江戸時代末期の子供の髪型があまりにも世紀末すぎるw 意外と知らない日本のヘアスタイルの歴史。




こんにちは。

今日は江戸時代末期の髪型の歴史について書いてみようと思います。

以前平安貴族の髪型について書いてみたのですが、それが未だに多くの人に読まれてるので、今度は江戸時代をチョイスしてみました。

どうぞ見ていってください。

江戸時代の髪型とは?
 

さて、まずは江戸時代末期の子供の髪型をご覧ください。

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これは・・・

いかがでしょうか?

もうなんかあまりにも末期ですよね。

 
世紀末な感じがすごい髪型です。

特に左側なんて髪型だけみると

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みたいな感じはありますよね。

「水をよこせぇ!」

みたいな。

顔とセリフが全くあっていません。

どちらかというと弱そうですのですぐ「ぶべら」とか言って北斗神拳の餌食になるのでしょう。

右の角大師という髪型は別名芥子坊主とも呼ばれたそうです。

長屋に住む一般的な子供達は、寺子屋に通ったり奉公に出されるまではこの簡単な芥子坊主という髪型にしていました。

こんな感じですね。

 
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もうこれはかなり末期の髪型と言えるでしょう。
 
この世の中の大人なんかみんな腐ってるとでも言わんばかりの目を見てください。

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「俺は誰も信じない」

 
そんなセリフが聞こえてきそうです。

 
“芥子坊主”は頭頂部に筆の先っぽみたいに少しだけ髪を残して、他はマルコメ坊主のごとく剃ってしまうのが基本的な型だったようです。
 

それ以外にも前髪だけ短く残しておくものや、前髪と後頭部を残すものなど結構様々だったみたいですね。

そのように周りを残すかどうかもだいたい親の趣味で決められました。

そう考えると今も昔もあんまり変わりませんよね。

成長するにしたがって伸ばす部分の面積を増やしていき、ある程度ロン毛になったものを”角大師”と呼ぶのだそうです。(右)

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なぜ一部を残すのかというと、子供が川遊びをしているときにもし溺れたとしても神様が残した髪をつかんで引き上げてくれるからという言い伝えがあったからだそうです。

その他にも、単純に親が我が子を見分ける手段でもあったとか。

確かにみんな同じ髪型だとわからないですもんね。

余談ですがインド人も身内がなくなった時は髪の一部を伸ばす風習があります。(多分全員ではない)

 
女の子も6歳くらいまでは前髪、頭頂部などの5ヶ所だけは伸ばしていたそうですが、他は同じようひ全部剃っていたそうですね。

なんなら眉毛も剃っていたとか。

現代でそんなことやったら周りが黙ってなさそうですよね。

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右から2番目の子とかもうなんかいろいろすごいですね。笑↑

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そもそも、「髪を結う」という行為が一般的になったのは、実は江戸時代になってからです。

(古くは鎌倉時代とも言われていますが…)
 

その前の時代までは大垂髪(おすべらかし=髪を長くたらしたロングヘア)が主流でした。

百人一首に描かれている女性のように、美人の条件は「黒くてつやつやした超ロングヘア」だったのんですね。

それが江戸時代になり髪を結うようになったのです。

江戸時代初期には「髪結床」がすでに存在していました。

現代の美容室みたいなものではなく(当たり前だけど)、橋のところや道端でやっていたそうです。

屋台みたいなもんですね。

その後時代とともに屋内で髪を結うようになってきました。

そして「廻り髪結」とよばれた出張髪結を行う人も増えました。

廻り髪結は一般庶民というよりはお金持ちな人の家と”個人契約”のようなことをしていて、数日に一度出向いては髪を結うというような事をしていました。

ただ、それらを利用していたのは基本的には男だけです。

女性は昔からの風習のようなもので、鏡を見ながら髪を自分で結ってしまえないと一人前とは認めてもらえなかったそうです。

今も昔も、女性はファッションに気を使わなくてはいけなくて大変ですよね。

江戸時代前まではあまり髪型に変化はなかったのですが、江戸時代末期にもなると髪型は100種類以上にもなっていたそうです。

「○○髷」とか「なんとか島田なんとか」とかそんなのがたくさんあったわけです。

そのためそんな女性専用の「女髪結」が出てきたのですが、幕府は「それは贅沢だからダメ」と、禁止令を出したりしてたそうです。

今で言う結婚式のヘアセットをやってもらう的な感覚だったんでしょうかね。

それでも「女髪結」は隠れて出張したり、特例として吉原などの芸者の髪を結うことは許されていたそうです。

  


★最後に気になる江戸時代のシャンプー事情を

一般庶民は髪を洗うのは大体1ヶ月に1回位だったようです。

平安時代の1年に1回から比べたら大きな進歩ですね。

でも月一でもかなりキツイのは簡単に想像できますよね。

夏とかかなりヤバそうですね…。

昔のフランスなんかでは香水を使っていたといいますが、江戸時代の人いろいろな匂いを隠すために油を使っていました。

裕福な家だと「伽羅油」「椿油」というものを使い、一般的なところでは「五味子」という匂いの強いものをつけていたそうです。

 
そもそもどうやって風呂に入っていたかというと、江戸の人々は風呂屋に行っていました。

火災が起きるととても広い範囲に火が広がってしまうため、防災ということで自宅にて火を使う風呂を作ることは禁止されていたそうです。

そんなこと言ったら料理だって・・・と思いますがそこはよくわかりません。
 
だいたい街に1つ風呂屋があり、みんなそこに通っていたんですね。

なんかみんな仲良しになりそうですよね。

その風呂屋でシャンプーしてOKだったかというと・・・ダメでした。

お湯をたくさん使ってしまうから禁止だったそうです。

シャンプーはどこでやっていたかというと、自宅です。

タライに水をためて洗ったといいます。

その点では平安時代からまるで進歩してないんですね。

平安時代の女性は年に1回、コメのとぎ汁をつかって洗っていたと言いますが、江戸時代の人々はなんと海藻を使っていたそうです。

わかめみたいなクネクネしたやつじゃなくて、岩海苔を使うことで防臭効果があるだけでなくしっとりとツヤがでたそうです。

海苔シャンプー&トリートメントです。

なんだかとても髪に良さそう・・・。

さらに代用品としてうどん粉とか、卵の白味とかでも洗っていたというから驚きですね。

 
 
現代の常識とはかけ離れていて当たり前だけど、こういったヘアケアや髪型の歴史を知ることもまた楽しいですよね。

 
以前書いた平安時代の髪型事情が好評だったので江戸時代バージョンを書いてみましたが、今後は縄文時代や戦国時代なんかも調べてまとめてみようと思います。

では。

 

 
 

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