あの国まで行こうか。何にもなくたってそこには何かあるから。

2017年の7月から生活の半分を旅する時間に当ててみた。

【仕事もしてて旅もする】【毎月海外にいく】

いつか理想とした生き方だった。

ここ半年でタイから始まり、フィリピン、ベトナム、シンガポール、マレーシア、カンボジア、香港と巡り、現在はラオスにいる。

僕はあと一週間したら日本に帰国。

そこからはしばらく日本にいると思う。

自分の会社や事業にもっと力を入れ、ちゃんとした基盤を作って行く事に時間を使いたいからだ。

それが今の理想であり、だけどずっとではなく、また別の理想や次のビジョンもある。

まあ日本に帰ってからのことはともかく、これでしばらくいつかの理想とおさらばしようと思う。

というのもこんな生活にある程度満足したからだった。

「あの国まで行こうか」

僕は超人でもなく天才でもなく金持ちでもない。

だけど理想を追い求めてがむしゃらやってたら、望んでた生き方ができるようになった。

誰がなんと言おうと、昔から仕事をしながら貯金もしながら旅行もしながら…そんな生活にあこがれてた。

諦めてた時期もある。

休むことができない。

お金がない。

昔の僕には無理だった。

けど考え方を変え、仕事を変え、生活を変え、それを繰り返してたらできるようになった。

運が良かったとかではないと思うし、ただ”やったからやれた”のだと思う。

そんな今思うのは”生き方は簡単に変えられる”ということ。

でも決して簡単じゃない。

…でも簡単に変えられる。

そして簡単に諦めることもできる。

なんでも自分次第なんだ。

そう思うようになったきっかけには”旅”がある。

旅とは何か?は人それぞれだと思うけど、僕は”自分の世界観を広げてくれるもの”なのだと思ってる。

特に海外を旅すると自分の知らないことを知れるだけでなく、会ったことがない自分に会うことができる。

「あ、俺こんなこと思うんだ」って。

先日ラオスの首都ビエンチャンの川辺でぼーっと川を眺めていて思い出したことがある。

ビエンチャン夕日

これは3年前初めてこの川辺に来たときに感じたこと。

すぐ目と鼻の先、川の向こう岸には隣国タイが見える。

100mもないような川を渡ればそこは別の国。

日本人の僕からしたらとても不思議な光景だった。

タイに行けばタイ語が話され、タイの法律があり、文化がある。

ラオスとはまた違う。

わずか100m先には違う世界が広がっているんだ。

それほどにも”世界”は身近にあるという事を知った。

自分が置かれている環境というものは、簡単に変えることができる。

ただ橋を渡ればいいだけだ。

「あの国まで行こうか」

そう思えばすぐに行くことができる。

世界はそれほどにも身近なのだ。

かつて自分が置かれている環境に飲み込まれ、無理だと諦めてた自分に見せてやりたい光景だった。

何にもなくたってそこには何かあるから

人は誰もが何かしらの環境に身をおいている。

そして多くの人がその環境でもがき苦しむ。

本当は”あっちの世界”に行きたいけど行くことができず、悩み、涙を流す。

死ぬほど悩んでても変えられない人はたいてい「あちらの世界が怖い」のだと思う。

本当は手を伸ばせば簡単に届くその世界が。

“あっちの世界には何もないように見える”

知らないものはなんでもそう見えるのかもしれない。

その世界を見た者以外、知る由もない。

でも昔は国境なんてなかったのだろう。

あっちの世界は同じ世界だった。

今の環境が嫌なら川を渡ればそれでいい。

そこが嫌なら戻ればいい。

人間はきっとずっとそんな感じで人間らしく生きていて、それでよかったのだろうと思う。

もし今の世界に悩み、寝れない日々を過ごすなら、人間らしく生きてみればいいのかもしれない。

逃げ出せばいい。

飛び出してみればいい。

理想があるなら追ってみればいい。

その先に何にもなくたって、そこには何かがある。

でもその”何か”は誰も教えてはくれない。

自分で心を決め、歩いて向かうしかない。

その先にあるものは思い描いた理想か、それともまた違う何かか。

「あの国まで行こうか」

環境は簡単に変えられる。

人間らしく。風に吹かれて。

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