フィリピンにやってきて3日目です。
昨日はセブにあるクロスロードという語学学校でセミナーをさせていただきました。
スタッフさんからの依頼時のお題は【旅を仕事にする】という事でしたが、【スキを仕事にする】に勝手に変えて資料作りました(笑)
まあ旅人ばかりではないですしね。
昨日行ったセミナーの中で伝えたかったことは【これからの生き方】です。
いろいろ伝わってたらいいなと思います。
ほぼ同じ様な内容のセミナーを日本では次回福岡で行います。
一昨日思いついてイベント立ててまだ全然人がいないので福岡の方は是非に。
今日はフィリピンで気がついた、フィリピン人の仕事観について書いてみようと思います。
物価が安い国フィリピン
一昨日は1日セブ観光をしていました。
いや、観光というか、ただ行き先もよくわからないバスに乗って適当に降りて適当に歩く…というもの。
いつもの僕のスタイルです。
もうめっちゃゲーセンでバスケとかしましたから。
隣の少年に負けじとひたすらに。なんと1ゲーム(2回できる)10ペソです。
1ペソ=約2円なので20円ということです。
単純計算で日本の5分の1ほどですね。
中心部に行きそこから帰るはずが、地図もwifiもなかったので村みたいなところまで迷い込んでしまいました。
なんか馬車が走ってたり、裸足で駆け回る子供がいたり、なかなかに異国感が漂っていました。
フィリピンでは安いものは本当に安く、サービスもそれなりです。
逆に高いもの(主にモールに入ってる店やバーなど)はサービスも結構しっかりとしています。
意外とファストフード店も高いです。
なんというか”差”を感じることができます。
そもそもの物価が安いので、高いと言っても日本円からしたら安いのですが、その”差”というものは確かに感じられます。
先日書いたこちらの記事がなぜか未だに超読まれているのですが、この記事内でも少し書いたように日本ではその差はあまり感じられません。
価格の差はあれども、サービスの差がない。
安かろう悪かろうがない。
例えばフィリピンでご飯を食べようと思ったときに、屋台、ボロい食堂、普通の食堂、きれいなレストランなどにランクがわかれます。
きれいなレストランは日本とさほど変わりません。
屋台やボロい食堂だとクーラーもないし、屋台だとそもそも外なので周りにゴミがポイ捨てされてたり、犬とかも平気でウロウロしてます。
料理のクオリティも違うのかも知れませんが、個人的には味にそこまで差を感じないような気がします。
料理じゃなくても例えばビールなら味は変わりようがありません。
設備(家賃とか電気代とか)や、スタッフ(制服支給とか接客)、立地、店の清潔感、食器の高級感といったところに対してお金をかけているので、高いわけです。
先程リンクを貼った記事中でも書きましたが、日本は先進国と言われてるのに300円も払えば設備、スタッフ、立地、清潔感が整ってる店でご飯を食べられます。
ファストフードやチェーンのお店なんかそうですよね。
良いレストランと比べると、料金は数分の一です。
フィリピンの感覚に当てはめると、300円でご飯を食べるなら、路上で椅子でも並べて食べるくらいなレベルまでサービスの質は落ちるはずです。
日本には安かろう悪かろうという感覚はほまんどなくて、”安くてお得”という感覚の方が強いように思います。
この記事では「質がいいサービスを安く提供してると価値がどんどんさがるし、従業員も大変」みたいな感じで書いてましたが、フィリピンに来てみて「なんでそうなったんだろう?」ってふと思いました。
なんで安くてお得が当たり前になったのでしょう。
平均をとにかく求める日本人
昨日のセミナーの一部でこんなお話を少ししました。
「Price is up to you」
世界の路上で髪を切っていて、僕は人々に「料金はおまかせします」と言い続けてきました。
タダではなく”なんでもいいから対価をくれ”という意味です。
決してお金稼ぎのために旅して髪を切ってたわけではないので、金額は設定してなかったし、貰った金額がいくらであろうと気にしないようにはしてました。
実は最初は無料でやっていたのですが、自分がお金と時間をかけて学んできた事をタダでやるってのは間違ってると途中で思い始めてそうしました。
なぜタダでやっていたかというと【葛藤】が自分の中であったからです。
美容師は技術職でもあるしサービス業でもあります。
来店して帰るまでの間のサービスも含めたすべてに対して料金が発生してると思ってて、路上ヘアカットというのはサービスの観点でいうと最低です。
シャンプーなし、ドライヤーなし、鏡なし、雑誌なし…
ないものだらけです。
技術的な観点で言っても、環境が整ってないので例えばブローしてきれいに仕上げるとかっていうのは不可能です。
日本で数千円のお金を頂いてたからと言って、そのようなサービスの質が落ちてる状態ではお金はもらえないという判断だったのです。
でも「ずっとやってきたことなのに…」ってモヤモヤしてたので、料金おまかせで落ち着いたのです。
今までブログにも書いたことがなかったのですが、この料金おまかせ制度に1番なやんでたのは他ならぬ日本人でした。
それには2パターンあって、1つは最低料金を決めてくれというもの。
もう1つは“他の日本人の払った価格を教えてくれ”というもの。
つまりどちらも目安がほしいという事だったと思います。
もちろんみんながみんなではなかったですが、多くの人が平均を知りたがったり、最低ラインを僕に決めてくれと言いました。
他の国の人はそれぞれの満足度や自分の経済状況で判断していた感じでした。
なんかこれがすごく不思議だったんですよね。
その時は「同じ日本人だから気を使ってるのかな」くらいにしか思わなかったのですが、これって言い換えると自分ではサービスに対する値段を見極めて決定するのが苦手という事なのかもしれません。
これが国民性というやつなのでしょうか。
日本の人はよく気が利くみたいなのもあるので、そういう事なのかもしれないですが。
世界一周してカットした日本人は1301人中およそ2〜3割だったので、その他7割の外国人と比べるとやっぱりそこが1番違うな〜と思ったところでした。
選択ができない国民性?
消費者はサービスに対して適切な価格を見極められないから、平均を知りたがるのかもしれません。
その割にある程度のサービスの質は求めてるので、価格が安かったとしてもサービスが悪いと文句を言ってしまうのだと思います。
フィリピン人(というかどこの国の人も)安いものはそれなりのサービスだとわかってて利用しています。
逆もまた然りです。
一人ひとりが自分の価値観と経済状況を照らし合わせて“選択”をしているわけです。
犬が足元うろちょろしてようが、安くご飯が食べられればそれでいいし、ビール1杯の値段が高くてもクーラーがきいてればそれで納得をします。
つまりそれぞれの特徴がそのまま価値として値段にあらわれてて、そこに平均点というのはないように思います。
日本ではサービス提供側も、消費者も、平均ばかりを求めて適正価格を見失ってるのかもしれません。
美容室にしても、本当はそれぞれのお店で力を入れてるところ、抜いてるところがあるはずなのでもっと価格に差が生まれてもいいように思います。
安くするならその分何か無くすべきだと思います。
安い居酒屋だって1000円くらいの激安飲み放題頼んどいて提供が遅くてキレる人とかいるけど、嫌なら1杯500円の店に行けばいいと思います。
すぐ出てきます。
満員電車だって嫌ならタクシーを使えばいいのだと思います。
安い電車を選択して、人が多かったり止まったりして駅員にキレるというのはやっぱり僕は違うと思うんですよ。
嫌ならタクシー乗れよ…と。
そのお金がないなら我慢しろよ…と。
自分の売れるもの、自分が買えるものをしっかりと選択しないというのはよく考えたらすごく変なことですよね。
平均や周りばかりを気にせず正しい選択をするのは、僕は大切なことだと思います。
それぞれの価値観や状況で判断して、意思決定した方がいいと思います。
なんでも最後に決めるのは自分。
何でもかんでも自分次第です。
昨日のセミナーでも最後はそんな感じで締めくくりました。
なんか流れで働き方セミナーみたいなの最近よくやらせてもらってますが、その度に僕自身も勉強する部分があるのですごく為になります。
それを忘れないためにも、フィリピンに来て感じたことと一緒にここに書いてみました。
それでは。