こんにちは。
長いですが、ぜひ最後までお付き合いください。
ホントはすべての写真を載せたかったけど、載せれなかった人はごめんなさい。
今日の記事は初めて見る人もいるかもしれないので、ちょびっと自己紹介もさせてください。
僕は山梨県出身の旅人、そして美容師のJUNです。
東京で美容師として働いていた僕は仕事をやめ、バックパックに適当な荷物とハサミとカットクロスを詰め込み、2014年4 月15日に日本を飛び出しました。
何年も前からずっと夢見ていた『日本の外の世界』をこの目で、そして肌で感じるために。
その時に決めた1つの目標が『旅をしながら世界中で1000人の髪を切る』というもの。
それから今日まで各地でひたすらハサミを握り続け...そして出国から約1年2ヶ月後。
つ、ついに...
ついに...!
南米ペルーの世界遺産クスコの地にてついに目標だった1000人の髪を切り終わる事が出来ました。
(誰だったかは3ヶ月遅れなうのブログが追いついたら公開しますw)
なんか...長かったようなあっという間だったような。
終わった瞬間には感極まってなんてこともない、いつもの事のようだった。
嬉しかったは嬉しかったけど、実際に1000人切ったんだという実感もなく『あ、あれ?終わった?w』みたいな。
ですが、 応援してくれてた友達や読者の皆様に『終わったよ』の報告って事でこの記事を書こうと出国してから今までの写真を見てたら何だかめちゃめちゃ泣けてきました。
実感ということがこういうことなのか。
見返した写真の一枚一枚に、一言では伝えられないほどの思い出があった。
もちろんすべてが僕の頭の中には強く残っている。
でもまとめて見返した時に今までの思い出がバーっと蘇ってきて、すごく嬉しくて、そして悲しくなった...。
1000人という人数が多いか少ないかは僕にはわからない。
でも、きっかけは髪を切るという行為でしかないが、1000人もの人々と僕は確かに関わった。
それも人種、文化、言葉、宗教も違う、今まで会ったことも見たこともないような人たちと。
髪を切るという行為は時にとても大変で、時にとても簡単であった。
何日も髪を切る人が見つからず嫌になったこともあったり、カットしてくれという人が殺到してぶっ倒れそうになったこともあった。
看板を置いても犬しか来なくてギターを弾いたら1日が終わったこともあった。
髪を切るのが大変なのは場所の問題、言葉の問題、文化の問題、様々な理由がある。
でも決してそれがやらない理由ではなかった。
どこの誰ともわからない僕を信用して髪を切らせてくれた人たち。
世界各地で出会った人たち。
頼まれればいつでもどこでも誰でもカットをした。
声をかけてくれたことが嬉しかった。
ブログやフェイスブックをみてて知っててくれて嬉しかった。
ただただ、必要とされてることが嬉しかった。
そしてそんな人たちの笑顔だったり『ありがとう』の言葉に一喜一憂し、また次の誰かさんを探して足をすすめる。
次の街へ。
次の国へ。
どこかの国の誰かさんに会いたいから。
どこかの国の誰かさんの笑顔が見たいから。
その気持ちが原動力だった。
誰かが喜んでくれるなら...
誰かがカットしてほしいと言ってくれるなら...
誰かがかっこよくなりたいと望むなら...
そういう思いで僕はここまで旅を続けることができた。
本当にいろんな場所で...。
ユーラシア大陸の西の端で夕日を見ながらカットした事もあった。
インドのガンジス川の前でカットしたこともあった。
タイの首長族の村に髪を切りに行ったこともあった。
カンボジアの孤児院にボランティアカットしに行ったこともあった。
有名美容師の悠馬さんと出会い、一緒にカットした事もあった。
ボリビアの美容学校にカットを教えに行ったこともあった。
バンコクでテレビの取材をされたこともあった。
チリの大学にカットしに行ってチリワインをみんなで飲んだこともあった。
アルゼンチンで可愛い観客にかこまれたこともあった。
白い世界でカットした事もあった。
マレーシアの熱帯夜に二人共汗だくでカットした事もあった。
お世話になった先輩の髪を切りにシンガポールに行ったこともあった。
外国在住の日本人のお宅をカットしてまわったこともあった。
アテネで訪れた美容室の有名美容師にカットを頼まれたこともあった。
本当に本当にいろんなことがあった...。
こうして不思議な縁で出会った人々。
その人たちとの思い出はきっとここにいくら詳しく書いても伝わらないかもしれない。
でも、それでもいい。
僕にとってはすべてが一生忘れることはできないヘアカットであり、その人にとっても忘れられないものになれたとしたらそれでいい。
世界を旅して髪を切る。
そんな事になんの意味があるのか?
そしてそれをした事で何が得られるのか?
旅をする前はわからなかった。
わかるわけがなかった。
人に普通に仕事してたほうがいいんじゃないかと言われたこともある。
自分自身悩んだこともある。
でも、世界を知りたかった。
違う国に生きる人と話したかった。
だから髪を切ることを決めた。
ただその好奇心だけで僕は日本を出た。
それから1年ちょっとの月日が流れ、今思うこと。
旅に出て本当によかった。
美容師で本当によかった。
カットして本当によかった。
旅をして僕が得られたものは経験と自信。
そして素敵な人たちとの出会いだった。
失ったものはひとつもない。
僕が得たもので1番大きかったもの。
それは旅をしたことで世界各地に友達とよべる友達ができたこと。
かつて英語が話せないときには外国人はすべて宇宙人だと思っていて、会話にならないのに仲良くなれるわけがないと諦めていた。
でも旅に出る前に日本で英語をイギリス人の彼女と特訓し、話せるようになってから旅に出てみて本当に良かった。
会話ができることの楽しさ、そして英語の大切さに気づいた。
そしてもうひとつ気づいたことがある。
かつて宇宙人だと思っていた人たちはみーんな同じ人間だった。
みんな笑うし、泣くし。
喜ぶし、怒る。
意地悪だし、優しかった。
みんな僕らと同じ人間だった。
今これを書きながら振り返ってみて改めて人の優しさに泣けてきた。
あの時あんな言葉をかけてくれた友達。
あの時助けてくれたおばちゃん。
あの時飲んで語った友達。
その時の適当に撮ったであろう、ふとした一枚にたくさん詰まってる思い出。
それは紛れもなく僕の宝になった。
話したこと、一緒に笑ったこと。
バカしたこと。
そんななんでもない瞬間が
ものすごく些細な出来事が
最高に楽しかった。
その瞬間はもう戻らない。
時間は二度と戻らない。
でも僕らはその瞬間、確実にそこで生きていた。
あなたと笑っていた。
いくつもの不思議な縁をつなぎ続けて出会えたあなたに。
一緒に時間を過ごしてくれたあなたに。
たくさんお世話してくれたあなたに。
出会ってくれて本当に本当にありがとう。
またいつか、この不思議な地球の何処かで会いましょう。
それまでどうかお元気で。
最後に、このブログを通して伝えたいこと。
それはほんの少しの勇気
ほんの少しの勇気があれば、きっと人はなんでもできる。
例えば、何かを始めようとするときに、理由なんていらないと僕は思ってる。
不安な気持ちを払拭する必要もない。
なぜならそもそも『人は生まれて来たことに理由なんてない。』と思っているから。
一人の人間として『生きる意味や理由』が見つかるのなんて、この世にオギャーとしてからずっとずっと後のことだと思っている。
そして理由なんて愛する人のためでも、仕事のためでも、夢のためでも、何でもいい。
生まれた瞬間の赤ん坊でさえ生きるために声を上げて泣き、泣くことで生きるための第一歩を踏み出す。
それと同じように、何かに挑戦するときにもただ一歩を踏み出せばいい。
一歩踏み出すと体は自然と次の一歩を踏み出す為に動き出し、自分の意志で足を止めるまでは歩きつづけなければいけない。
それはまるで人生のようで、足が止まった時は最後の時なんだ。
人は簡単に死ぬことはできない。
だから人は簡単に足を止めることはできない。
人は前に進むしかない。
そしてその先に何があるかは誰も知らない。
でも、やるしかないんだと思う。
迷う必要はない。
人になんと言われようと、やり続けていればきっと協力者は現れ、助けてくれる。
そうやっていろんな人を巻き込んで、1歩ずつ歩く。
他人と歩幅を合わせる必要はない。
ゆっくりでも、遠回りだろうとその1歩は確実に体を前に運び、確実に『まだ見ぬ何か』に近づいてく。
そうして最後に見えてきたものはきっとすごく素敵なものなんだと思っている。
それが人生なんじゃないのかな。
必要なのは最初の一歩を踏み出す少しの勇気だけ。
僕はそう思って生きているし、このブログを通してそういうことを伝えたいと思っている。
長くなりましたので、もう終わりにします。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
僕は来年日本に帰国し、インターナショナル美容室を東京に作ることが次の目標です。
1000人の髪は切ったけど、まだまだ僕の夢と旅は続きます。
...たぶん死ぬまで。
世界30ヶ国でカットしたなかで各国お気に入りの写真を最後に...。
2ヶ国目フィリピンのダバオでカットした韓国人のジェイ。
外国での初めてのカットでもあった。
3ヶ国目マレーシアのクアラルンプールの宿でカットしたチュニジア人のアダム。
初めてすごく仲良くなれた外国人だった。
4ヶ国目タイのバンコクでカットしたドイツ人のファビオ。
人通りの多いカオサンロードで。
5ヶ国目カンボジアのシェムリアップの孤児院で。
地雷で足をなくしてしまったダロくん。
夢を語る彼には勇気をもらえた。
6ヶ国目ベトナムのニャチャンビーチにて、韓国人のリー。
砂で即席の椅子を作って、海を眺めながら。
7ヶ国目ラオスのビエンチャンにて、日本人のタツローくん。
東南アジア各国をまたぐメコン川の前で。
またやってきたタイのチェンマイで生後初カットした、イギリス人のベイビー。
パパが『お前は生まれたばかりの頃クールな日本人にカットしてもらったんだよ』と伝えとくよと言ってくれた。
8ヶ国目ネパールのカトマンズにある世界遺産ダルバート広場にて、日本人バックパッカーのシホちゃん。
200人くらいの人に囲まれた。
9ヶ国目インドのバラナシにて、両親がいなくなってしまった孤児をカット。
素敵な笑顔に癒やされた。
10ヶ国目台湾の中原にある大学で、学生たちをカット。
毎日何人もの人が来てくれた。
11ヶ国目シンガポール
いろんなシンガポール人の家庭に呼ばれ、出張ヘアカットの日々。
また訪れたマレーシア。
世界遺産の街マラッカで、ふらりと来たおっちゃんを。
3回も来てしまったタイ。
この旅で何度も何度も再会した一番の旅友達やっちゃんをバンコクの王宮前広場で。
12ヶ国目イギリスのロンドンで。
お世話になった美容室studio90にて、イスラエル人のマリーをバッサリカットした。
13ヶ国目オランダはアムステルダムにて、旅人で元美容師のユウキくん。
一番有名なダムスクエアでヘアカット。
14ヶ国目ドイツ、ベルリン。
ベルリン大聖堂を眺めながら、インドネシア人のハンセンの髪を。
15ヶ国目フランスのパリにあるあの有名なエッフェル塔の前で。
日本人留学生のカズヤくん。
17ヶ国目イタリア、ローマのコロッセオにて。
タイで出会った韓国人の友達カニのカットを。
18ヶ国目ギリシャのアテネ。
19ヶ国目トルコのイスタンブール。
旅人美容師ジェロームとブルーモスクの前でフランス人カップルをカットした。
20,21ヶ国目北キプロストルコ共和国、キプロス共和国で、旅人のYuhさんをカット。
未承認国家の北キプロスにて。
22ヶ国目スペインのバルセロナ。
プロサッカー選手になるべく中学生で単身スペインにやってきたギンジくんをサグラダ・ファミリアにて。
23ヶ国目ポルトガル、リスボンにて。
毎日のように通っていたサンタカタリーナ公園でドイツ人の女の子を。
24ヶ国目アフリカ大陸モロッコのメルズーガにて。
オレンジの砂漠サハラで宿のスタッフのカットをした。
25ヶ国目ボリビア、ウユニで。
美しすぎるウユニ塩湖で日本人の松本さんのカット。
でも、汚しそうだったので毛が落ちないようにほんの少しだけ。
26ヶ国目ペルーのマチュピチュ遺跡にて。
ドイツ人のお兄さんを遺跡が見える山の上で。
27ヶ国目チリ、サンティアゴのプラザイタリアにて
1ヶ月以上滞在したこの街では200人以上の髪を切った。
28ヶ国目アルゼンチンのプエルトイグアスにあるイグアスの滝。
日本人のミサトさん。
29ヶ国目パラグアイのイグアス日本人居住区。
有名なペンション園田前にて、同じ宿のコウヘイさんを。
30ヶ国目ブラジルのリオデジャネイロ。
コルコバードの丘にある巨大なキリスト像の前でペルー人の女の子を。
またやってきたボリビア、ラパス。
前回来た時に仲良くなったボリビア人のカルラの髪を彼女の通う大学にて。
そして2度目のペルー。
1年ぶりの再会を果たしたツバサさん。
クスコの景色を眺めながら。
以上です。
それでは、また世界のどこかで...
☆1000 人カット国籍別 58カ国☆
日本、韓国、中国、台湾、香港、フィリピン、マレーシア、インドネシア、シンガポール、タイ、カンボジア、ベトナム、ミャンマー、ラオス、パキスタン、インド、ネパール、ロシア、イギリス、スコットランド、オランダ、ドイツ、スイス、デンマーク、スウェーデン、フランス、ポルトガル、スペイン、スロバキア、オーストリア、チェコ、キプロス、ギリシャ、ポーランド、ベルギー、ルーマニア、イタリア、トルコ、パレスチナ、イスラエル、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、南アフリカ、アメリカ、カナダ、メキシコ、エクアドル、ベネズエラ、アルゼンチン、ペルー、パラグアイ、チリ、ボリビア、ブラジル、コロンビア、ニューカレドニア、オーストラリア
★1000 人達成までに周った国
30カ国 ★
日本→韓国→フィリピン→日本→マレーシア→タイ→カンボジア→ベトナム→ラオス→タイ→ネパール→インド→日本→台湾→シンガポール→マレーシア→タイ→イギリス→オランダ→ドイツ→ルクセンブルク→フランス→イタリア→ギリシャ→トルコ→キプロス→スペイン→ポルトガル→スペイン→モロッコ→スペイン→ボリビア→ペルー→チリ→アルゼンチン→パラグアイ→ブラジル→ボリビア→ペルー
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