イチローは野球選手じゃなくて”イチローやってた”からモノスゴイんだと思う。

僕は野球は詳しくないんだけど…

さすがにイチローは知ってる。

ただ野球がわからないだけにヒット日米通算○○本!みたい成績とかの凄さはイマイチよくわからないけど、イチローがすごすぎるというのはわかる。

引退会見が今話題。

名言だらけだとかなんとか。

それも見てたわけじゃないのだけど、これほどまでに「すごい人!」ともてはやされてるのには理由があると思う。

個人的な見解ではあるが、イチローは野球じゃなくて「イチローやってた」んじゃないかと思う。

意味わからないかもしれないけど、わかる人はわかってくれる気がする。

どうしても人ってある1つの側面をクローズアップされがちだと思う。

例えば子育てしてればママになっちゃうし、美容師してれば美容師なわけで。

ある人物=職業や社会的ポジション

でイメージを固めてしまいがち。

でもホントは人って様々な歴史や特性を持ってるから、それだけ様々な側面もあるはずなんだ。

周りから持たれるイメージに合わせて「I am a mother」「I am a hairdresser」っていうふうにやってしまうとその他の側面をあえて表に出さなかったり、無意識で消しちゃったり、そういう事をしがち。

例えばクラブに行くことが好きな人がいるとして、その人がママになったからと言って「クラブもう行けない」は違うと思う。

「飽きたので行きたくない」 ならわかる。

でも「ママだから行けない」は違うと思う。

現実的に寝かしつけて…とかいろいろあるのはわかるけど、全く不可能かというとそうではないと思う。

サラリーマンだから海外行けないとか、学生だから企業できないとか、女だからヒッチハイクできないとか、英語話せないからアメリカに住めないとか、美容師だから遊べないとか、子供がいるから旅ができないとか。

関係ないぜ。

職業や社会的ポジションに自らハマっちゃうと、やはり個性はどんどん輝きを失う気がする。

僕が個人的に素敵だなと思う人は、みんないろいろやってる。

3歳と6歳の子供を連れて世界一周した夫婦を知ってる。

親は仕事も、子育ても、好きなことも。

子供は子供やりながら旅人もやる。

いいじゃないかそれで。

「あなたは何してるんですか?」っていう問いに「美容師です」とか言うのがあるとき嫌になって肩書を捨てる宣言をしたことがある。

今も何屋さんか自分でもよくわかってない。

やりたい事をやってるといろんな肩書ができる。

美容師、代表取締役、経営者、講師、HP作る人、居酒屋オーナー、ゲストハウスオーナー、旅人…などなどあげればきりがないくらいになってしまった。

結局自分は何者でもない。

jun kuwabaraなのだ。

そうでありたいと思ったからそれを目指した。

これからもそれは変わらない。

人には人それぞれの凄さがある。

単純にそれを追い求めればいいのではないだろうか。

そんな事を改めてイチローから学べた気がする。

大リーグの実況が、イチローが盗塁かました時にこんな実況をしていたのを見たことがある。

実況A「一体彼はなにをやっているんだ!驚愕」

実況B「彼は”イチロー”をやってるんだよハッハッハ」

名詞が動詞になるんだ。

すごいよね。

この記事をシェアする