【ただ生きてたら教科書にのった】

実は僕高校3年生の英語の教科書の見開き6ページにEXILEのUSAさんの後継者として5年間くらい載ってるんですけど、それを見た高校生からメッセージ頂いたりします。

世界で髪を切っていたことはだいぶ昔のことだけど、僕の生き方なんかが今後のヒントになったりするのであればそれはすごく嬉しい。

すごくすごく嬉しい。

だって20歳近くも歳下の人から想いを伝えてもらうなんて普通ないやろ、と。

彼ら、彼女たちがこれからの日本を作っていく。

僕もきっとその恩恵を受けるのだろうけど、こうして時代というものは重なり合い受け継がれて行くんだろうな。

今だから言うけどあれは髪を切って旅していたわけではないと思う。

それらは全てインプットであり、僕はアウトプットすることがメインだった。

つまり文字に起こすということ。

日々の出来事を。

それを読んだ人が「本を出していいかい?」と言ってくれたり「テレビで紹介していいかい?」と言ってくれたり「教科書にのせていいかい?」と言ってくれた。

すべての起点は美容師をしていたことでもなく、髪を切っていたことでもなく、生き様を文字にしたというところにたどり着く。

今となっては旅をする気力もなければ髪を切ることさえやめてしまって、僕がここ数年やってきたことはひたすら考えることやビジネスを作ることばかりだった。

それさえ疲れてしまって、今やりたいことが何かというと「ただ生きる」ということしか浮かんでこない。

あれこれ持たず、米を食い、漬物をつけ、魚でも釣ってさばいてみようと。

そんなことがしたくて今日福岡県へお引越しをした。

冷蔵庫も洗濯機もテレビもない。

ちょっとの服とちょっとのモノとバイクだけ。

だだっ広い家は猫のために借りたもの。

猫が走り回れる家が良かったから。

僕のスペースはほんの少しでいい。

【足るを知る】ということをテーマにした超質素な生き方は、現代ではかなり稀な生き方だと思う。

世界を旅してまわるのとどっちがすごいだろう?

僕はあの頃も今もなんとなく発信は続けているけど、旅を終えてからは仕事のことくらいしか発信することがなかった。

それでもいろいろと仕事を作っていたからかネタは尽きずにいたけど、読み物として楽しかったわけではないと思う。

ただそれでも発信し続けたかったのは、高校生からメッセージをもらうなんて言う普通ではありえないことが起こるからだ。

不登校の中学生と話したこともある。

それらは、彼らからしたら何か話を聞きたいみたいなことだったかもしれない。

けど僕からしたらそれは【学び】なのだ。

何かを伝えること、何かを話すこと、聞くこと。

違う世代の彼らの興味の対象や、日々やっていることは大きな学びになる。

これからの日本を背負う彼らの思考に触れられたことを嬉しく思うし、そのきっかけが生まれるのであれば発信なんてなんぼでもやる。

そんな感じだ。

これから僕は超質素で忙しそうなことはなんもしないような私生活と、連続起業家といえば胡散臭くてカッコいいような響きだが社長として次々事業を作っていくことをやりたい。

自然的かつ人間的な僕と、資本主義的な社長としての僕は切っても切り離せるものではないということはよくわかったから、それをこれからの【生活】とすることにした。

それを何らかの形で発信していくけど、ただ喋るか文章しかないだろうな。

それがクオリティが高いコンテンツになるとは思えない。

字幕や音楽や効果音ババーンみたいなもので目を引く程度のであればむしろやる意味はない。

それはテレビやユーチューバーがやるものだし、その土俵で勝てるわけがないし。

むしろ文字だけやトークだけで装飾がないものが興味を持たれたら、それはなんというか具がないスープと麺だけなのに行列ができてるラーメンのようなものなのだろうと思う。

それをアートと呼ぶのであればそれでいいと思うし、今誰からも見向きもされなくても10年経ってだいぶ下の世代の子どもたちから「あれはなんですか?話を聞かせてほしい」と言われるのであればそれはやはりアートなのだろう。

今の社会からの理解はどちらでもいいし、そもそも認められたくてやるわけでもない。

ただぬか漬けをつくりたいから、作る。

ただ野菜を育てたいから、育てる。

ただ魚をさばきたいから、さばく。

ただ昼寝をしたいから、する。

ただ猫と暮らしたいから、暮らす。

その果に何があるのか、なにもないのか、そりをただ知りたいだけなのかもしれない。

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