プロフィール
- 名前:jun kuwabara
- 出身:山梨県富士吉田市
- 職業:会社の代表、何でも屋
- 趣味:放浪・将棋・カレー作り
- 特技:どこでも生きていける
配信コンテンツ
社会コラムや旅日記などを配信しています。最新記事はこちら。
詳しい経歴
当サイトを運営している超超エリート株式会社・株式会社旅猫の代表取締役社長の桑原淳です。
長くなりますが自己紹介をしていきたいと思います。
僕は1988年6月14日に生まれ、山梨県富士吉田市というところで育ちました。
富士山以外なにもない素晴らしいド田舎で、特徴としては水がとても美味しく、渡辺さんの数が日本一多く、クラスの10人くらいは渡辺さんってこととウドンが有名ということくらいでしょうか…。
中学高校時代はバンドばっかりしていました。
高校卒業後に美容師を目指して上京し、日本美容専門学校で二年間美容を学びました。
卒業後、青山の美容院に就職し厳しくも充実した美容師ライフを送るも、神奈川の田舎に転勤になったことを機に「このまま会社の一員として言われるがまま生きるような人生でいいのか・・・」と悩み始め、気が付いたらものすごく病んでいました。
夢だった美容師にはなれた。
でもその先が見えなくて、何を頑張りたいのかも何を頑張っているかもよくわからなくなり、最終的には退社しました。
人生そのものに悩んだ末、何かのスイッチがパチッと入り身一つで日本縦断の旅に出ることに…。22歳の時のことです。
お金もなかったため青春18きっぷを使ったりヒッチハイクや野宿などもしながら北から南から日本各地を巡りました。
「ただ旅をするのではおもしろくないし・・・」と、旅先で出会った人と握手するというテーマを掲げて全国各地で1000人以上と出会いました。
(すこぶる古い写真…)
狭いと思っていた日本はとてつもなく広く、そして各地に様々な文化があり様々な人がいるということを肌で感じることができました。
その当時は今のようにSNSなどもなく、出会った人にはノートに一言書いてもらっていました。
泊めてくれた人、車に乗せてくれた人、おじさんもおばあちゃんも女子高生も子供も、出会ったすべての人が忘れられない思い出となり「またいつか絶対に会いに行こう」そう思って旅を終えて無一文で東京へと戻りました。
直後に東日本大震災がおこりました。
旅先で出会った人に恩返しをしたくても無職なのでお金もなければ支援できるものも何もなく絶望感と悔しさでいっぱいで、当時住んでいた下北沢駅前で募金活動をしていた人の前でせめて募金をしようと財布を見ると53円しかありませんでした。
全財産でした。
それを箱に突っ込み、そこから1ヶ月半ほどは安い派遣のアルバイトを頑張り少しだけの貯金ができたところでリュックに食パンとキャベツ一玉と寝袋と着替えを詰め込み高速バスで福島へむかいました。
今も決して忘れることができないあの悲惨な光景をまのあたりにし、なにかが大きく変わった瞬間でした。
お金がないので公園や駐車場で寝て、キャベツを食べながら土砂やがれきを片付ける日々の中で様々なことを思いました。
死生観や人生観というものがこれまでのものとはガラっとかわり、なぜ人は生きるのか、なぜ人は死ぬのかそういったことを考え始めるきっかけになりました。
一度きりの人生、思い切り悔いのないように本気で生きよう
今日、明日、大切な人ともう会えなくなるかもしれない。だから会おう。
もう二度とこの景色は見ることができないかもしれない。だからしっかりと記憶にとどめよう。
自分のやりたいと思ったこと、気持ちにうそをつくのはやめよう。
その時に考えていたことはやはり旅をして多くの人と出会った経験が僕にとってはすごく良かったということであり、もっと広い世界も知りたいと強く思うようになっていました。
僕は世界に出ることを決意しました。
人生を変えた世界一周の旅
しばらくフリーターを続けた後に東京でまた美容師に戻り、美容師として腕を磨き、英語の勉強を始め、お金を貯め、約2年半こつこつと働きました。
そして2014年3月に会社を辞め、4月15日より念願だった海外へ。
「世界を旅しながら1000人のヘアカットをする」という目標を掲げ、バックパックにハサミと着替えをつめこみ世界一周の旅を開始しました。
韓国からスタートし、東南アジア諸国をめぐって出会った人々をカットする日々。
同時にブログを開始し、旅の事を書きながらも自分の考えや思いなどを赤裸々に書いていたら幾度となくバズッてしまい、気づいたらSNSでも数万人のフォロワーを抱えるまでになりました。
世界では様々な人に会い、いろんな経験をしてきました。
嬉しいことも悲しいこともたくさんあって、本当に様々な人に助けられて旅をしてきました。
※長いけど旅ブログがこちら(書籍化もされました)
旅を始めて1年2ヶ月後の2015年6月、ペルーのクスコにて目標の1000人カットを達成したものの帰り時を見失い、結局1年8ヵ月旅して1301人62ヵ国の人々の髪をカットし、2015年末に無事帰国。
資金ゼロで独立開業へ
帰国時には所持金わずか10万円だっただけでなくリボ払いにしている実質借金が40万近く…。
普通に詰んでるので帰国4日後にすぐさまフリーランスとして働き始め、美容師としての新たな活動を開始。
それからわずか1か月後の2016年1月に著書『世界を知るために旅に出たら日本を知る旅だった 世界一周1000人ヘアカット』を宝島社より出版させてもらい・・・
その本の印税と鬼のように3ヵ月半働いて貯めた貯金を全部突っ込み帰国4か月後の2016年4月1日に高円寺にビールが飲める美容室Up to Youをオープン。
貯金ゼロ資金ゼロのギリギリの自転車操業生活が始まりました。
ちなみに美容室はビールが飲めたりと、変なお店でだれでも気軽に遊びに来れるような家みたいな場所にしたくて、内装はほぼ手づくりでやりました。
世界地図も手書きで…
というか不用品とかリサイクルショップの謎のガラクタとか集めて作ったような店で、何もかもが型破りでしたが、美容師のスタイルとしても型にはまらない美容師を理想とし、ヘアカット以外にもさまざまな活動を始めました。
高円寺のUp to Youでサロンワークをするかたわら、ライターとして記事の執筆を行ったり、全国の都市で出張美容室を行ったり、イベント企画をしたり、個人コンサルを行ったり、全国で講演会をおこなったり・・・
テレビや雑誌を始めとする様々なメディアに出演させてもらったり。
(abemaTV出演)
(高校の英語の教科書にものっています)
2016年7月からはオンラインサロンを始めたり、当時としては異例のフリーランスのためのシェア美容室を業界で先駆けてつくったりと美容業界での新しい働き方を模索し始めました。
美容以外の様々な仕事をしながら月の半分海外を旅する生活を半年続けたのち、美容×WEBの可能性と観光業にチャンスを感じて2017年10月23日に地元山梨で会社を設立。
名前は小学校の卒業文集に書いた超超エリート株式会社にしました。
かなしいほどアホっぽい小学生・・・
山梨での挑戦と失敗の日々
その後山梨県で第2の店舗となるマツエクサロンをオープン。
店舗が広かったので、営業許可を取って一部を居酒屋みたいな趣味のバーにしました。
- 2018年5月に山梨県にマツエクネイル専門サロン、居酒屋オープン
- 2018年7月にゲストハウスオープン
- 2018年10月に美容室カループン
- 2019年1月に体験教室富士家オープン
- 2019年3月にマツエクサロン新店舗オープン
- 2019年12月に体験教室富士家山中湖店オープン
- 2020年11月にシェアハウス、美容室新店舗オープン
このように移転や統合も含めて様々なブランド、店舗を展開してきました。
ほぼDIYでお金をかけなかったため借金はほぼありませんでしたが、ミニマムな店舗なので売上が多いわけでもなく、運営も試行錯誤の繰り返しでした。
自分自身が現場に立つということをやめるため、必然的に人を雇う事になっていましたが、そういった面での経営力が当時はなく、お金や人間関係のトラブルもあり失敗したこともありました。
そういったことに注力する中で、自分自身のブランドありきで行っていた東京の美容室運営やオンラインサロンなどは閉めることにし、美容師も引退することに決めました。
2019年、30歳になったタイミングでした。
選択と集中といえば聞こえがいいですが、いろんなことを抱えすぎてパンクしそうになっていた時期で、売上の大部分を手放した事により経営も大変になり、その頃プライベートでも離婚をしたり何かと沈んだ時期でした。
その後少し右肩上がりになったところでコロナの影響でゲストハウスや観光の店舗を閉業したり、数百人規模のキャンセルがあったり2020年からも大変な思いをしていました。
しかしそれも経営者としての試練だと思い、逆に食品の製造販売やWEBコンサルなど様々な事にトライしてきました。
一言では言えないほどの苦労が正直ありましたが、そういったことを経験したからこそ今があると思えば感謝することもたくさんあります。
気づけば会社を作って6年が経ち、人としてもいくらか成長できたのではないかと思っています。
猫との出会い
2019年の大変な時期に運営している美容室の横で捨て猫と出会いました。
当時はプライベートでもお金もなく気持ちの余裕も全くありませんでしたし、その日は仕事の予定が詰まっていたため一度は見過ごしてしまいました。
しかしどうしても気になって引き返し、エサと水をあげたところ足を引きずっているのに気がつきました。
病院に電話すると手術費用が5万〜10万かかるということでそのお金は全くありませんでしたが「後でなんとかすればいいや」と仕事もキャンセルして病院へと連れて行くことにしました。
その時に拾った猫が会社の初代看板猫の卑弥呼様です。
猫との生活は初めてで不慣れだし大丈夫かなと思っていましたが、思いの外大変なこともありませんでした。
しばらくして今度はSNSで同じように怪我した捨て猫を拾ったという方の投稿を偶然見かけました。
飼えないから手術をすべきか悩んでいるということ、怪我が酷く足がなくなるか安楽死させると病院で言われて悩んでいるとのことで、見た瞬間にこれもなにかの縁だろうと引き取ることを決めました。
そしてやってきたのが2代目看板猫の高菜先生。
山梨に来てからも2度手術をしてようやく元気になり、今はふてぶてしい猫に育ってくれました。
卑弥呼様は看板猫の役目を終えて実家に引き取られ、高菜先生は会社の様々な商品の顔に。
猫との出会いで保護猫活動というものを知り、自分自身でもそういった活動をしていきたいと思うようになりました。
震災ボランティアも3年間は行いましたが、その後継続することができなくなった経験から、ボランティア活動を継続的に行うためにはやはり活動資金が必要になると知りました。
猫に関連した商品を作って販売し、その収益をあてるような方向性で今は考えており、近い将来保護猫活動を本格的に行っていくつもりです。
株式会社旅猫設立
2023年から2社目の代表取締役社長になりました。
美容室や美容師向けに行っていたWEB集客サポートサービスや経営コンサルティングを行っていた事業部をそのまま独立させ、あらたに美容室プロ用の薬剤の開発などもはじめました。
ここにもやはり高菜先生の顔を使い、フリー素材のごとく乱用しています。
株式会社旅猫では今後次世代の新しいタイプのサロン運営とフランチャイズ展開、海外進出を計画しており、いずれは日本と世界とをつなぐ企業になればいいなと考えています。
今後の目標や夢
会社の代表としてはいろいろとビジョンや事業計画は持っています。
会社としては社会貢献や社会問題と向き合うということは一つのテーマにしていきたいと考えています。
しかしあえて一人の人間として書くのであれば【新しい事に挑戦したい】ということです。
これまで旅をしたりいろんな仕事をしたりする中で、日本や世界の様々な文化を知り、様々な景色をみて、いろんな人に出会ってきました。
文化や伝統や歴史というものの重さを感じ、それらを学んできました。
今後はその経験や、伝統文化というものを次の世代の子供たちやその親世代に伝えてきいたいと考えています。
1人の人間としてできることは多くはありませんが、逆に1人の人間でもこういう事ができましたという軌跡は残すことができると思うし、それらを何らかの形にまとめる方法をずっと考えていました。
そんな事を考えている中でアートなのか音楽なのかといろいろと模索していましたが、おそらく一生ぶれないであろう、そしてこれからもやめないだろうことが【文字を書く】ということだと気がつきました。
かつて旅をしてその日記として書き始めたこのブログも気がつけば10年も続いている歴史あるものになりました。
たかがブログですが、そこに書き記した大量の文字は僕自身の哲学の象徴であり、知識や技術や人間そのものです。
これからはこの文字を使い、新しいことを発信していきたいと考えています。
具体的には10年間美容師として生きてきたその時間を物語として小説にしていきたいと思います。
それに並行して社長らしくない社長としてのライフスタイルや、コラムなども書いていくつもりです。
こちらのブログでも今後も人生のストーリーを配信していきますが、インスタグラムやツイッターなど各SNSでも積極的に発信していこうと思います。