「くそ食らえ!」
僕の人生を振り替えると、そんなことばかりだった。
反逆者的思想を持ってる訳じゃないんだけど、いつも自然と、そして必然とそうなった。
例えば英語の勉強なんかくそ食らえと思って中学一年の二学期で放棄してしまった。
後に大きく後悔し、結局勉強するはめになったのだが…。
その時はとにかく勉強が嫌いだった。
嫌いというか、やる意味がわからなかった。
時間の無駄。エネルギーの無駄。楽しくない。
「勉強なんかくそ食らえ」と僕は代わりに音楽に打ち込んだ。
毎日毎日ギターにさわり、練習し、メキメキ上達した。
バンド組んで、ライブして。
新しい曲が弾けるようになることがただ楽しくて嬉しかった。
ただそれだけだった。
勉強はせずただ仲間とバカなことして音楽をして……
“それだけ”が僕の中学時代。
周りからみたらただのワガママぼーやだったとおもう。
高校生になってもそうだった。
美容師になったってそう。
海外にいったってそう。
独立したってそう。
つまんねーことはやりたくない。
ずっと「くそ食らえ」だった。
やりたくないことはやらない。
やりたいことをする。
そんなスタンスで生きていると周りからはフツーに白い目で見られるが、自分の中には充実感があった。
正直、まわりの人の人生とか生き方とかどうでもよかった。
僕のことを理解してもらえないように、僕も理解できなかった。
大人になったら我慢して働くとか、家庭のために身を削るとか、会社にこき使われて過労死するとかなんかそういうの。
「俺には関係ないことだ」と思ってた。
10代、20代をそのようにすごした僕は30歳になった。
30歳の誕生日は四国一周の旅の途中。
高知県でヒッチハイクして乗せてくれたおっちゃんと飲んでたっけ。
30歳…
先日僕は31歳になった。
四国を旅してた時から1年がたったのだ。
この1年はいったい何をしてたのだう。
正直あまり記憶にない。
特に今年に入ってからは本当に何をしてたのかわからない。
今思い返してみると、この1年はものすごく人のために生きてた気がする。
行動やエネルギーの核となる部分がかつてのような【反逆の精神】【くそ食らえ】ではなく【誰かのため】だった。
自分のために始めた美容室も誰かのため。
自分がやりたくて始めたコミュニティもメンバーのため。
会社だって家族のため、社員のため。
あれもこれも、何もかも。
いつの間にかものすごく人のために人のためにって働いていた。
あれ、いつから僕はこうなってしまったのだろう。
僕はどこにいったのだろう。
僕は何がやりたかったのだろう。
僕は何をやりたいのだろう。
……。
…………。
………………あれ。
31歳を目前に、僕は倒れた。
目の前にそびえ立つ仕事の山。山。山。
倒れてはじめてその高さを痛感した。
それが自分の両肩にズシッと乗っていたのだ。
ゾッとした。
この人生ではじめてだと思う。
思いっきり弱音を吐いた。
思いっきり立ち止まった。
夜まで起き上がることができず、何もしていないのに汗がだらだらでる。
全身が痛くて、歩くことができない。
夜も呼吸が止まって目が覚める。寝れない。
頭も体も完全にショートしていた。
1週間かそこらは寝たきり。
起き上がれるようになってまた仕事をはじめ…そうこうしているうちに誕生日を迎えた。
そんな精神状態で31歳というよくわからない歳になってしまったのだ。
あんまり覚えてないけど当日も働いてクタクタになってた気がする。
ただ、そういうある意味ゆっくりできる時間が1週間でもあったのはほんとに良かった。
「ああ、なんか俺は何がしたいのだろう」
そんなことを改めてゆっくり考える事ができたから。
30歳になって新しいステージにたつことを夢見て、いろんなことを考え挑戦しようとしてきた。
社長としての自分、美容師以外の自分、あたらしい自分。
そういうものを作りたくて挑戦したくて。
でも今思うと考えてたこと自体は自分らしいけど、内容は自分らしくはなかったのだなと気がついた。
やっぱり【誰かのため】だった。
極度のプレッシャーがあっても、トラブルが起きても、どんなに忙しくて寝れなくても、全部誰かのため。
それじゃあ自分が耐えられるわけがなかった。
それに誰かのためなんて、おこがましい。
僕は聖人でも偉い人でもなく、一人のただのワガママな人間だ。
周りがどうであろうと関係がない。
そう思って生きてきた人間だ。
だからもっと自分のために生きていかないと行動が起こせないし、そうじゃなければ結果もでない。
なにより楽しくない。
楽しくないならそれは間違ってる。
それを続けたら死ぬ。
31歳という年齢になって改めてそういう気持ちと向き合うことの大切さをしった。
自分を殺して生きている人もいると思う。
家族のため、人のために生きてる人もいると思う。
ただ僕にはできなかった。
くそ食らえ
やっぱり普通なんてつまらない。
今までやってきたこと、今やってることは投げ出すことはしないけど、少しずつ変えていきたいとは思う。
今年は楽しくしていきます。
遊びましょう。