《拡散希望》500年の歴史を持つ【富士山と御師の家文化】の復興のためにクラウドファンディングをします!

突然のことでございますが、僕の人生初のクラウドファンディングでございます。

1mmでも「あいつにお世話になったような気がするぜ…」と思ってくださる方はまずお読みいただき、シェア・拡散をお願いしたいと思います。

とにかく広めてもらうことが第一の目的でございます。

よかったら支援もしてくれたら嬉しいです。

よろしくお願いします。

富士山信仰の500年の歴史が終わろうとしている

僕は歴史オタクです。

オタク度はかなり重症でして、神社や遺跡をめぐりたくて旅を初めて気がつけば47都道府県42カ国をめぐり、最近は図書館で古文書を読んだり山の中の古い神社を探検するレベルにまで達してしまいました。

そんな僕が今すこぶる興味を持っているのが我が地元の山梨県富士吉田市の歴史と文化です。

言わずとしれた日本一の山、霊峰富士の麓に富士吉田という人口わずか5万弱の街があります。

標高800mくらいの高山地帯で、まあ一見するとなんの変哲もないのほほんとした田舎なのです。

その街ではかつて【御師】【富士講】という文化が栄えていました。

率直に言うと今回のクラウドファンディングはその文化を復活させたくて、資金を集めたいのです。

富士講と御師

室町時代(戦国時代)から始まった【富士講】という文化が富士吉田にはあります。

かつて富士山は神の宿る神秘的な存在として多くの人々に「登れば幸せになれる」と信じられていたそうです。

宗教的な観点でそのように富士山を崇めていた人々のグループのことを【富士講】と呼び、夏には富士登山をすべく多くの人が全国から富士吉田に集まってきたといいます。

遠路はるばる富士山を目指して訪れた人々を迎え、宿やご飯の世話をし、登山の無事を願って祈りを捧げてきた【御師】という人々が富士吉田市にはいました。

御師

その宿の事を【御師の家】と呼びます。

御師はわかりやすく言えば富士山と参拝者の中間にいる神主のような存在で、元々は「御祈祷師」と呼ばれており、その御と師をとって御師になったと言われています。

江戸時代には一般の民衆に富士山信仰の文化が広まり、江戸を中心にこうした富士講がたくさん作られました。

江戸時代から昭和初期にかけ、御師の家が軒を連ねる御師まち(現在の富士吉田市上吉田)は富士講の方々で大変にぎわっていたそうです。

大正時代の御師まちの様子

現在の御師まち

しかし近年の富士登山のレジャー化や、富士山五合目までの直通道路が開通したことなどの影響で、その文化はあっという間に衰退してしまいました。

最盛期は90軒近くあったとされる御師の家も、現在はわずか数件しかありません。

今回のプロジェクトの目的は富士山と富士吉田市の歴史、そして忘れられていく御師の文化を守り、見学や体験ができる場所として現代に復活させることです。

御師の家 菊谷坊

今回オープンする御師「菊谷坊」は約500年の歴史を持ち、昭和の中期まで実際にたくさんの富士講の方々を迎えていました。

家屋も江戸時代の建物がそのまま残っているところも多く、家の中には「ご神前」と呼ばれる神社を模した屋根付きの祭壇のある部屋も残されています。

この菊谷坊に伝えられている古文書は193点もあり、戦国時代〜江戸時代、近代の明治・大正・昭和期までの記録が切れ目なくそろっています。

特に戦国期の古文書などは重要な文化財であり、普通に博物館にあるようなレベルのものがたくさん保存されています。

そのうち最も古いものは、戦国武将武田信玄の父親、武田信虎が菊谷坊に対して残した文書だそうです。

約500年前の古文書

菊谷坊ではこういった古文書をはじめとする重要な文化財を展示して見学ができるようにするのと、実際に古くから伝わる富士講の文化を気軽に体験できるようにしていきます。

菊谷坊の体験

随時増やしていく予定ですが、いくつか紹介させてもらうと、御札を作る体験などをやる予定です。

富士山を無事に登れるように…登山に向かう信者の服などに炭で刷っていたそうです。

木版画のような形で木彫りの版に布をあててすっていきます。

実際に体験で使うものは昔から使われていた版を使用し、古いもので200年以上前の実物も手にとって刷ることができます。

刷った紙はお土産にお渡しします。

Tシャツに刷ることも可能です。

他にも富士山の神社である浅間神社を経由して御師まち〜旧登山道を案内したり、御師料理と呼ばれる当時の和食を作る体験などを行います。

浅間神社から昔は登り始めた

プロジェクトを立ち上げた経緯

今回菊谷坊の再興プロジェクトの立ち上げに共同で携わらせてもらうことになった流れですが、単純に菊谷坊18代目頭首とお友達だった(笑)ということです。

18代目の秋山くんは高校時代同じラグビー部で(学校は別だけど)、卒業後もちょこちょこ会ったりする仲でした。

僕は東京に、彼は京都に住んでいましたが、ちょうどこのタイミングでお互い地元に戻ってきました。

今富士吉田市には多くの旅行者が訪れていて、そういう方たちにもっと富士吉田市を楽しんでもらったり、もっと歴史や文化を知ってもらいたい…。

そういう共通する思いがあり、今回一緒に消えかかっている御師の文化を再興しようという話になったのです。

僕は主にWEBマーケティングや体験のプロデュースなどをさせてもらい、弊社(言ってみたかった)の社員も2人プロジェクトメンバーになっていて、社運をかけた(言ってみたかった)プロジェクトだと思っています。

なぜ体験なのか?プロジェクトにかける思い

ここからは個人的な思いを書かせていただきます。

僕は富士吉田で生まれ育ち、高校卒業とともに美容師になることを目指し上京しました。

2014年、25歳で美容室を退社しハサミを持って世界一周の旅へ。

各地で1000人の髪を切ることを目標に旅を続け、最終的には世界39ヶ国で1301人の髪を切り終え帰国。

その後東京にて美容室をオープンし、2018年故郷である富士吉田市に戻り世界から集まる旅人を受け入れるべく【サムライゲストハウス】【遊べる居酒屋俺っち】【ほうとう&吉田のうどん作り体験教室】をオープンし、日々様々なお客様に利用いただいています。

単純に自分が生まれ育った富士吉田の歴史と文化を国内のみならず世界の多くの人に知っていただきたいという想いもありますが、旅をしたから想うこともあります。

僕は世界の様々な国と地域を巡り、多種多様な文化に触れてきました。

ただの観光ではなく、髪を切ることでより現地に溶け込むことができ、様々な話をしてきました。

その中で幸運なことに普通じゃできないような”体験”もたくさんさせてもらいました。

ペルーの美容学校でカットを教えたり、チリの大学の先生をさせてもらったり、トルコのお土産屋さんを手伝ったり。

ペルー・クスコの美容学校

トルコ・イスタンブールのお土産屋

体験をすることでその国の文化や歴史や生活、そして人々の考え方もより深く知ることができました。

その特別な経験から、自分も日本に帰ったら【日本の文化体験】をテーマに活動していきたいと当時から考えており、現在は郷土料理作り体験などを行っています。

今回の御師の家再興プロジェクトを立ち上げたのにはそういった背景もありますが、純粋に一人の日本人として「この日本一の富士山の文化をもっと知ってもらいたい」という想いが強くあります。

意外と知られていませんが富士山は世界自然遺産ではなく世界”文化”遺産として登録されています。

美しい景観もとても素晴らしいのですが、富士山と共に歩んできた文化は富士山を語る上でより重要であると考えています。

古来より富士山は信仰の対象であり、聖なる山として崇められ、多くの人にとって大切で、なくてはならないものでした。

御師の家はそういった富士山の文化の中心的存在であり、ともに歩んできた長い歴史がある重要な文化です。

しかし現在は残念ながら衰退してしまい、現存する御師の家はごくわずか。

平成から令和へと時代が移り変わり、目まぐるしいスピードで様々なことが変化したり消えていく世の中ですが、伝統ある重要な文化や歴史は決して失くしてはいけないと思っています。

なので室町時代より続くこの富士山と御師の文化を再興し次の世代に伝えていくこと、またそれを”体験サービス”として多くの方に実際に触れていただくことに大きな意味があると考えています。

そして、新しい観光スポットとして富士吉田を訪れる旅人にとって思い出に残るような場所になれれば幸いです。

今回のプロジェクトを支援していただける方にはリターンとして【サムライゲストハウス1泊提供】【ほうとう作り体験】を設定させてもらってます。

さらに【桑原淳と行く富士吉田御師まち散策】というよくわからないものもありますが、平たく言えば「僕を貸しますのでなんでも好きに使ってください」というものです(笑)

資金は主に建物の修繕や整備、ショーケースなどの備品購入に使うことになっております。

ぜひ富士山と御師の文化を知っていただき、支援していただけると嬉しいです。

どうか、シェアなどもポチッとしていただけると幸いです。

長々ありがとうございました。

よろしくお願いします。

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