先日書いたこの記事がなんか結構反響あってびっくりしてます。
美容室Up to Youの過去と未来の話。今年南米ウユニに移住します。
いろいろ応援してくれる方もいて、ありがたい限りです。
フェイスブックにもいろいろとコメントしてもらったんですけど、その中の一つがちょっと気になったので記事にしてみることにしました。
自分に忠実に生きるということ
自分に忠実に生きていますか?
いつか母親に言われたことがあります。
『みんなあんたとは違う。平凡な生き方もある。』
母親の目に僕がどう映ってるのかはわからないけど、僕はただ自分に忠実に生きているだけだったし、別に変わってはいるけど平凡な人生であると思っています。
そんなことを言われて、平凡とはなんなのだろう?と考えたこともありました。
平凡とは『優れたこともなく、並なこと』を意味します。
普通って言葉と近いと思います。
例えば、日本人からしたら南米での暮らしは平凡とは言えないかもしれません。
強盗に合うかもしれないとか、お湯が出ないとか。
でも災害が少なかったり、人々が陽気で踊ってたり。
今年移住をしようと考えてるボリビアの人たちからしたらそれが”平凡”なことなのだと思います。
逆に日本での生活はボリビア人からしたら平凡とは言えないでしょう。
つまり平凡なんてものは一律ではなく、ただ単に身近にいる大多数が作り上げた幻想であると僕は思っています。
だからどう生きれば平凡で、どう生きればそうでないかなんてことはない。
例えば『自分に忠実に生きれない』ということをよく聞きます。
やりたいことはあるけど、やれない。
やめたくても、やめられない。
行きたくても、行けない。
それはいろんなやらない理由があるからだと思います。
お金がない、時間がない、怒られる、怖い。
なぜそうして不安になり、理由を探してしまい、やりたいという気持ちを押さえつけてしまうのか?
答えはとても簡単で”今送っている生活”は誰かが決めた平凡な生活であり、その誰かに忠実に生きようとしてるからです。
親か、兄弟か、学校か、会社かはわかりません。
例えば子供が大学を出て就職したとします。
そして子供が会社に行きたくない、辞めたいと言いだしたら親は怒ると思います。
『普通は会社で働くもんだ』と子供の平凡な生活を親は決めつけてしまうからです。
子供はそれでまた悩み、悩みながらも会社に行き続けます。
学校でもなんでも一緒です。
『行きたくない』『あっちに行きたい』
という意思が生まれたとしても、誰かが作った平凡のなかで無理矢理生きようとするから、自分で自分を押さえつけてしまうのだと思います。
でも本当はそんなの関係ない。
他人が決めた価値観や常識の中で生きることなんか無意味です。
住む場所、付き合う人、身近な環境が変わればそんなのは簡単に変わってしまうからです。
誰かが決めた平凡な生活を仮にそのまま続けようが、やめようが、結局のところ他の人は誰も責任をとってくれません。
『お父さん、お母さん、あなたの言葉を信じて働き続けて過労で入院してしまいました。責任とってください』なんていうのはあり得ないことです。
そうなってしまったら親は『なんで辛いのにさっさとやめなかったのよ…。』とか言うわけです。
そんなもんです(笑)
僕も旅に出る前はいろんな人に大反対されましたが、無事帰ってきて本とか出したら『すごいね』とか言われて…
お前ら(笑)って普通に思いました。
だから自分の思う通り生きたほうが得です。
間違いなく。100%。
自分が何か行動を起こし、どう転ぼうと他人様には関係がないことです。
だから“自分に忠実に生きる”ということは思うよりも簡単なことです。自分次第。
助けてもらう前に努力しろ
それでも大変な事は度々起こります。
好きに生きてても困ることはあります。
そんな時にやっていること…。
僕がポンコツのクソガキだった高校時代にアルバイトをしていた蕎麦屋さんで教わったことあります。
いろいろあったうちの一つが『まずやってみろ。わかんなかったら聞け』ということ。
「あれ何処にありますか?」「これはどうしたらいいですか?」
聞くのは簡単です。
答えてもらって実行するのも簡単です。
簡単すぎるがゆえ、なぜ成功したかが理解できません。
だから次にまた同じ疑問を持ってしまいます。
逆にまずちょっとやってみて、失敗して、聞いて、成功したらだいたいコツがつかめます。
それに聞かれる側も未経験者と経験者では教える大変さが違います。
つまり効率いいよね…と。
だから僕はなんでもまずやってみるっていうスタンスです。
先日のブログにもらったコメントでこんなのがありました。
「困ったとき、悩んだとき、それを出しませんよね」
みたいな。
確かによっぽどのことがないと出しません。
楽しいと思う仕事をしてても、自分が好きなことばかりしてても、困ることや悩むことって絶対にあります。
そんな時にただ愚痴をこぼし、どうでもいい共感を得てたり、助けを求めることは簡単です。
でもそれをやっても同じ。答えだけ知っても次またやらかす。
だからなんとか苦しくても自力でやってみます。
それが自分の糧になることもわかっているからです。
乗り越えた壁みたいなのを、年月がたち自分自身が成長したあとに振り返るとちっぽけな壁だな〜なんて思うことって誰にでもあると思います。
僕はそうなった時に初めて人に言います。
「あんときは大変だったよhahaha」
事後報告です。
でも聞いてる方は気が楽ですよね。
それでいいと思うんです。
けど、誰にも悩みを打ち明けないわけではありません。
本当に困ったら助けを求めます。
そんな時に助けてもらう方法は1つだけ。
【今まで行動で示してきたかどうか】
それだけです。
何もやっていないのにグチばかり言う人などが人から手を差し伸べられることはあまりないと感じます。
とりあえず努力してるっぽく思ってもらえたらきっと助けてもらえます。
ちゃんと見てくれてる人たちは否定してきません。
認めてくれる人は、何やっても応援してくれます。
ただ悶々と悩み、悩みを打ち明けられず、打ち明けても否定される…
その結果さらに溜め込んでしまい、鬱や自殺…なんて重い話もありますが、結局のところやってるやつには助け舟がバンバンきます。
それだけ。
行動を起こせないと周りも自分も何も変わらない
どんなにすばらしい構想よりも、どんなにすごい夢よりも、どんなに壮大な望みよりも何よりも大切で効果的で人の心を動かすのは【行動】だけ。
そして結果をだすのも行動だけ。
だからいちいち人に言わずにさっさとやっちゃえって話ですね。
大切なことも事後報告でいいと思います。
だけど宣言は大切。
『ここ行く!』『これやる!』『こんな人間になる!』
ポジティブな事はどんどん言葉に出して出して出しまくると、人間の脳なんて思い込むものなので『あれ?なんか俺にはできるんじゃないか?』と勘違いを起こします。
勘違いしたまま突っ走ればいつかなんか結果は出ます。
ネガティブな事は事後報告、ポジティブな事は誰にも頼まれてないのに宣言する。
そんなもんだと思います。
何やっても自分が責任とるしか無いのであれば、嫌々生きるより自分の気持ちに忠実な方がいいですよね…
何歳であろうと…
どんなことであろうと…
っと僕は思います。
気づいたら長々と書いてしまいましたが…
これからヒゲ脱毛の時間なので行ってきます。(笑)