僕にとっては仕事です。

書かないことは、アルバイトをサボることと同じです。

サボってまでやっていることは、”今この時点で”お金がもらえるものでもないし、誰かに褒められるものでもないし、社会に貢献してるものでもないものです。

しかしなぜそれを優先させてやるかというと、【可能性がとてもある】と感じるからです。

もう少しわかりやすく言うと、レギュラーの有償な仕事とレギュラーではないし無償だけど可能性がある事の2つがあるとして、後者を優先的に選んでいるということです。

価値観の違う人とはわかりあえない

普通、最優先事項は多くの人にとって仕事であると思います。

ときには生活を捨ててまで働く人もいます。

その理由はお金であったり、キャリアのためであったり、保身であったり、野望のためであったり様々だと思いますし、そこに楽しさを見出す人もいるし、つまらないという人もいます。

でも僕は可能性の方を選びがちです。

仕事を全部ポイしてまで可能性にかけるとかそんなギャンブルはしません。

自分の仕事はしつつ、時間を作って新しいことを始めたり、時には仕事を制限してでも新しいことを始める。

それが正しい事だと思うからそうしています。

世の中が変化していくとか、家族や周りが変化するとか、そういう理由もあるけど「ワクワクしなくなる」というのが1番感じるところです。

意味わからんと思われるかもしれませんが、同じことをやり続けててもワクワクしないんです。

つまらない。飽きる。

それが駄目っぽく言われるのはわかりますが、ホントそう思います。

例えば1つの仕事をとっても方向性は何通りもあるとと思います。

美容師でもどこの店で働くのか、どのような技術をメインに働くのか、どのようなお客さんを相手に働くのか。

全然違います。

そうする事で常に新しい自分と出会え、常に学び吸収し、いろんな人と関われるメリットがあります。

そうして覚えた能力などを駆使して新しいことに挑戦していく事まで含めた全部にワクワクします。

それが僕が働きたいと思う1番の理由で、収入とか結果とかって勝手についてくるもので、目的ではもはやありません。

そういうことを言うと、しばしば、1つの仕事にしぼるべき論を聞いたりもします。

そういう人は例えば美容師の店の移動、技術的な意味での転職なども許さないという人が多く、”自身もそうやって頑なにブレずに生きてきた”という人が多いと感じます。

何が正解で、何が不正解とかは全然わかりません。

ブレないことは素晴らしいと思いますが、僕は「美容師は美容師なんだから良くね」と思ってしまいますし、やめて別の仕事をすることが悪いとも全然思ってません。

どう感じるかは人それぞれです。

「価値観が違う」からです。

最近思うのは、結局価値観が違う人と人はわかり合うことはできないのだと思います。

昔はそれでもすり合わせようとして揉める事ってよくあったと思うんですけど、たぶん近年そういう【価値観の違い】に対する価値観も変わってきてると感じます。

価値観が違う人、もっと言うと自分と違う人を徹底的に否定して排除するようなのって当たり前にあったと思うんですが「わかり合わなくていいよね、別に」っていう風に変化してるというか…

無理してわかり合うことをせず、違う人間だけど認めあおうよって割り切った付き合いをしていく人が若い世代を中心に増えていると思います。

それはインターネットが普及して、いくらでも自分と同じ価値観の人と出会えるからです。

無理して正反対の価値観の人といる必要がないのです。

ただ、日常生活や職場では距離を置くことが難しいこともあります。

だから分かり合えないけど、認める。

ってのが大切なように思います。

「こうあるべき」に悩んでいたときにたまたま出会った友達

自分は過去に辛くても1つの仕事をするべきだと自分で自分を追い込んでたことがあります。

職場の先輩だけでなく、関係ない家族、友達からのプレッシャーもありました。

一切恨んでないですが、悩みを相談した時に頭ごなしに「辞めるな」「続けろ」と言われたことは今もたまに思い出すことがあります。

「ですよね…」ってその時は納得するけど、頑張るっていうのは解決にはなりません。

それは結構あとになって気がついたことでした。

「自分はこうであるべき」「こうしなくちゃいけない」

そういう思いだけで生きてたときはとても辛く、惨めな気持ちになったこともありました。

今だから「ワクワクすることをしたい」とかわけわからないことを言っていますが、昔はそんな自分じゃなかったです。

そこから抜け出せたから、今はそう思えるけど、その時は何も考えられなかったし何も行動もしなかった。

“抜け出せた”という表現が正しいかはわからなかったけど、僕にとっては苦痛でした。

だからそうやって否定しまくってきた”1つのことにしぼって生きている人”に対して僕も超否定的でした。

普通に意味わからんと思っていました。

そういう価値観を認めていなかったというか、認められなかった自分がいました。

ですが、やっと最近になって、価値観に対する価値観が変わりました。

分かり合えないけど、認めるということはとても大切なことだと思います。

そのほうが楽です。

海外にでて出会ったあるゲイの友達の一言がなんとなく忘れられません。

「好きな人を選ぶことはできない」

その一言でなんかいろいろと思いました。

そうだよな…と。

僕にはその気持ちはわからないけど、否定はしたくないしそういう価値観があってもいいじゃないかと思ったし、そうしないと仲良くもなれない。

狭く狭く生きてるとすぐ盲目になってしまう。

本当は自分はもっと自由で、もっともっと広い世界を見るべきなんだと最近改めて思ったので、なんとなく書いてみました。

独り言。

富士山きれい。

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