時代劇でお馴染みのちょんまげを作ってきました!
現代ではまず見ることのないちょんまげなので、当然美容師といえど作ったことがない人がたくさんいると思います。
今日はそんなちょたと変わった経験をしたお話と、ちょんまげの歴史について書いてみようと思います。
「ちょんまげにしてくれませんか?」
半年くらい前のこと。
当然メキシコで出会った友達からこんな連絡が来ました。
「友達がちょんまげヘアにしたいらしくてやってくれる美容師を探してるんだけど、どうかな?福岡県なんだけど」
マ、マジか…
やる。やります。やらせてください!
そんな面白い話に食いつかないわけがありません。
早速そのちょんまげ希望の方と連絡を取り合いました。
何回か相談をしつつ、だいたいこんな感じで行こうというのが決まりました。
当日を迎えるまでに練習をしようかなと思っていましたが、流石に練習相手になってくれる人がいるわけもなく、かと言ってウィッグ(マネキンの首のやつ)を剃るのもなんかもったいなくて、事前リハーサルのみでぶっつけ本番でいくことにしました。
9/10福岡県北九州市の小倉に到着し、寺本さんと合流。
人当たりの良さそうな方です。
聞けば寺本さんはengelというカフェアンドバーを経営されてて、4周年をむかえるこのタイミングで「ちょんまげにしよう!」と決意されたそうです。
すごい…(笑)
お店につくまで車の中で色々伺ったのですが、engelは一言でいうと大人になりきれない大人の夢が詰まった場所という感じでした。
もちろんお酒が飲めるので大人向けなんですが、ゲーム、漫画、DVDが超大量に置いてあり、冬はこたつ、夏は流しそうめんの竹が登場し、完全に遊び場。
寺本さん自身も「儲けより楽しさが大切」みたいな考えの方なので、いろんな人が遊びに来るようです。
あれ、なんかちょっとUp to youに似てる…と思って親近感がすごくわきました。
小倉に住んでたら完全に入り浸ります。
到着し、お話どおりのお店をちょっと見学してかるくリハーサル。
そのときに気がついたのですが、長さが足りないのです。
ちょんまげは意外とロン毛(胸くらい)じゃないと結った時にあの”ちょこん”とのるやつが作れないのです。
これはやばい…と思ったけど無いものは無いので、残り一時間でなんとかする方法を考えました。
ラーメン食いながら。うまかった。
その間に寺本さんは着付けに。
ガチです。
店内をよく見たら月間スケジュールが書いてある看板があることに気が付きました。
9/10を見てみると4周年イベントのはずなのに「ちょんまげ祭り!」とかなってます。
そっちメインかい!(笑)ってちょっとツッコんでみたらなんかそういう流れになってしまったとのこと。
今回は僕がその後ベトナムに行ってしまうため、持参できない道具は用意していただきました。
一応用意したものはこちら。
- ハサミ一式
- バリカン
- ポマード
- ハードスプレー
- シェービングクリーム
- T字カミソリ
- 黒ゴム
- 白いヒモ
髪につけてたという油がなかったのでポマードで代用。
結う時には100均とかでも売ってる小さい黒い輪ゴムと、それを隠すために白い紐をぐるぐる巻くことにしました。
ちょんまげの歴史とは?
そもそもちょんまげ(丁髷)とはなんなのでしょうか?
個人的にはちょんまげって何か江戸てやんでい!なイメージだったんですけど、調べてみると1000年以上もの歴史をもつものらしいです。
飛鳥時代に中国から冠や烏帽子をかぶる文化がやってきて、貴族の間でそういった文化が広まったそうです。
たぶん一般人は違うのでしょう。
それをかぶっていると頭が蒸れてやばいことになるので、その防止策として髪を後頭部で縛るという髪型が生まれたそうです。
いわゆるポニーテールですね。
その後貴族から武士にちょんまげ文化が広まりました。
理由は同じで、戦の時にかぶる兜で頭が蒸れるので、それならいっそのこと剃っちゃおうという事になったそうです。
つまり[ちょんまげ=戦スタイル]ってことなんですね。
そこから鎌倉時代→戦国時代と時は流れ、江戸時代になり戦がなくなるとみんなちょんまげをやらなくなったそうです。
髪を切るという文化がそもそもないので、平民は髪は伸ばしっぱなしで汚らしかったとか。
武士達はそれを嫌って日頃からちょんまげにしていたそうです。
その方が清潔感があって人々から好まれたようで、次第に平民にもちょんまげスタイルが定着していったようです。
その頃流行ったのが「銀杏髷(いちょうまげ)」というもので、今イメージするちょんまげとはまさにこの銀杏髷のこと。
コロスケなりーのあのギュイーンってなってるサムライヘアーってもっと昔なんですね。
知らんかった。
銀杏髷は職業によって多少違いがあったようで、髷を小さくしたり大きくしたり太くしたり、いろいろなタイプがあったようです。
また時代は変わり、明治時代になって散髪脱刀令というのが出されたことをきっかけにちょんまげ文化は終わりを告げたそうです。
その令の内容は「一般人は髷を結わなくていい」というもので、逆に言うと切れよってことだったようです。
なので明治以降の人はみんな髪が短くなってるんですね。
髪型の歴史っておもろいですねほんと。
ちょんまげやってみた
ちょんまげ祭りというタイトルからしても想像できるとおり、このちょんまげ作成は重要項目になってしまっているようで、なんかめっちゃ紹介してもらいました。
当日は様々なお客さんが祝いに駆けつけていて、寺本さんの要望でその方たちにもちょっと手伝ってもらうことになりました。
まず髪を取りわけます。
あのツルツルの部分は月代(さかやき)というのですが、そこを分けとります。
そしてその部分にハサミをいれてもらうことに。
普段は仕事のハサミは絶対貸したりしないのですが、その時持ってたのは海外用の2軍と3軍だったので、その中の最悪壊れてもいいやってやつを渡して切ってもらいました。
でもやっぱりバリカンのが良くないか?ということになり、バリカンで。
すごい光景です。
みなさん「こわいー」とちょっとテンパり気味でしたが、上手に刈っておりました。
わからないという方には「ここやっちゃってください」と毛束をわたす。
ハタから見たら完全におもちゃです(笑)
おおおおお…
あられもない姿に…
もう前進するしかありません。
そこからは僕が交代してひとまずバリカンで形を作りました。
そこからクリームをつけてシェービング。
なんというか、初体験すぎて。
剃ることの難しさを知りました。
この時が1番集中してたかも。
ちなみに理容師免許がない美容師はやっちゃダメなんですが、法律では「業」でなければOKなので、単発1回目ってことでOKでしょう。
※業とは営利非営利問わず反復して行うこと
まあちょんまげやりまくってたらアウトって事ですね。
自分で剃ってもらうのならたぶんOKなのかな。
まあいいや。
キレイに剃ったら一度洗い流します。
そして乾かす。
後ろ姿がえげつないことになっています。
前から見ると完全に落ち武者です。
ここからが腕の見せ所。
髪を結って髷を作っていきます。
僕はサイドとバックで3つに分けて作ることに。
まずはバックを1つにまとめます。
次に両サイドを後ろに持ってきてまとめます。
なんかこれはこれでかっこいいかも。
最後にポニーテールのテール部分をくねっと曲げて月代の上に乗っけます。
最初に書いたように長さが足りないので、折り返しの部分がちょびっとしかありませんでした。
前から見ても見えないレベル。
これがすごく難しかったです。
長さがあれば調節できますが、毛先もスカスカしてるのであえて毛先を広げてスプレーで固定。
ホントはまとめてツヤっとするのですが、まとめてしまうとあまりにも細くて存在感がなくなっちゃったので苦肉の策ということで。
そのままにしとく予定だったもみあげがなんかモシャモシャして気になったので、最後にもみあげを整えて…
何はともあれ…
完成!
記念撮影をしていたので一枚もらいました。
完全に教科書に乗っててもいわかんないレベルです(笑)
そこからみんなで近くの小倉城へと向かいました。
そちらでも撮影するそうです。
途中の神社でなんか参拝してました。
道行く人がヒソヒソしているのがわかります。
外国人観光客はこれでもかとかくしどりをしていました。
いいなー今日1日ヒーローなんだろうなーとなんか羨ましくなりました。
次の予定が福岡であったため残念ながら僕はここでお別れ。
最後に総理大臣と大統領のあれっぽく写真をとりました。
ちょんまげの存在感と、35年物の母から受け継いだバックパック(世界一周したやつ)の存在感がすごすぎて僕が1ミリも目立ち見えません。
さようなら〜!ありがとうございました〜!!!
ちょんまげは奥が深い
やはり反省点もいくつかありました。
月代の幅とか奥行きとかも手探りだったし、曲げの結い方も手探りでした。
喜んでくれたようだったので良かったですが、ちょんまげはシンプルに見えて奥が深いということがわかりました。
なんかこれを機に昔のいろんな髪型とかに挑戦してみたいなーとひっそり思うようになりました。
女性の日本髪とか。
「卑弥呼様ーーー!!!」のやつとか。
誰かもしやらせてくれるって人いたらご連絡ください。
いないか(笑)
engelは北九州市小倉のJR西小倉駅を降りてすぐのところにあります。
かなりゆるい遊び場って感じなので、ゲームや漫画や人とワイワイするのが好きな方は是非寺本さんに会いに行ってみてください。
ホームページ→engel
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