僕自分で言うのもあれですけど超ワガママです。
嫌なものは嫌、好きなものは好き。
素晴らしいとみんなが評価しててもピンとこなければなにも感じないし、ゴミみたいなものでも何か感じれば大切にする。
正直すぎて逆にめんどくさい性格だと思ってます。
とはいえ大人なので礼儀というか、気は使いますが…。
嫌なことをやらされそうになればやんわりお断りしますし、嫌だなと思う人からは何も言わずにシレッと遠ざかります。
僕はそもそも「我慢」と「無理する」というのが嫌いです。
まじで無理です。
そんなこと言うと「高円寺のクズ」とか言われそうですが、僕には僕なりの考えがあって、なんとなく書いてみようと思ったので書いてみることにしました。
我慢したい人なんているの?
そもそも「我慢したい人」っていないと思うんです。
そういう状況だから仕方なく我慢してたりするわけで、別に望んでるわけじゃないでしょ?と。
でも「我慢は嫌いです」とか言うと「杉並区のクズ」とか言われるわけです。
不思議。
我慢せざるを得ない状況は人生のなかで多々あると思います。
多々あるから”我慢したら成長できる…”みたいな感じでとらえてる人がたくさんいて、そういう人に怒られちゃうのでしょうか。
僕は嫌なことからとことん逃げまくってやりたい事しかやらないスタンスですが、とりあえず毎日すごいスピードで成長してます。
ってことは…
むしろ実は我慢しないほうが成長早いんじゃないか?という風に思うようになりました。
我慢というのは耐え忍ぶこと。
そして不満があることを言います。
我慢の限界=不満度MAXという意味です。
辛抱というのは辛い状況を耐えること。
だけど不満がないことを言います。
例えば買いたいものを買うためにいろいろ節約することは我慢ではなく辛抱です。
でも目的もないのに節約を強制されたらそれは我慢です。
辛抱は僕はアリだと思います。
「耐える」というのは絶対的に必要だからです。
僕がなぜ我慢をしないかというと、上に書いたように辛抱は「自分のやりたいことのために今は耐えよう」なので自分のためですが、我慢は「人のため」だからです。
我慢して働く。
我慢して待つ。
「やりたくない」と心の中では思ってるけど“やらざるを得ない状況”だからやっているのが我慢です。
僕は不真面目でワガママなので、その”誰かのためにやらざるを得ない状況”がすごく無理です。
なので、そうなったら全力で逃げます。
なぜ他人のために自分か耐え忍ばなきゃならないのか?
そんな理不尽な話はないと思うからです。
というか、どこの世界に他人のために一生懸命耐えたいという人がいるのか?
たぶんそんな人いません。
いたら神です。
親、子供、恋人、恩人、友達、その関係性で何か耐えることがあればそれは辛抱です。
自分の意思で「この人のために」と思ってるからそれは辛抱。
この違いはとても大きいと思います。
頑張り方を間違えると大変なことになる
頑張るとは【あることをなしとげようと、困難に耐えて努力する。 】という意味があります。
その”あること”が何かがとても重要だと思っていて、誰のために?何のために?頑張るのか。
これがわからないままする努力や頑張りはただ辛いだけです。
子供の頃を思い出してみると無理して何かした事ってないんじゃないかと思うんです。
例えばサッカーしてたとか、野球してたとか、ゲームしてたとか、それは「好き」という気持ちがそもそもあって「楽しい」と思うから続くのだと思います。
うまくなるために頑張っても、それさえも楽しいと思えてたはずです。
子供は純粋だから、我慢してまでやるくらいなら「ヤダ」と言ってしまいます。
なので無理してなにかしてる子ってあんまりいないと思います。
親にやらされてるとかだとあり得ますが…
大人になると「気を使う」「目を気にする」という事をするようになり、嫌々でもやらなきゃいけなくなる場面がやってきます。
嫌だという不満がある時点で、「頑張る」というはつまり我慢していることであり、その状態というのはむしろ成長をストップさせてるのではないかと僕は思います。
自分の意思や方向性と違うこと嫌々やってても、たくさん得るものがあるとは思えないからです。
それに不満のなか努力をするというのは思ってる以上にストレスたまるし、キツイ。
1回とか1日ならまだしもその状態を続けてるのが”無理してる”って事になるのかなと思います。
そんなんはマジ無理ゲーです。
そういう状況になったら逃げて逃げてってやってきた結果、今の自分になりました。
今やってる仕事や生活や何でもかんでも全て”やりたいからやってる”という状態で、根本的に好きとか楽しいという気持ちがあるから幸せです。
局地的に忙しくてあんま寝れないときなんかもありますが体はキツくても精神的にキツいというのはまずないです。
目標や目的を達成するために努力は絶対に必要ですが、好きなことを成し遂げるためにする努力って辛いですか?
僕は全く辛いと思いません。
それはきっと誰もが同じだと思います。
誰かのためにする我慢は本当に辛いものです。
でもその状況に頑張って耐え、無理をしている人がたくさんいます。
「どうしようもない」と諦めたらそこで試合終了だよと安西先生が言ってるように、その状況を変えることを諦め無理し続けるのも、思い切って変えるもその人次第なのだと思います。
僕は社会人になってある時から我慢をするようになり、それをし続け、無理をし続け、ある日逃げ出しました。
後ろ指さす人もいたと思います。
「今までの経験が無駄になるぞ」「後悔するぞ」
そう脅されました。
でも僕は逃げました。
その人達の顔がとても疲れているように見えたからです。
やらされてると思うことは無くして、本気でやってみたいと思うことにトライして、自分のためにMAX努力して、その経験を糧に生きてみると世界が変わりました。
繰り返す毎日なんてなくて、全てが新鮮で、友達もたくさんできて。
毎日嘘みたいにいろんな知識や情報が吸収できて、成長したなーと自分でも実感できて。
その中で耐えなきゃいけないことなんか山のようにありました。
でもそれは辛抱でした。
必要な耐えだから不満はなかったし、病んだりもしませんでした。
今は嫌だなと直感で思ったらすぐ逃げる癖がついてしまいました。
だからなんか子供の様に生きています。
それでも自分も家族も仲間も幸せみたいなので、これでOKなんだなと思ってます。
逃げ出す事は悪いことではないと、自分で証明したというか、なんかそんな感じです。
【逃げるが勝ち】
そんな事をむかーし昔誰かが言ったようです。
逃げるのは卑怯なことではなく、無駄な争いや勝ってもあまり意味がないことなら逃げたほうが得だよ。
って意味なのだとか。
いつから”我慢が勝ち”みたいな風潮になったんでしょうね。
不思議です。
我慢してたら人生が終わった…とか考えただけで恐ろしいです。
ところで、キャンベルは一昨日も深夜に生姜焼き定食大盛り食ってたんですよ。
こんなこと書いててアレですが、そこは我慢しろよとか思うんですけどね。
でもそうやって押さえつけたりすると「夜中に生姜焼き定食食わせてくれないので離婚!」とか言われるんでしょうね。
もうほっとこ…