「芸術は国境をこえる」から子供の頃の夢だった料理人を目指すことにしました。

3週間前に広島に行ったときに原爆ドームと資料館を見に行ったのがきっかけで、数日まえから【はだしのゲン】を読み始めた。

小学校の時に図書館にあって「こわっ」と思いつつ読んだ記憶があるけど、改めて大人になって読んでみるとところどころいい事が書いてあった。

主人公の中岡元が原爆で家族を失い、友達を失い、いろいろな事を経験しながら成長していくストーリー。

物語の終盤で元が画家のオッサンの「芸術は国境をこえる」という言葉をきっかけに画家を目指すようになる。

それを弟分の隆太に話すが否定されるという描写があった。

元「大きな理想をかならず実現させるのが生きると言うことじゃ」

隆太「あんちゃん。大きい理想を持つのもええがのう、理想はゼニをくれるか…理想は飯を食わしてくれるんか…。ゼニを稼いで食料を買うてめしを食わんといきられんのじゃ…その方がだいじなことじゃぞ。」

超ごもっともだし、戦後じゃなくて今の時代もそれはそうなんだけど、僕は元のようなタイプの人間なのでやっぱ理想を現実にしたい。

子供の頃の夢

たぶん誰しも子供の頃に夢があったと思う。

僕は13歳の時に美容師になりたいと思うようになって今に至るけど、その中でも「これやってみたい」と思ってのめり込んでたものがあった。

1番は6年間やってた音楽。

芸術は国境をこえるという言葉のようなことを小学校の時に思ったことがある。

何百年も前に何処かの国のベートーベンという人が作った曲をなぜ習ってるんだろう?とふと不思議に思ったことがきっかけだった。

見たことも行ったこともないけど外国というものがあって、その外の世界から時空をこえてシレッとやってきたその音楽が不思議でしょうがなかった。

中1の頃ギターと出会い、毎日指が痛くなるまで弾いた。

友達とバンドを組んでライブしたりもした。

楽しくてしかたがなくて、いろいろなバンドにハマって練習してたけど、ソロギターがカッコよくてかなりハマってやってたのが【ザ・ベンチャーズ】という1960年代のバンドだった。

ふと「なんで外国のしかも古いバンドにハマってるんだろう?」と思った時に、やっぱりなんか不思議な感覚になった。

その後高校生になり、バイクが欲しくて蕎麦屋の厨房でバイトを始めた。

もともと「料理」というものに興味があったけど、何も知らなかった僕にそのバイト先の人たちは包丁の使い方から米の炊き方から2年間でいろんな事を教えてくれた。

その中で「料理」というものもいつかやってみたい夢のひとつになり、ジジイになったらうどん屋さんをやろうとなんとなく決めた。

だけど高校卒業後の具体的な夢はバンドマンか美容師のどっちかしかなくて、結局美容師1本でやろうと思ってギターを実家において上京して来た。

その後いろいろあって海外に行ったわけだけど、旅してる中で興味をもつものはやっぱ「食」とか「音楽」だった事に気がついた。

ベトナムでギターを買って世界中で弾いてまわった。

ボリビア ウユニ塩湖

モロッコ サハラ砂漠

その中で「すごいな」と思ってたことが言葉も全く通じない人と音楽を通じて仲良くなれたこと。

髪を切っててもそうなるんだけど、音楽も同じだった。

未承認国家 北キプロス

それは料理もまた同じだった。

人間は誰しもが食べる。

そしてどうせ食べるならうまいものを食べたいと思う。

インドネシアに住んでるフランス人の友達家族に泊めてもらったお礼に手巻き寿司を作ったことがある。

フランス人の友達家族

魚をさばいて、酢飯を作って、ノリを買ってきて…

うまかったかはよくわからないけど、それを食べて喜んでくれてるのを見てやっぱり嬉しくなった。

同時に食も音楽も美容師も、どこの世界で生きてるどんな人にも通用するものだと確信した。

人生1回だから境なく生きたい

世界を旅してて疑問に思ったことはいくつもあるけど、その中に【国境】というものがある。

時代とともに常に変化しているもので、その境のどちら側にいるかで置かれる状況も変われば言葉も文化も変わってしまう。

子供の頃に世界史の勉強してた時は思わなかったけど国境というものは”誰かが都合よく決めたもの”だと強く感じるようになったのは実際に旅に出てからだった。

アフリカ大陸に限ったことじゃないけど不自然にまっすぐに引かれた国境。

それは戦争によるもの。

辻褄合わせのように誰かと誰かが相談して「じゃここね」って地図に線を引く。

それによって家族が分断されたというという話もザラにある。

当然日本のように海とか山とかで国境が作られる事もある。

結局のところ自然で境になっていたとしも、どれもこれも”誰かと誰かの辻褄合わせの結果”であって、一般人にとってはどうすることも出来ない次元の話だったりする。

人はその境の内側で生きていくのが普通だ。

別に境の外側がどうでも日々の生活にはあんまり関係がないことなのかもしれない。

だけど僕はその外側にすごく興味がある。

世界で出会った多くの人は皆同じ人間であり、ご飯も食べれば音楽も聞けば髪も切ることを知った。

イタリア、ギニア、イギリス、ウルグアイからそれぞれやってきた旅人

当たり前だと思ってることが実はそうじゃなかったっていうのはよくある。

誰かが決めた不自然な境の外に出てみるとしょっちゅう自分の中での”当たり前”がぶっ壊される。

何がホントで何が正しくて何が間違ってるとかは全然わからないけど、何も知らずに死ぬのは嫌だと思うようになった。

もっともっと広い世界を見てみたい。

だから僕は「国境をこえるもの」を身につけたいと思うようになり、ガチで料理人目指して料理を勉強することにした。

と言っても今やってる事をやめるつもりはないし、美容師もシェアサロンもオンラインサロンもブログもセミナーも旅も全部そのままやる。

やりつつどこかで修行する。

料理人を目指すからと言って、これからやろうとしてる南米移住も、海外で美容室出店も、地元でゲストハウスとカフェ出店も全部諦めない。

美容師だって手がとれない限り一生やるだろうし、せっかく身につけたスキルや知識は捨てるつもりは毛頭なくて、ただただ新しいスキルを身につけたい。

「芸術は国境をこえる」

芸術って何かっていうと哲学的でよくわからないけど、創作することや何かを自らの手で生み出すという意味では料理も美容師も芸術に当てはまるんだと思う。

最初はハサミの持ち方も知らなくても、数年勉強すれば必ず人の髪を切れるスキルが身につくように、少しずつでも続けてればなんでも絶対に身につくはず。

僕はまだ20代。

長い人生、まだまだ時間はたくさんあるし、子供の頃の夢だってまだきっと叶えられる。

料理勉強して、うどん屋かはわからないけど南米で居酒屋やりたい。

そしたら旅人シェフ美容師と名乗ろう。

武器があればどこでだって生きてける。

たくさんあれば何かなくなっても生きてける。

いつか音楽だってやりたい。

そしたら人生無双モードだ。

何よりも自分が楽しいと感じれて”ハマれるもの”を本気でやっていきたい。

「大きな理想をかならず実現させるのが生きると言うことじゃ」

現実的じゃなくてもはだしのゲンみたいにそう信じて生きていきたいな…。

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