【モノに執着しないけど思い出には執着してしまう】

3月からタイに移住するとかいって、全く実感がわかないでいる。

あと一週間もすれば2月も終わるというのに、チケットさえ取っていない。

大阪発か、成田発かさえ決めきれていない。

仕事の整理、引き払う家の片付け、プライベートでのいろいろ、環境を変えるのってこんなに大変だったんだ。

5年という歳月をかけて会社を起こしてから様々な事業を行い、様々な人と働き、様々な失敗を繰り返してその度にモノが増えていった。  

まだ店が小さかった頃に120名の団体予約をもらい、急いで場所を確保してスリッパやエプロンや丸椅子など必要なものをたくさん買った。

結果コロナでキャンセル。

それも最初の緊急事態宣言のときではなく、しばらく経ってからだった。

「コロナ増えてきたのでやっぱキャンセルで」

こんなバカにした奴いるのかと思ったし、でもそれが普通の世界になってしまっていた。

袋から出してもない大量のスリッパやエプロンが家の片付けをしていたら出てきた。

結局捨てられずにいる。

家と言っても従業員数名と一緒に住んでいる要はシェアハウスなのだけど、そのためとてつもなく広い。

倉庫も兼ねているからいろんな仕事関係のものもある。

ここ一週間完全に1人と猫1匹で生活をしながら、毎日片付けをしているが、自分のものってほとんど出てこなかなった。

服くらいであるが、それもゴミ袋に2つくらい。

ジャケットなどを合わせても、である。

残されたものはほとんどが会社でやっていたことに使っていたもの。

コロナで潰したゲストハウスで使っていた布団だとか、食器だとか。

「またいつか使うかもしれない」

そう思って触りもせず数年過ぎたものがたくさんあった。

僕はモノには執着しないから、ミニマムに生きていくことに全く苦痛がない。

ところが会社の事業で買ったものはとてつもなく捨てづらかった。

挑戦と失敗、良いことも悪いこともそれら1つ1つのモノには思い出が宿っている。

それらを手にしたときにこみ上げるものが少しあり、けどその想いは過ぎ去った時間のように、もう手にすることができないもののように感じた。

誰がどうだったとか、お客さんがどうだったとか、その際に何を悩んで何が嬉しくて。

そんな想いは忘れられはしないけど、もう出会うことはきっとない。

曲がりな日にも個人事業主として2年、法人の代表取締役社長として5年働いてきた。

社長なんて金持ちで椅子にふんぞり返って威張ってるだけの奴だと思ってる人もいると思うが、正直誰よりも寝ないで働いて、学生アルバイトより給料貰わないなんてときもあった。

それで今がある。

自分なりに頑張ってきたという気持ちと思い出が、それぞれのモノや場所を通して僕自身に語りかけてくる。

間違っていたとか、正しいとか、善か悪かとかそういうことばかりを求められる世の中で、自分の気持ちや思い出だけはそのモノサシではかることはできなかった。

今この瞬間にしても自分が正しいかどうかなんてわからない。

だけど信じようと思ったものを信じて進んだ先で起こったこととその思い出をふくめたモノは
、必要としなくなった今のことを思うと間違っていたのかもしれない。

それでも、どうしても捨てることができないものがたくさんあった。

とはいえ流石にあれこれと捨てたんだけど。

本当に捨てられないものは実家の倉庫に置かせてもらうことにした。

そして車やバイクもどうしようかと考えていた。

正直自分で使っていたものだからあまりこだわりがなくて、捨ててもいいかと思っていたけど車は車検通したばっかりだしどうしようなんて考えていたら借りてくれる人が見つかった。

無期限ではあるけど、少なくともいない間乗ってもらえるのであればそれはよかった。

そしてバイクも。

2年前に思い立って免許を取って買った400ccのバイク。

車体が1000ccのハーレーくらいあるのでやたらとデカい。

北海道や四国や九州や北陸を一緒に旅をしたけど、そんなに張り切って乗らなかった。

バイク乗りっていうテンションでもなかったし、運転も別に好きではなかった。

だけどやっぱり思い出が詰まっている。

それもどうしようかと考えていたところ従業員が乗りたいというので3月以降貸すことにした。

放置しておくより乗ってもらったほうがやっぱりいいから。

日本をもうすぐ出るけどその前に最後にどこかバイクで行こうかなとも考えていた。

けど天気悪いと寒いし、いろいろ予定も詰まってきてるしどうしようなんて考えつつ今日朝起きたら天気がよかった。

晴れてた。

「なら行けということだな」と思いこれから何処かへ行ってみることにした。

信号が青ならまっすぐ進んで、赤なら右に進んで次も赤なら左に進んでなんて感じで行ってみようかな。

それともしばらく見納めになる富士山をぐるっとまわって写真でも撮ってこようかな。

なんとなく旅って感じがして、なんかいい。

もうすぐ旅に出ると思っていながら、仕事を休むことを決め、家を引き払うことを決め、片付けなんかをしていることがもはや非日常だったのだとふと気がついた。

もう旅は始まっていたのだ。

本格的には3月から。

ただやることが特にない。

小説を書くくらいしか決まってない。

だからこそどこに行きたいというのもなくて、未だに3月頭にまずベトナムに行くかタイのチェンマイに行くか悩んでいる。

全く決められない。

おそらく直前になって飛行機をとってほぼ手ぶらで行くのだと思う。

僕はついに外国に行くにしても手ぶらで行くような人間になってしまったのだ。

山梨から北海道へバイクで行くときも手ぶらだった。

もはや海をこえてもちょっとそこまでの領域なのだろう。

何にしてももうすぐなのだと思うと少しだけ楽しみになってきた。

…ような気がする。

猫を寝かしつけてそろそろ出発します。

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