僕はあんまり人と一緒にいる時に自分から進んで自分の考えはどうだこうだと言いません。
言うときもあるんだけど、それは聞かれたりとか、なんかそういう話の流れになったときくらい。
なければ自らあーだこーだと話し始めることはほとんどありません。
セミナー講師とかコンサルとかやってるものの、元々ペチャクチャ喋るようなタイプでもないから嫁といても結構無言です。
でもたまーに、ふと道を歩いてたり、ビールを飲んでたりすると積を切ったように話し始めることがあります。
フッと考えが湧いてきて、それをペラペラ話したくなる…
そういうことができる相手は僕の仕事も生活も性格も知ってる嫁だからこそなのかもしれません。
自分でもなぜ急に何かを思いついて、それを話したくなるのかよくわかりません。
ところで僕がブログにいろいろ書いている理由の1つには”アウトプット”という目的があります。
例えば人から聞いた話や見たものや思ったことを人に話したり、文章におこすと記憶に定着します。
英語のスピーキングなんかと一緒で、アウトプットすることによって本当の知識となっていきます。
セミナーとか美容室での仕事でないかぎり人にペラペラ話すのが苦手なので、こうして文章におこすほうが僕としては気が楽です。
だからブログネタが永遠に尽きないし、続けられるのかななんて思ってます。
またブログやってる理由はそれだけじゃなく、自分の考えをシェアするという目的もあります。
夢も口に出さないと叶わないように、自分の考えを発信していかないことには、協力してくれる味方も増えていきません。
価値観が違う人からは否定される事もあるけど、それは味方を得られる代償みたいなものです。
無関心でいられるよりはずっといいのかなって。
今回はそういうシェアの意味も込めて昨日キャンベルに歩きながらペラペラ話した内容について書いてみようと思います。
誰かが作った「旅行」の常識
これは完全に持論であって、その他旅行者を否定するわけじゃないのですが、僕はきっと多くの人と【旅行】というものの概念が違います。
例えば今来ているベトナムも素晴らしいところなのですが、もっとわかりやすくお隣カンボジアのアンコールワットを見に行く旅行をするとします。
まずなぜアンコールワットに行きたいと思うようになったか?を考えてみると、だいたいが「写真や映像」からの視覚的な情報により行きたいと思うようになります。
そのためには飛行機に乗らなければなりません、ホテルもとらなければなりません、ご飯も食べなければなりません。
ツアーで行くにしても、自力で行くにしても、いろんなところでお金を払ってアンコールワットを見に行くわけです。
これが一般的にいわれる旅行です。
でもこれは僕からしたら旅行というよりは”確認作業”です。
見たことがあるもの、知ってるもの、ネットで情報を得られるものにお金を払う。
それはそれを常識化した誰かが作った波に単に乗っている状態なのだと思います。
誰かが昔こう言ったんです。
「旅行とは、乗り物に乗って、いいホテルに泊まって、いいレストランでご飯を食べて、観光すること。つまり娯楽だよ。」
人々はそれを疑うことなくお金を払う。
見たことがある建物や景色を見て「おっきかった」「小さかった」「ボロかった」など感想を述べる。
写真を撮ってSNSに投稿する。
でもそれって“誰かにとって都合の良いように作られたものであり、本質ではない”んじゃないかと思うんです。
だからなんか僕の中ではすごく違和感だったりします。
物事の捉え方は人それぞれなので旅行とはなんぞや?みたいな話は本来どうでもいいことですし、もちろんどう感じようとそれぞれの自由なんですが…。
作られた常識の中にいると思考停止してしまう
例えば、なぜ女子会をするのか?
なぜ関東でも2/3に恵方巻きを食べるのか?
なぜクリスマスにチキンを食べるのか?
考えたことがある人ってあんまりいないのではないかと思います。
実はそれらは全部意図的に作られたマーケットだったりします。
女子会は居酒屋チェーンのモンテローザ、関東の恵方巻きはセブンイレブン、クリスマスチキンはケンタッキーが仕掛けたもの。
それが文化とか常識として定着し、今ではみんなが当たり前にそれらを楽しむようになったわけです。
旅行も同じく、誰かが仕掛けたマーケットでしかありません。
そこに当たり前にある常識を信じて疑わないことは、ある種の思考停止状態なのではないかと僕は思います。
美容師でも、料理人でも、学生でも、サラリーマンでも、旅人でもなんでもそうなのですが、常識を疑わずに思考停止していると、本質的なことにはなかなか気がつくことができません。
仕事でも人生でもなんでもそうなのですが、成功の秘訣は”新常識を作ること”だと思っています。
常識を疑わないと新常識は作れないし、新常識を作れないとその世界で突き抜けることはできないものです。
恵方巻きにしろ、女子会にしろ、それらが生まれたきっかけは”疑うこと”だったはずです。
常識を疑いはじめると、ものすごく考えるようになります。
「じゃあどうすればいいか?」「これを無くしたら代わりに何ができるようになるのか?」「これを作ったらどうなるのか?」
とにかく考えて、必要な情報を集めて、そしてやってみる。
実験して、失敗もして…
何度も何度も…
何事でも成功するために必要なのは“その過程で得られる様々な経験や気付き”なのだと思います。
それらはそもそも疑うことをしなければ手に入らないものです。
何でもかんでも片っぱしから疑うことは無理ですし、信号無視していいかと言ったらそんなことはありません。
だけど自分の仕事や生活に関するものだったら疑っていっていいのではないかと思います。
その疑い、思考がないと人は成長していきませんし、変化や改善をせずに現状を維持することは結果として衰退はしていく原因になります。
例えば自分の居場所がない美容師に、美容室の空いてる席をシェアするコミュニティサロカリはある疑いから生まれたものでした。
「なぜハサミさえあれば働ける美容師は土地に縛られるのか?」
「なぜ既にあるものを使わずにどんどん新しいものを作るのか?」
そういう疑問があったからいろんな事を考えて、法律や保健所の情報を得て、挑戦と失敗を繰り返して…
そして今、170名が所属してくれてる大きなコミュニティとなり、様々な結果を残すことができました。
新しいものを知る事に意味がある
話を戻すと、僕の中では【旅行=新しい情報を手に入れる】ということだったりします。
ツアーでもなんでも、知らない土地に行けば、少なからず新しい情報は手に入ります。
「あーベトナムはこんなにバイクが多いんだ…」とか「ベトナムでありがとうってカムオンって言うんだ…」とか。
そういう発見が多ければ多いほど、様々な発想が生まれてきます。
「こんなのいいな」「あんなのいいな」
その発想が常識を疑うきっかけになり、そして考えて実験を繰り返すことで成功へとつながります。
例えば、ベトナムでは路上にバーベキューコンロみたいなの出してエビを串にさして焼いてたりします。
美味しいエビを炭火で路上で焼いているなんて日本ではまずありません。
ベトナムならではかと思いきや、よく考えたらエビはエビです。
ベトナムで焼こうが、日本で焼こうが、エビはエビです。
なんならアルゼンチン産かもしれません。
もっというと、ベトナムのフォーは日本でだって食べることができます。
その既に知っている情報にお金を払うことは確認作業です。
「やっぱエビはうまい」
その確認作業は発見とは言えません。
例えばベトナムのフォー屋さんでは付け合せで謎の生野菜盛りが出てきます。
ベトナム人はその葉っぱをフォーにのせるのか?そのまま食べるのか?ソースをかけて食べるのか?
その一見どうでもいい新しい情報が積み重なると発見となり、疑問となり、新常識となり、成功となります。
成功をおさめる人は、いつも新しい発見をしていますし、探しています。
結局は考えたり、実験したりする過程が大切なのですが、必ず新しい情報や発見からすべては始まります。
日々の生活の中で常識に飲み込まれて思考停止している状態や、ただ誰かが作ったマーケットの中でお金を使っていると、なかなか新しい情報は入ってきません。
スマホを見てればあれこれ情報が勝手に入ってきますが、現代人は99.9%を処理できてないそうです。
SNSだってテレビだって情報をボンボン流してきますが、ほとんど頭には残らないんです。
ならば情報は自ら探した方がいい。
自分の興味の対象、自分の仕事に関する新しい情報をどのように得るか?
そのためにどのようにお金を使うか?
ということがとても大切なのかなと思います。
かと言って、もちろん僕も観光はします。
確認作業も時には大切だし、人と合わせる事も大切です。
でも…
“そればかりやってては抜き出ることはできないし、成功もおさめられない”
僕はどうせやるならいろんな事で成功したと思えるようになりたいです。
成功って何をもって成功というのかはわかりませんし、本当は成功なんてないのかもしれません。
だけど、せっかく働くなら、せっかく生きるなら何かしらは結果を残してきたいと思っています。
思考停止せず、物事を疑うことから始まる…
そんなお話しでした。