本日でフィリピン最終日。
明日から東京でお仕事です。
明日明後日はもう全く空きがないほど予約をしていただきました。
※水曜日以降は空いてます。
ありがとうございます。
今僕は2週間海外でライフワークをし、2週間日本で普通に仕事をするという生活をしています。
僕の中では旅とそして海外でヘアカットをする事は”ライフワーク”です。
お金とかじゃなくて、自分の人生の仕事。
東京で経営してる美容室、そこで美容師として立つ自分、セミナーやオンラインビジネスは”ワーク”です。
楽しいと思うこと、やりたいことを仕事にしてるけど、やっぱりそれらはお金のためであり生活のためです。
そのワークとライフワークのバランスをとるのは大変で、でも死ぬほど楽しくて。
いろんなものがあったり、いろんな新しい働き方が実践できる現代だからこそそんな事ができています。
フィリピンに今回来てみて、僕は少し新しい自分と出会いました。
スラムにヘアカットに行ったことや、特別貧しい人が多く住むエリアにヘアカットに行ったことによるものです。
だから本当に来てよかったし、いろんな事を経験できてよかったと思っています。
この世には選択肢がない人がいる
例えば貧困と一言に言っても、日本での貧困層と発展途上国や最貧国の貧困層は全然違います。
そもそもの国のレベルのようなものや環境が違うので、よく考えたら違うのは当たり前の事です。
旅をしていると、物乞い、ストリートチルドレンだけでなく、大人でも何かしらの仕事をしていても賃金が安く慢性的な貧困から抜け出せない人をよく見かけます。
インドでカットしたストリートチルドレン、カンボジアでカットした孤児院の子どもたち。
そして今回フィリピンのスラムでカットした子どもたち。
その人たちを見ることは行けばできます。
でも実際に触れて話すことをした人はあまりいないのではないかと思います。
そういうことが出来たのは僕が美容師で、なおかつ髪を切っていたからです。
それがほんの一時だったとしても一緒に過ごしたことがあるからこそ思うことがあります。
本当に貧しい人には選択肢がそもそもない場合があります。
セミナーとかでよく話すことなのですが、この世の中には70億人がいて、時間は全ての人に平等です。
でも選択肢は平等ではありません。
選択肢が貧しすぎて極端に少ない人、裕福で極端に多い人がこの世の中にはいます。<
それはどうしようもない事実で、個人レベルでもまたどうしようもないことです。
知ったところで僕にはその子達にお金をあげることも、大学に行かせてあげることもできません。
世界で1350人くらいカットしてきて1番強く思い出に残ってるのは孤児院の子ども言われた「僕は医師になるのが夢」という言葉でした。
家が貧しすぎてえんぴつも買うことができない子達が集まる孤児院で、地雷で足を失くして松葉杖で走り回る子たちを見てた子供がいました。
その顔は悲観してるわけでもなく、羨んでもなく、ただ笑っていました。
カットしながらそんな彼から聞いたその言葉。
その子が本当に医師になれるかどうかはわかりません。
でもその子はめちゃくちゃ努力して勉強してました。
今では夢が変わっていて、違う道を目指していたとしても、めちゃくちゃ努力する子だからきっと良い方向に行くんだと思います。
当時僕は26歳。
世間知らずのクソガキでした。
でも彼から話を聞いていて、1つだけ強烈に思ったことがありました。
“僕は日本人なんだ…”ということ。
彼とは生まれ育った環境も、国の状況も、物価も、何もかもが別の国で僕は生活してきた。
お互いに到底理解できないことなんてたくさんあるはずです。
僕にもわからないことがたくさんありました。
ストリートチルドレンをやったこと無いし、家がなかったことないし、孤児院で過ごしたこともない。
僕は五体満足で、毎日風呂に入って、ベットで寝て、仕事もできて、恋愛もできて、酒飲んでカラオケオールしたり、クラブに行けたり。
たまには美味しいもん食べたり、貯金もあったり。
そんな生活をしてきました。
「僕にはこの子達と違って選択肢がたくさんある…」
見下してるとかではなく、正直にそう思いました。
「貧しくても笑ってて明るい子どもたちを見て癒された」といって子どもたちとの写真をSNSにアップして終わってしまう旅人もいる。
中にはズドーンと雷が落ちて人生を捧げるほどボランティアし続ける旅人もいる。
僕はそのどちらにもなれなくて、だから“日本人には選択肢があるからやろう!”って事を自分の中で意識して生きていこうと思ったし、それを人に伝えようと思いました。
貧しい人には選択肢があまりありません。
ある中で選択して生きていく事がほとんどです。
でも、日本人は違います。
選択をしない日本人
高校、大学、就職…
結婚、マイホーム、子供…
人生の道のりはみんなだいたい似ています。
僕達の国ではそれが普通です。
誰が教えたのかはわからないけど、いつしかそれが普通になりました。
さらに野球部は坊主にするもんだよ。
学生は髪を染めちゃいけないんだよ。
そんなわけわからないルールもそうです。
「これはこうだよ」
「あれはあんなもんだよ。」
そういう風に言うのは親かもしれません、先生かもしれません。
いろんな人に過去のルールを押し付けられながらみんな生きています。
「ランドセルは赤」と言われれば赤を背負うしかないし、「社会人はメイクをしろ!」と言われればメイクを勉強するしかありません。
僕は不思議でしょうがないです。
貧しい人に比べ、日本人には選択肢が無数にあります。
職業、住む場所、付き合う人、なんでもかんでも選び放題です。
でも選択しない人がたくさんいる。
押し付ける人がたくさんいる。
それが歴史的なものなのか、感覚的なものなのかわかりません。
わかりませんが、「やれるけどやらない」「やらせない」と言う人があまりにも多い気がします。
思い込みが邪魔をする
フィリピンに来る前に日本にいたとき思ったことを書いた記事がありました。
日本の貧困についてです。
日本の人々が自ら選択をしない根本的な原因は日本に根付く”思い込み”なんだろうと僕は 思っています。
お金がない、時間がない、それも思い込み。
なぜ学生がメイク禁止で社会人はメイク必須なの?と疑問に思う人は多分あまりいません。
みんな「それはそういうもんだ」で片付けます。
学問にメイクは関係ないからするな!
先生や大人は皆そう言いますが、メイクがあつかろうと薄かろうと確かに勉強には関係ありません。
だから関係ないからするな!はおかしいんです。
なぜ野球部は坊主強制なのに社会人になったら坊主禁止なの?というのも同じことです。
坊主だから正しい生徒。
染めてるから不良。
坊主の社会人はイカツイから禁止。
まったく持ってふざけてます。
そんな事は人間性や将来には何も一つも関係ありません。
学問に関係ないから染めるな!というのは謎でしかないです。
そうやって押さえつけられた子どもたちは結果的には荒波たてず、他と一緒を求める大人になってしまいます。
選択をしない事こそ逃げ
目の前にある多くの選択肢を見ようとせず、思い込んだコレと言うものだけを見て選択し続けることはある種の逃げだと僕は思っています。
僕は海外に行くといったときに先輩に「そんなの逃げだよ」と言われました。
海外でやれるわけ無いでしょ…って。
でもそれは今になって100%否定できます。
海外に行けばいいという話ではなく、興味がある事さえも「これはダメなこと」と自分で否定して押し殺すことの方が逃げだと思うからです。
本当に行きたい道を行かないこと。
本当に生きたい人生を生きないこと。
やれるのにやらないこと。
それが僕は逃げだと思います。
誰かが言った「人は皆平等」という言葉。
それは間違いはないですが、一部間違いはあります。
文化、国、宗教、家族などの周りの環境により、選択肢の幅は変わります。
不平等です。
ない人には無いし、ある人には有ります。
選択肢があるのに選択せず、野球部は坊主であるべきだ!とか、社会人はメイクをすべきだ!とか本気で考えるが多ければ多いほどにどんどん窮屈になっていくし、どんどん進化のスピードは遅くなっていきます。
今は貧しい国だといわれているところも未来はわかりません。
路上で裸足で遊んでる子供を見ても、路上でモノを売ってる人を見ても思うのは、日本もかつてそうだったはずだということ。
経済成長をとげて、今の豊かな日本があります。
先人たちの苦労、涙、汗の結晶が今僕たちが生きてる日本です。
その時は選択肢があまりなかったのかもしれません。
でも今はもう違う。
時代が変わり、世界が変わり、新しい未来へと移りゆく真っ只中にいます。
先人たちの功績には感謝して、新しい未来を作るために今度は僕たち20代30代の若い世代がより良い選択をしていかなければいけないと思っています。
選択肢がないのと、選択をしないのは違います。
選択肢がなくて新しい選択肢を作っていく事は大変ですが、とても意義があることです。
反対に選択肢があるのに、選ぼうとさえしないのはとても残念なことです。
赤信号は渡ってはいけません。
人を殺してもいけません。
でも、好きな人生を歩んでいけないということは無い。
人に決められた常識にとらわれず、自分の思い描く理想を選択する人が増えたらきっと日本はもっと素敵になるんじゃないかな…なんて思います。