富士山の噴火で故郷が消滅したらその時僕は何を思うのだろう 9/4.9/5

物騒な話っぽいけどずっと昔から考えてることがある。

富士山の噴火について。

そんなことも下の方に書きつつ2日間の日記を。

9/4 山梨へ帰ることを決める

朝5時に目が覚めた。

公園のベンチ。

野宿自体は問題ではなかったが、枕がなくて全然寝れなかった。

ペットボトルを枕にしてみたけどベコベコいう音がうるさくて逆に起こされたりして。

めちゃ眠い。

とりあえず寒かったのでどこかに避難することにした。

が、朝5時なんてどこか空いているわけもなくどうしようかと思ったらすき家が開いているじゃありませんか。

全然お腹空いてない…けど仕方ない。

というわけですき家で時間を潰しつつ次の行き先を決める。

  1. 函館行ってフェリーで青森
  2. 小樽か苫小牧からフェリーで新潟

①なら旅を続行で②なら帰宅

いろいろ考えたけど旅するかどうか迷ってるって相当わけわからない状態なので心の底では帰りたいんだろうと思って今は帰ることにした。

苫小牧へまた戻るのもあれだな…と思って小樽へ向かってフェリーに乗ることにした。

150キロの道のり。

約3時間と出ているけど休み休み行くと3時間でつくわけがないので、このくらいの距離感だと夕方になってしまう。

出航が17時で乗船が16時なのでかなりギリギリである。

北海道西側にある岩内という街に友達がいるので近くを通るから行きたかったが、すべてが突発的すぎてスケジュールが合わないかもしれないし立ち寄れても時間が全然ないので諦めることに…。

残念だけどまた来ます。

というか北海道に住んでいる友達他にもいろいろといると思うのだけど誰がどこにいるか把握できていないというのはこういう時に困るね。

地味に観光して小樽へ

地球岬というアースを感じられる名前のところへ来てみた。

昨夜野宿するにあたり【室蘭 心霊スポット】と検索したらここが出てきた。

岬系心霊スポットといえば福井の東尋坊が有名であるが、あそこも昼間はオバチャン達がイカとか売っていて活気がある。

謎の梅宮辰夫像もあったりして。

だから地球岬も行けるっしょと思ってせっかくなので立ち寄ってみた。

なかなかビューティフォーだなと思っていたらどうやら美しい自然100選の第1位らしい。

知らずに来たとはいえ自然豊かな北海道で1位の場所に来れるとは。

ありがたや。

そこからひたすら北上。

長い道のりだ。

途中に昭和新山という山があった。

煙がモクモクしている。

そこは洞爺湖サミットで有名な洞爺湖。

北海道にはいろいろと湖があるけど湖は初めて来た。

洞爺湖近辺は噴火を繰り返している歴史なあり、冒頭書いたように災害というものに大変興味があるというか知りたいと思っているので博物館にも行きたかったがやはり休館。

湖は静かできれいだった。

ちょっと山を上がったところには展望台も。

ここでこの景色を見ながら20分ほど意識を失っていた。

眠い…

結局そのまま北上を続け、倶知安(くっちゃん)町というところでお昼を食べて、小樽の一歩手前の余市まで来たところで限界を迎えた。

眠すぎる。

いい感じに人がこなそうな堤防を見つけたのでバイクをとめてそのまま昼寝。

ここで笑

1時間は爆睡したかな。

出発時に昼寝も計算に入れていたので、フェリーにはなんとか間に合いそう。

しかし思えば北海道も内陸をずっとまわってたから海を全然見なかったな。

苫小牧→室蘭は海岸沿いを走ったけどそんなに見えなかったし。

余市の海はめちゃきれいだった。

いつもお世話になっているブラックニッカウイスキーの博物館(休館)もあるので余市にはまた絶対にきたい。

ホタテでも買って海辺で1人バーベキューしたい。

小樽へついた。

定番スポットを一応撮影。

フェリーターミナルで乗船手続きを済ませ、ちょっと時間が余ってたので定番のセイコーマートへ。

セイコーマートまじで毎日行ったかも。

セイコーマートの120円くらいの唐揚げがマジでうまくて、フェリーで食べようと思いありったけ買い占めた。

2個だけだけど。

それとこれ。

北海道牛乳。

もちろん日本のどこでも北海道の牛乳は買えるのだが、なんとなくプレミア感が。

いよいよフェリーに乗船。

さらば北海道…。

帰るとなると帰りたくなくなる。

新潟までのチケット17000円を捨ててしまおうかと一瞬悩んだけど、ちゃんと帰ることにした。

旅はいつもそう。

帰りは達成感より寂しさのほうが勝ってしまう。

しかしまあよく普段着のままで旅したなと乗船していくバイカーたちをみていて改めて思った。

なんとかなるもんだね。

船から離れゆく北海道の大地と夕日を見ながら乾杯。

コロナじゃなければそこらへんで飲んでる乗客に話しかけて友達になれたのだろうけど…

そういうのもやっぱり残念。

粛々と将棋をしながら一人飲み。

9/5 新潟に到着

正直ほぼ何もしてない。

朝ついてとりあえず新潟に来たのだから名物タレカツ丼は食わなければ!と思ってそのへんの蕎麦屋でタレカツ丼を。

新潟市に来たのは9年ぶりくらいか。

タレカツ丼も久しぶりに食べたけど美味しかった。

新潟から山梨は360キロの道のりなので180キロずつ走れば2日で帰れる。

この日はちょうど中間の長野市まで行こうと思って出発した。

途中海辺で休憩。

寺泊町っていうところにあった市場がすごい賑わってていい感じだったので今度行きたいな。

お昼はここで。

このうまいうまいラーメンショップはマジで各地で見かける。

山岡家くらい見かける。

気になって入ってみた。

美味しかった。

時刻は16時になろうとしていた。

「長野…遠いな」

諦めて新潟県上越市に泊まることにした。

昔仕事で来たことがあったくらいだったけど、知ってる街なのでちょっと安心。

高田駅。そこそこ栄えてる。

夜はテキトーに魚を食べて寝た。

もしも故郷が消滅したら

今回旅を諦めようと思った最大の理由が【東北各地の震災資料館】が休館しまくっていることだった。

北から行きたい場所をあげると、まず岩手県は釜石、大船渡、陸前高田に行ってみたいと思っている。

そもそも震災以降岩手県へ一度も行っていないし、かつて岩手を旅したときも一関、平泉、盛岡しか行っていないため海岸沿いは足を踏み入れたことがなかった。

だから単に行ってみたいと思う気持ちもあるし、そこにある震災資料館を見たり、今の人々の様子を知りたかった。

宮城は気仙沼、南三陸、石巻に行きたい。

2013年にボランティアしながら東北を旅したことがあって、そのときに気仙沼、南三陸、石巻へは行った。

あれから8年経って今はどうなっているのだろうかというのをこの目で見てみたい。

そして福島の南相馬、大熊、双葉、富岡、そしていわき。

2011年震災発生後にボランティア行ったいわきと、その後何度もボランティアなどで行った南相馬や原発周辺にもかれこれ6年ほど行っていない。

震災から10年たった今、街はきっと復興したりしている部分もあると思うし、今がもはや日常になっているのだと思う。

それでも人は何を思い、どうやって生きてきたのだろう。

漠然とではあるが【時間】というフィルターがかかった今の被災地から学べることがたくさんあるのではないかと思うし、また当時のペーペーだった自分ではなくいろんな物を見て経験してきた今の自分が見たときに何を感じるのかということも思う。

だから今回の旅ではどうしても太平洋沿岸の各町と資料館には行きたかった。

しかしやはりどこもかしこも休館していて、もし今行っても絶対に心残りになると思ったから旅を中断することにした。

なぜそこまで被災地に固執というか災害に興味があるのかというと、僕の故郷には富士山がある。

見るととても美しいその山は地元民の誇りだと思うが、日本人にとっても心の拠り所のひとつなのだろう。

富士山が最後に噴火したのは300年以上前なので、当然現代で富士山噴火を経験したものは誰一人としていない。

江戸時代とまるっきり違う現代においてもし富士山が噴火したらどうなるか?

これを想像することは地元の人でも難しい。

噴火のリスクがあると言われても生まれてこれまで噴火を見たことがないからピンとこないのだ。

今僕たちは資本主義社会に生き、江戸時代より豊かなのだろうが、江戸時代よりもはるかに様々なものに依存して生きている。

電気、ガス、水道というライフラインだけでなく、食べるものも着るものも仕事まで何もかも自分たちで生み出すことができない。

それが一瞬で壊されたとき、人々はどうするのだろう?

僕が起業した理由、そしていろんなことをやっている理由、作ろうとしている理由はすべてここに行き着く。

もし一人の人間として生きるなかで自給自足ができなかったら、いざというときにどうなってしまうのかという恐怖感があるから。

よく災害はその瞬間が重要視される。

東日本大震災の津波もそうだけど、当時ボランティアに行った地域がすごい被害があったところで、そこのおじいちゃんが話してくれた内容はまさに一瞬の判断ミスで命がなくなるという話だった。

もはやミスでもないというか、右か左かという選択は運でしかないのかもしれない。

たしかにその瞬間生き延びなければ先はないのだけど、僕はどちらかというとその瞬間よりその後どうするのかという事をずっと考えている。

その瞬間は運に任せるとして、そして生き延びる前提として、考えている。

生きなければいけない。

その後も。

もしも誰も助けてくれなかった。

助ける余裕がなかったら。

やはり自分と自分の家族くらいはせめてなんとかしなければならないし、なんとかしたい。

東日本大震災と富士山の噴火が決定的に違う点をあえて1つだけあげるとしたら首都機能が壊滅することだろうと思う。

もちろん他にも色々とある。

東日本大震災の発生時は東京は揺れたとは言っても機能がストップするほどではなかったし、それ故様々な対策をすぐに打ち出せたのではないかと思う。

富士山が噴火すると数時間後には火山灰が東京に降り積もり、ありとあらゆる交通、そして電気、水道などのライフラインが機能しなくなり、結果的に300万人もの餓死者が出るという。

東京だけでなく、埼玉、神奈川、千葉と被害を受けるのでそこだけで日本の4分の1である3000万人が被害を受けるということになる。

これは本当に恐ろしいことで、それだけでも十分やばいのだけど、その際僕の故郷はきっと消滅してしまうことだろう。

平安時代に富士山が噴火したときは溶岩が海まで流れたという。

富士山の麓では巨大な湖を分断して青木ヶ原樹海が形成された。

その広大さは地元ながらによくわかる。

平安時代の貞観地震と貞観噴火と同じ規模感を想定しているということらしいから、きっとそれなりに同じようなことにはなるんだろう。

一体溶岩で埋め尽くされたら復興などということはとてもじゃないが無理だと思うし、人が住める場所ではなくなるのだろう。

nhknwes

地元のみならず静岡側もそうだし、神奈川にも被害が出るとのことで、その人達はどこかに避難しなければ行けないし、その後も戻ってこれなくなるとしたら首都圏のみならず多くの人にとって大変なことなると思う。

思うというか、これはもう確定している未来の話だと考えている。

生き延びた後に

東北の大震災と津波にしても地元の人はやっぱり経験がなかったわけだから、地震発生後にもそんなに重大なことだと思っていなかった人もいたと聞く。

当たり前に慣れてしまえば誰でもそうなると思うし、仕方がないことだと思う。

それでも教訓としてあの出来事は今を生きる人たちの頭と心の中に深く根付いていると思う。

だからこそ【防災】というものは意識されているし、備えている人もいるはず。

ただ、国もそうなのだけど防災とか災害に備えるとかっていうアプローチそのものは【瞬間的】なものでしかないように感じる。

というのも当面をしのげたとしても、問題なのはそこから先なのに、そこの部分が不透明すぎることにはずっと昔から違和感を感じている。

とりあえず避難することが優先だとしても、その後の生活というものは絶対に今までと違うからその部分をある程度明確にしておく必要があるんじゃないだろうか?

ハザードマップはあくまで想定でしかないとはいえ、もう起こるものだと腹をくくってその先のことを考えなければいけないのではないだろうか?

家がなくなっても保険が降りるのかもしれないし、仮設の住宅に住めるのかもしれないし、生活の補償は国がしてくれるのかもしれない。

きっとしてくれるのだろうけど、それでいいのかということを思う。

最低限暮らせても、やりたいことはできなくなると思う。

他者に依存しきって、会社に依存しきって、国に依存しきって、またお金に依存して、それが当たり前になっているけど、本当にそれでいいのだろうかと。

自助の本当の意味は【自己責任でがんばれ】ではなく、イチ国民として国のことと自分のことを考えてくれということなのではないのかと思ったりする。

イチ国民として、一人の人間として何をしていけばいいのか、どう生きていけばいいのか、日本をどうしたいのか。

日頃から人に親切にしていればいざというときに助けてくれる。

日頃勉強をしていればいざというときに知識が助けてくれる。

それらはすべて自分の行いが元にあるものであるし、それが真理なんじゃないかと思う。

依存すること自体が悪いことではないけど、何も考えないでも会社に行って働けばお金がもらえるだとか、水道をひねれば水が出るということに慣れてしまっているのはすごく危険だと思う。

お金がないと生活が苦しいからと、大切な時間をつぎ込んでめちゃめちゃに働いて、しんどくなって心の余裕がなくて人に優しく出来なくなって。

そういう人はたくさんいると思う。

僕も昔そうだった。

それだと自助はやはり成り立たないし、勉強している余裕だって作れないと思う。

きっと東北で被災した多くの人は【その後の生活】という面で大変な思いをしたことだろう。

当たり前が当たり前じゃなくなる瞬間がクローズアップされつづけているけど、十年たっても元に戻らないものは戻らない。

その事実をどう受け止め、どう生きているのか。

どう乗り切っのか、どう今もがんばっているのか。

そういうリアルな事を知りたいし、もっと発信していくメディアや人が増えたらいいと思う。

僕の中では最悪のイメージはすでにできている。

家族全員職と家を失い、高齢の両親とともに全然知らない土地へ貯金も財産もなしで移住することになったとしたら…

それでも生きてくことができるように、それでも仕事ができるように、今そのためにいろんなことをやっているしやろうとしている。

ここ数年間ずっとそれを考えて仕事に没頭して勉強ばかりして生きてきた。

旅なんて行けなかった。

けどそれで気がついたものも得られたものも安心感も今はある。

人間あまり多くのものを抱えることはできない。

家も車も、ないならないで生きていく術を見つけられれば持たなくてすむ。

お金がないなら作ればいい。

作る術がわかってればお金がないことはたいした問題じゃない。

反面知識はいくらでも持ち歩くことができる。

知識は裏切らないし、腐りもしない。

だから勉強をするし、経験を積むし、それが身を助けてくれると信じている。

そして本当に大切なことは人だということ。

人が助けてくれるし、また自分自身も誰かを助けることができる存在であるから人との関わりというものは最も大切なことだと思う。

コロナでいろんなものが見えなくなってしまっていて、不要不急でなんでもダメだとかよくわからない論争とかもあるけど、本質を理解しようとすれば見える世界もまた変わってくるような気がする。

何か守りたいものがあるのなら、思考し行動を起こすしかないのだろう。

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