こんにちは。
今日は旅ブログをお休みします。
だからどんどんリアルタイムとの差が出るんだよね、、、
でも最近頑張って毎日書いてるから許してね。(*ノω・*)テヘ
去年のこの日、このブログで僕はある記事を書いた。
東日本大震災から3年たって思った事。
ああ、もうそれから1年たったのかって微妙に驚いてます。
それは震災から4年たったことへの驚きと、このブログが1年続いた驚きと。
おかげさまでこのブログも日々たくさんの人が訪れてくれるようになりました。
1年まえとは大違い。
いつもありがとうございます、ホントホントに。
で、今日は1年まえと同じように震災のことを書かせてください。
自分の中で書いときたいので。
・・・てことは、僕が最後に福島県南相馬市といわき市に行ったのがちょうど1年まえかぁ。
その日は旅に出る前最後にって事でその地を訪れた。
何度も通ったいわき市にもう慣れたどころか地元くらいの親近感が湧いていて、いつも行けば泊めてもらってた石崎家の皆さんといわき市の愉快な皆さんに『行ってきます』してきたっけ。
その時改めて街を見てみると、初めてその地に立った2011年震災直後とは様子がすっかり変わっていた。
腐った魚みたいな臭いもなくなり、瓦礫の山だったところもすっかり綺麗になり、重機がもくもくと新しいでっかい防波堤をつくっているところだった。
なんだか時間とともにちゃくちゃくと進んでいるような、それでもまだ進んでいないようななんとも不思議な感じがした。
僕は旅に出る前の年の2013年、数ヶ月に一度、連休を見つけては無理やり夜行バスに乗り福島県に足を運んでいた。
この年は思うことがあって、好きだった弾丸一人旅も辞め、年にたった一回の短い夏休みもボラリ旅と称し東北各地をボランティアしながらまわったりもしてた。
僕がそういったボランティア活動的なのをしてたのを見て、人はやんややんや言ってましたが(いい意味で)
よく言われっけ。
偉いね!とかスゴイね!とか
僕は当時自分自身に対してはあまりそうは思っていなくて、行ったもののそんなにめっちゃ貢献できたかっていうとそうでも無いのかななんて思ってたし、すごい人なんかたくさんいた。
鹿児島からバイクで来たおっさんとか、奈良から青春18きっぷつかってきたじいちゃんとか。
僕がまず何で被災地に行こうかと思ったかというと一番最初は『恩返し』だった。
過去に東北に一人旅をした時にいろんな人にお世話になった恩返しというか、なんか当時テレビであの状況を見てて、いてもたってもいられなくなったというか。
それで最初に行ったときに出会った人で顔がでかいけど良い人ザキさんと、見た目20代だけど実年齢は××のさちよさん(言ったら殺される)がいて、それからずっと付き合いがあったこともあり、度々福島に通うようになった。
2013年に福島県に行ってた時は、南相馬市に主に行っていた。
もともと警戒区域に指定されていて立入禁止だった南相馬市が立入禁止解除になり、数年遅れでの瓦礫撤去や伸びまくった草を刈ったりとかしてたんだけど、東京で働きながら僕にも何かできないかなって、自分の美容室に募金箱(南相馬市で活動してるNPO団体宛)を置いてみたりしてたんだ。
その時同じお店だった上司の人に
『行ったからそういう事したいって気持ちはわかるけど、俺は行ってないから別に入れようと思わない』
とかわざわざ言われて、人に現状を伝えることの難しさ、何にもできないもどかしさに勝手にヘコんだり、悲しくなったりしてた。
それでも僕を信じてお金を入れてくれた社長やお客様にはめちゃめちゃ感謝したんですね、もちろん。
その上司も最終的には入れてくれた。
あの時はありがとうございました。
今僕は海外にいて、日本の事さえよくわからないので震災とか被災地とかどんだけ変わってるのかとか全然わからないんだけど
その地に立ったことがあり、その地が好きになった身としてひとつすごく思うことがある。
やっぱり震災のことは忘れちゃいけないと思うんだ。
ある人にとっては悪夢のような出来事であり、ある人にとってはテレビの中での出来事であり、重要度みたいなのはもちろんそれぞれ違うと思う。
けど、それでも僕はやっぱり忘れちゃいけないと思う。
悲しいことを思い出して悲しくなれっていうんじゃなくて、もっといい意味で思い出すべきかなって。
もともとは地震という自然災害がきっかけなわけであって、当時東京の人だって他人事じゃなかっただろうし、もしまた地震が来ても生き延びれるようにするためのどうしたらいいのか、津波がまた来たらどうしたらいいのか。
いつどこで何が起こるかわからない。
それはきっと誰もが頭の片隅ではわかってる。
でも行動に移す人が果たして何人いるんだろう。
防災・・・。
日々の忙しさのなかで段々とそういった事がおろそかになっていくとまた同じことが起きるのかななんて思う。
あれだけの大きな地震と津波なんて誰も想像できなかった。
15メートルの高台に逃げた人々を津波が襲い全員亡くなったという場所にも立ち、当時の信じられないような話を聞いたこともあった。
人の力や想像なんて遥かに超えてたんだけど、でも防災の準備がもっと出来てたらもしかしたらもう少し違う形になったに場合もあったかもしれない。
なんかそういったことってあの大震災の教訓として学ぶべきだし、そういう意味でもやっぱりたまに思い出す必要があるかなって思う。
それにもう一つの理由としては、何より事によってはまだ全然終わってないし始まってもないのかなーなんて思うところもある。
例えば片づけさえ進んでないところもあるし、まだ避難している人もいるし、行方不明の人も2000人とかいるわけで。
4年もたった今だけど、もう今更って言うよりも今だからこそできる何かがあるんじゃないかなって僕は思うし、それは来年も再来年もたぶんずっと続く。
人々の記憶から忘れ去られても終わりなんてないのかなとさえ思う。
自分には関係ない・・・それもきっと正しい。
でも今日という日がまた来たので、少し意識を変えてみるのもまた大事なのかもしれないな~なんて思う。
僕はきっと死ぬまであの時見た悲惨な光景や、話、思ったことを絶対忘れることはない。
だからいつかあの地に子供を連れて行って、学校で教えてくれないような話・・・自分が見たもの聞いたこと、悲惨な話も、楽しい話もいろんな話をしてあげたい。
さっきも書いたけど、今僕は海外をプラプラしてて現地に行くことができないので、ここに書き記すことしかできないんだけど、この記事を読んだ人がなんか思い出してくれたりしたらいいかなと思います。
地球の裏側から、亡くなった方、家族友達恋人を亡くした方にご冥福を。
家をなくした方、地元を亡くした方、悲惨な体験をしてしまった方
今日は泣いても、明日からまた笑って過ごせますようにと祈ってます。
福島、宮城で出会った皆、またね。元気でね。
じゃ今日はこれでおしまい。
明日からまたちゃんと書きますね(^^)
ポルトガル編お楽しみに。
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