【狭い世界の車窓から】

仕事や趣味、何かに本気になることは良いけど、それが1つだけだとある一定の範囲内にしか自分の世界が広がらなくて小さな人間になってしまう。人も情報もすごく制限される。

〇〇界隈的〇〇業界的なものにドップリ浸かると視野がほんとに狭くなるのは、その世界のマナーだとか常識だとか、そういったものが自分の基準になってしまうから。

周りの目とか周りの意見とかいうけど、その”周り”が同じ人ばかりだと、客観的な意見が偏るわけだから自分というものも偏っていく。

どの業界や世界にも発言力や影響力がある人がいるが、その人がなんでも正しいと思い込む人も多いから、結局周りも自分もその人の思想をなぞるようになったりして。

自分で考えてるつもりでいても、周りに嫌われたくないからバイアスがかかる。

その影響力がある人やインフルエンサーも実はめちゃめちゃテキトーなことしか言ってないのに、フォロワー数とかでコーティングされて光り輝いて見えてるだけかもしれない。

裸の王様だとわかりつつ、居心地がいいからその地位を捨てれないなんてこともあるだろう。

そういう人ほど今ある世界に縛られて、考えに偏りは出る。それが少なからず〇〇界隈的なところには影響するから全体的に偏るに決まっている。

「世界の常識は、もっと広い世界では非常識かもしれない」
「今は狭い世界にいるかもしれない」

的なことを常に考えて疑問を持って、自分を客観視する意識をしておかないと、群衆みたいなものに取り込まれて自分を簡単に失う。

僕自身が〇〇界隈的なところに固執するのが嫌いな理由と、いろいろやったほうがいいなと思う理由はそんなところ。

いろいろ旅してると旅人に出会うけど「広い世界を見たいから旅してる」と言う割に旅人としかつるまない人なんかもいたりする。

自分の目で見たもの、自分で経験したリアルだけ発信すべきだと言いつつ「人から聞いた話だけど」と前置きしてホントかどうかわからない話を垂れ流したりする。

一つの世界にいて視野が狭くなって他人の世界が見えなくなってるとそういう矛盾したことも起こる。

美容師をやっていた時もそれはよく思っていた。

美容師の世界はとても狭いけど、美容師=社会だと思っている人も多かった。

時間はあるのだから、生きてるうちにいろいろやってみるのがいいと思う。

仕事も趣味もいろいろやることが中途半端だと言われるけど”未だ”狭い世界しか知らないことのほうが中途半端な生き方かもしれない。

国が違えば神も言葉も違うように、いろいろ知るとあれもこれも正解なような気がしてくる。

だから簡単に否定も肯定もできなくなってくる。

どの世界が良いか悪いかはわからないけど、少なくとも自分の限りある人生のなかではずっと井の中の蛙やり続けるよりは、どれが良いかと悩んでるほうがマシかな。

いろいろな世界の人と付き合っていろんな情報と出会って、自分の世界を広めたたほうが有意義だと思う。

一個人の思想の垂れ流しです。

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