インドの火葬場。最大の聖地バラナシで燃える遺体を見て人は何を感じるか?

ガンジス川で火葬

 
ヒンドゥー教最大の聖地である“バラナシ”という街・・・。

インドの中でも特に長く滞在したのこの不思議な宗教都市での生活の中ですごく考えさせられたストーリーを一つ・・・。

この日は9月4日、バラナシ8日目

昼ころ、ガンジス川に行きたくて外に出た。

10円ソーダを飲みながらトコトコ歩く。

まずはご飯を食べたくて、適当にレストランに入ってチョーメンっていう、焼きそばみたいなやつを食べたんですよ。

ネパールだとどこにでもあったからネパール料理かと思ったら、インドではチャイニーズ料理というところに分類されていた。

これね、新潟県民なら知ってると思うけど、新潟のB級グルメイタリアンに結構似てる。

ちなみに僕、B級グルメとB級スポットは結構行きましたから、日本各地。

詳しいですよ。←何アピール

街からガンジス川沿いへは階段を下るといけるようになっていて、川から見上げると上の方に家が見える。

なんかオシャレなような、そうではないような、、、。

川沿いには動物がたくさんいる。

羊?ヤギかな?

コイツ100メートルくらいうしろをついてきたんだけど

僕を紙かなんかと間違えてるんでしょうか。

それから水浴びしてる牛。

野良牛。

お前らなんか嫌いだ。

のんきに水浴びなんかしやがって。

未だに背後から頭突きされた事を根に持ってるんだからな。

おかげであれからいかなる牛も避けて歩くようになったじゃないか。

別にビビってるわけじゃない。

ただ、すれ違うときに心臓ドキドキさせてみたり、ササッと素早く静かに歩いたり、気配を消すようにしてるだけ。

忍者の如くだよ。

忍者やったことないけど。

日本帰ったら牛丼大盛りツユダクだからなザマーミロ。

それから、一度宿に戻り、本日カットしたのは

鳥取大学のまさやくん

めちゃめちゃ鳥取のこと馬鹿にしてました。

彼は、インドに来てデリーについた時、知らないインド人にいきなり『○○○横綱』と言われたという伝説をもつ。

○○○は、ちょっと生々しい下ネタすぎてココには書きたくないですので、想像にお任せします。

なんでもいいから思いついたまあまあレベルの高い下ネタに『横綱』足してみてください。

それをいきなり知らんインド人に言われたという事を想像すると、何故か笑えてくるはず。

今日カットしたのは、彼1人だけ。

最近いつも2~5人切ってたから1人って珍しい。

ちなみにこの日でカットしたのが連続9日

最高記録はタイにいた時の10日なので、明日切れば記録並ぶね。

そして、夜はプジャーっていうお祭り?を見に行った。

お祭りというか、ガンジス川へのお祈り。

お祈りなんだけど、踊ったり音楽が流れたり、お祭りみたいではある。

これは毎晩やるらしい。

迫力があって凄かった。

火を灯して、祈る人々を見てると

まるで異世界に迷い込んだかのような感覚に陥った。

なんか、青森のねぶた祭りを見た時の感動と似てた。

ねぶたを引いて音楽を奏でて、踊る人々、、、

あのお祭りを見た時の純粋な感想なんだけど

『言語や文化が変わっても、価値観や時代が変わっても、祭り(ねぶた)の形や、やり方は多少変わっても、ここに生きる人々は、遥か昔から同じ事やってるんだ、、、。

この人達は、この土地に生まれたから、ずっと昔の人から何代も続いてきた伝統を守ってる。

それを見た子どもたちがまた同じことを繰り返して後世に伝えていくんだ。それはきっとそういう運命であって、それって、伝統って本当にすごい。』

っていう驚きと感動。

なんかその時の感情と似てた。

実は、今日ガンジス川へ行ったのには理由があった。

火葬場へ行って来た。

そう火葬場。

写真に写ってるずっと向こうで煙が上がってるのがそう。

聖なるガンジス川(ガンガー)の周りに広がるバラナシにはインド各地からたくさんの巡礼者があつまってくるという。

さらにたくさんの遺体もインド各地よりやってくる。

それはなぜか?

ヒンドゥー教の教えにより”人々は生まれ変わる度に苦しみに耐えねばならない”とあるようなんだけど、バラナシのガンジス川の近くで死んだ者は、その輪廻から解脱できると考えられているそうだ。

ここには二つの火葬場があり、多い日は100体近い遺体が金や銀の布にくるまれ各地から運び込まれるらしい。

そして24時間、常に遺体が焼かれている・・・。

僕も含め、ここにくる旅行者ははっきり言って好奇心から見に来ただけの人たちだと思う。

それが良い事が悪い事かと言ったら悪いことなのかもしれないけど、僕は見に行った。

『本当の火葬』が見たかったから。   

かつてじいちゃんが死んだ時、僕は泣いた。

でも棺桶に入り、お通夜が終わって火葬してる時って不思議ともう悲しくなかった。

名前で呼ばれていたヒトが、遺体と呼ばれるようになり、火葬したら骨と呼ばれる。
 
顔や体や手はどこに行ったんだろう。

強い日差しの中、火葬場の階段に僕は腰掛けた。

そのわずか30メートルほど先では炎が立ち上がり、何かが燃えている。

その中に真っ黒になった手と頭のようなものがある事にはすぐに気が付いた。

じっと見ていると、時折風向きが変わって、風に乗って灰がまってきたりする。

人間の体は意外とおかしな匂いがするわけでもなく、バーベキューみたいに炭と肉を焼いてる匂いと同じだったのが意外だった。

その間も、続々とオレンジや黄色の布で覆われた遺体が竹でできた担架に乗せられて、人々に担がれてその場所にやってくる。

遺体が燃えている間、焼き場の男は長い竹のようなもので、死体を叩いたり突っついたりしている。

叩くと、油が出てジュージューいって火が上がるのがわかった。

タイヤを棒で叩いた時のような跳ね返りと鈍い音が聞こえ、また男は時に足や腕をつかみ燃えやすいように位置を変えたりする。

つまり、ボキッと。

それは燃えやすくするための作業という感じでたんたんとやっていた。

そんな遺体が燃えてる場所の周りには、匂いにつられてから野良牛や野良犬がたくさん集まってきていた。

火のそばによったかと思えばくるっとそのまわりを回ったり、なにか食べ物を探してるようだったのがまた印象的だった。

炎天下の中、炎で火葬場のまわりの温度が余計上がっていき、そして黒い煙と灰が空にどんどん舞っては降り、舞っては降り。

汗でベタベタする僕の腕や足に、灰がくっついても不思議と気持ち悪いとかは全然思わなかった。

しばらく見ていて、薪が燃え尽つきるころになると、これが人だったのかと思うくらいの小さな黒いモノになってた。

親族は焼き場の男と一緒にその黒いモノや骨をそのままガンジス川に投げ込む。

そうしてガンジス川に流された遺体や灰は、そのまま海へ行き、空に登り、雨としてまた地上に降ってくる。

そしてまたこの世に生をうけるのだろう。

周りで見てるインド人たちは、笑って談笑してる人もたくさんいて、その場にはお葬式のような暗い雰囲気は不思議となかった。

焼き場の男たちにしろ、まわりで見物してるインド人にしろ、そこには特別な感情はないように思えた。

日本でも、火葬されてる時って、周りで待ってる人はビール飲んでみたり笑って話してみたりして待ってるところを見ると、似たようなもんなのかな・・・。

インドで見た火葬の様子は、とても衝撃的だったし考えさせられた。

“遺体を見たこと”ではなく、人の最後の最後を見れたことが。

形がなくなり灰となって川に流されてしまえば、その先は残された人間たちの想像の世界になってしまうのかもしれないし、天国だとか輪廻転生だとかはよくわからない。

でも、亡くなった人が人としてこの世に形がある最後のその瞬間までは、周りの人もしっかり見届けてあげたほうがいいんじゃないか、と僕はその時思ったりもした。

いつかは親だって自分だって、ああやって燃えてなくなるんだ・・・。

日が暮れた頃、そんな事を思いながら数時間じっと座っていた火葬場を後にし、死者が葬られる聖なる川を歩き出した。

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