『報われない時間を人は青春と呼ぶのだろう』

今夜僕は東京を出てバイクを乗せた船で九州は福岡に向かう。

東京は特別な場所だ。

18歳で地元の山梨を出て、途中合計で2年ほど旅をしたが30歳までは東京で過ごした。

そこから会社を経営するためまた山梨に戻り先日35歳になった。

全国あちこち旅してまわったとは言え山梨と東京というごく近い場所にしかこれまで住んだことはなかった。

そう考えると福岡へ移住するということは、なんだかとても真新しいことをやるようで変な気持ちになる。

「もうきっとこの街には戻ってこない」

天気が悪い東京の街をバイクで走りながらそんなことをふと思った。

高田馬場、下北沢、中野、高円寺と移り住み20代はとても良い青春時代を過ごせたと思う。

「もうバイクで走るのも最後になるかもしれないな」

走りながら思い出すのは今はもう会わなくなった友達の顔やお付き合いしていた彼女の顔、職場やバイト先の先輩や後輩の顔。

美容師として接していたお客様。

飲み屋で会う常連さんたちだった。

いつの時代のどこの場所であっても僕は僕であったはずだけど、今とはきっと違うと思う。

その瞬間の僕のことを知っている人たちは、今の僕と再会したらどう思うのだろう?

35歳になる少し前に、これもタイミングだろうと週8日飲んでいた酒をやめて早1ヶ月が経つ。

会う人は口々に若返ったと言ってくれる。

実際顔もスッキリして5キロほど勝手に痩せた。

睡眠の質も劇的に改善し、とんでもなく深く寝るようになりそれまで毎日見ていた夢をあまり見なくなった。

だが、昨日おそらく禁酒後初めてはっきりと覚えているような夢を見た。

23歳のときに別れた彼女が夢に出てきた。

高校時代の同級生で学生時代はそこまでめちゃめちゃ遊んだりしていた子ではなかったのだが、ある時東京でなぜか再会し、ちょこちょこ会ってるうちに付き合うことになった。

皇居や浅草あたりをぷらっとデートしたり、クリスマスにちょっと無理して夜景が見える居酒屋に行って帰りにラーメンを食べたいと僕がゴネて喧嘩したりしたっけ。

あまり会えなかったりいろいろとあってあまり長いこと付き合っていたわけではなかった。

もうきっと今後会うことはないのだろうけど、なぜ突然夢に出てきたのだろう。

その時のことを思い出すと今でもいい想い出なのだと思ったけど、同時に時間の重たさを実感しなんだかとても切なくなった。

最近はよく時間と質量を実感することが多くなった。

先日35歳になり、特別な日を過ごしたかったのだけど結局何をするでもなく普通に仕事をしてスタッフと家族と焼肉を食べに行った。

酒をやめてから2.3日に1回焼肉を食べに行ってるからなんとなく焼肉も特別感があったわけではなく日常的ではあった。

強いて言うなら、その日はいろんなことを思い出した日だった。

昔のことを。

「10年前は25歳かぁ」

当たり前のことを思い出して、あまりにそれが最近のことのようで10年という感覚に疑問さえもった。

しかし10年は10年である。

その頃の僕は東京で美容師として働きながら、震災のボランティアをよくやっていた。

南相馬市にある原発事故で警戒区域に指定されたエリアへ行き、片付けなどを手伝うというようなことをちょこちょこやっていた。

不思議と美容師をやってた思い出よりもそういった思い出のほうが強く残ってる。

美容師としては頑張ってきてたつもりではあった。

けどそれほど結果は出なかったし、正直何者でもなかった。

美容師としても何者かになりたくて、勉強をしたりもしてた。

プライベートでも旅をしたりいろんな人に会ったりしてた。

不純な動機があったわけではないけど、ボランティアも結局は何者かになりたい自分のためにやっていたのだと思う。

けど結局何者にもなれなかった。

それまで『報われた』と思うこともあまりなかったような気がする。

中学時代も高校時代も専門学校時代も、美容師時代も旅してフリーターやってた時代も、それなりにそれなりなことをやって生きてきていた。

ショボかったけわけではないと思いつつ、しかししっくり来た感覚はなかったし、今思い返してもそうは思えない。

僕は何だったのだろう?

ただもがいていたとは思うし、日々をこなすように生きていたとも思う。

夢や希望はそれなりにあり、行動にも移していた。

けど僕は誰だったのだろう?

夢に出てきた彼女しかり、その頃僕と会っていた人たちからは僕はどう見えていたのだろう。

少なくとも言えることは、今とは違うということだけだ。

25歳の終わりに世界一周の旅に出て、直接会った人だけでもかなりの数に上るが、SNSやブログにより物理的に会える範囲をも超えて様々な出会いを経験した。

そこからおよそ10年である。

25歳より後で僕と出会った人からしたら僕は旅する美容師であって、なんだかいろんなことをやっている人物だと思うだろう。

それはこの10年で生まれてしまったイメージである。

それさえも結果として生まれただけの副産物なものであり、僕がすべて望んでそうなったと言うよりは成り行き的な部分もかなり大きい。

報われようと、必死だったと思う。

僕は世界でも、また東京へ帰ってきてからも必死だったのだ。

それまでも、その頃も、ずっと。

美容師をやっている時代も、挫折してお金をほとんど持たず旅してみた時代も、寝袋で公園で寝ながらボランティアしていた時代も。

帰国して自分の美容室を始めた時代も、東京でバーをやったりセミナーをやってた時代も。

けどその全てを今はやめてしまった。

今に通ずることは多々あるし経験は確実に今に生きているとはいえ、今は違う仕事をしている。

美容師もやっていない。

違うことを考え、違うものを食べ、違う価値観で生きている。

僕は報われたのか、報われなかったのか、実際は今でもわからないでいる。

ただ1つ言えることは僕はその時間を”青春”と呼ぶのだ。

東京で過ごした約12年は僕にとって紛れもなく青春だ。

仕事も遊びも、楽しかったことも辛かったことも。

友達や別れた彼女との思い出も。

夢に出てきた彼女が住んでた西葛西にもあれから一度も行っていない。

もし今降り立ってみても、その街の何がどう変わっていたとしても、その変化に気がつくことはきっとできない。

一つ一つの景色は記憶からだんだん薄れていくのだけど、交わした言葉やその時の感情などささいな思い出だけはかろうじて、そしてはっきりと残っている。

その思い出に触れたとき、とてつもない時間の質量に圧倒された。

青春に触れたとき、どうしてかわからないけど切ないという感情が湧いて出た。

圧倒的な時間と感情。

それらはもう二度と目の前にある時間と概念であると認識できないと理解しているからこそ宝であり、幻であるのだろう。

頭で理解できても感情はなぜか複雑だ。

今はもう二度と戻ってこないなどと、薄ら寒いことを言ってこれから先も生きていきたいわけではない。

だけどその頃やっていたことが結局報われなかったとしても、もう二度と会えない人とのかすかな記憶も、それらはそれで良かったのだろう。

良かったから、触れた今複雑ながらも「良かった」と思える。

良かったと思えるのだから、良かったのだ。

ただただ。

そして10年以上もの長い長い時間を経て、人間というものは昨日のことのように急に昔のことを思い出す生き物なのだと知った。

それは自分がある程度大人になってからさらに10年という歳月を生きてきたからだ。

その時間があるから、今があるのだと気がつく。

今船に乗り、東京の沖でこれを書いている。

そんなことはやはり昔は想像できなかった。

その頃はただその頃を生きていただけで。

今日僕は山梨を出発し、高井戸インターを降りて環八をずっとまっすぐ走って世田谷を経由して東京湾までやってきた。

その中でいろんなことを思い出しながら、心のなかで東京にサヨナラを告げた。

もう僕はこの街に戻ってくることはない気がする。

それは西葛西の彼女ともう会えない気がすることと同じだ。

なぜかと言われればいろんな理由があるし、この世に絶対はないにしても絶対な気がするのだ。

それはきっと必然だとか運命だとか言うものであり、僕は僕の運命によってもう住むことはないし、会わないのだろう。

だから宝であり幻であり良かったと言えるしセンチメンタルになるのだ。

もうそれはとうに終わってしまったことだから。

それでいいのだ。

終わってよかったのだ。

その代わり新しい場所で新しい出会いがあるだろうし、そこでまた報われない日々を過ごすのだろう。

これまでの時代からこれからの時代へ、僕はいくつかのものだけは持っていくのだが、ほとんどのものは置いていくことにした。

猫と一部の仕事とバッグ2つとバイクだけは持って僕は新天地へ行こうと思う。

それ以外の良い思い出も嫌な思い出も、作ったものも買ったものも、住んだ街も出会った人も、触れると切ないいくつもの青春の思い出とはサヨナラをする。

忘れるわけではないけど、もう僕にとっては「あの頃」なのだからちゃんとサヨナラをして行こうと思う。

いつか今日も「あの頃」と呼ばれるようになる。

その時に笑っていられるのであれば、今そこまで多くのものが周りになくてもいいような気がする。

だからあまり多くのものを持って次へ行かないのだろう。

20代の頃は今よりもっと物も経験もお金もなかった。

それでも夜景が見える居酒屋に行ったり、散歩したり、仕事をして良い思いも嫌な思いもした。

決して泣いてばかりではなかった。

笑っていることもたくさんあったし、その記憶が今の日々の中で”生きている実感”だったり”甘酸っぱい感謝の気持ち”を作っている。

それを豊かさと呼ぶのであれば、豊かさを作るのはモノや人の質量ではないのだ。

今笑っていられるからこそ、いつかの時代を僕と一緒に過ごしたあなたには感謝をしている。

そしてあなたにもどうか笑っていてほしいと願うことができる。

会わなくなった友達も、先輩も、後輩も。

一人ひとりが今日も元気で幸せに生きていてくれたらいいなと漠然とそう思うくらいの心のゆとりが今はなんとなくある。

それは30代になり持てたもののように思う。

人は歳をとったからといって幸せになれるわけでもなければ、歳をとればまた別の悩みだって生まれる。

今だって報われるかわからない努力をみんなしている。

僕もしている。

でもそれでいいじゃないかと僕は言いたい。

青春時代はきっと終わらない。

たぶん、それでいいじゃないか。

なんとなく生きてる今日だって、いつか感情的になるための素材となるのだ。

その時に笑えるようにするためにはやはりモノより思い出。

今目の前にいる人を抱きしめてみるだとか感謝を伝えてみるだとか、そんなことがきっと大切で、そのためにお金は必要ない。

そう思うと今生きる理由や意味も少しだけ変わってくる。

大切なものを大切にして生きていきたい。

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