ケジメをつける為に。サヨナラ僕の青春と東京。

今日東京のアパートを解約してきた。

8月末、タイに行く前に退去することに。

不動産からの帰り道にみた空は僕の知ってる東京の空。

僕は空が好きで、本当にいろんなところで空を眺めてきた。

僕は東京の空も好き。

家と家が近く、見上げても視界にどうしても建物が入る。

張り巡らされた電線が重なる。

それを邪魔と感じるか、そういうものだと感じるかどうか。

僕は東京という場所が好きだ。

様々なものがひしめき合い、賑やかで、場所を取り合っている。

電線さえも主張している。

そのくせ緑がたくさんあって広々した公園とか、信じられないほど静かな住宅街や静かな場所もある。

そのギャップがまた好きなんだ。

東京には不思議な魅力がある。

一番を目指せる場所で、一番を目指してる人にたくさん会える場所。

東京でなければ知れないこと、出会えない人がたくさんいる。

東京に住まないということはそういう魅力からも遠ざかることになる。

だけど、東京に憧れて移り住んできた12年前にハマって聞いてたThe back hornを聞きながら、今日家の解約を決意した。

東京でやりたかったことはすべてやった

僕は美容師になるべく東京にきた。

あの頃はもっと視野が迫ったからそれしか道はないくらいにも思ってた。

本気でやったし、夢もみた。

1番を目指そうとしたけど、無理だった。

僕にとっては27歳で独立して自分のお店を持つことが夢だった。

27歳のとき、それは叶った。

よく勘違いされるけど、僕は店を続けることは最初から考えてなかった。

たぶん無理だろうと思っていたから。

飽きちゃうから。

店作ったからってそこに留まるような人生は絶対に無理。

セルフ終身雇用なんてシャレにならん。

変な話だけど【独立する】がゴールだったのだと思う。

だから美容師として自分の中ではちゃんと終われたと思ってる。

ちゃんと途中で投げずにゴールできたと。

それで引退しようと決めたのが昨年末。
東京でやりたいことはもうすべてやったと思えた。

そして僕は山梨に生活の拠点をうつした。

何もうまくいかない日々

年が明けてプライベートも仕事も全然うまくいかなくなった。

人との関わりや、日々やるべきことに悩んだ。

なぜ自分はこんなことをやり始めたのだろう?と、口には出せなかったけど強く思う日々が続いた。

美容師をやめたことを後悔したり、戻ろうと思ったことはなかったけど、進むべき道がこれであってるのだろうか?と常に疑心暗鬼で、自分の中ではずっとモヤモヤしていた。

その頃は頼れる人もいなくて苦しんだ。

いくらでもいたんだろうけど、素直に頼れなかった。

1番身近にいた人とはうまくいかず、顔をみれば喧嘩して消耗するだけで、ぼくは逃げ場を探した。

向かったのは東京だった。

何かがしたかったわけでない。

でも何かがしたかった。

再起をはかるつもりで、3月に家を借りた。

ただ、自分の場所がほしかっただけなのかも知れない。

やるべきこと、やらないといけないこと、やりたくないこと、やりたいこと

いろんな想いとストレスが交差して行くなかで、仕事はどんどん増えていく。

山梨ではやるべきことに追われ、東京では仕事を作ろうといろんなことを模索した。

今思えば中途半端な事をしてたと思うのだけど、その時はそうでもしなければ死んでたと思うし、それは間違ってなかったと思う。

だけど結局プレッシャーやストレスにぶっ潰されて笑えるくらい寝込んだ。

やるべきこととやりたいことのバランスをうまくとってきたつもりだったけど、今まで人に任せてた仕事ものしかかってきて、やりたくないけどやるべきことだけで自分のキャパをオーバーした。

30歳になってまさかここまで追い込まれる事があるとは…と驚いたけど、おかげで吹っ切れた事もあった。

ひとつは人への依存。

自分は自立した存在だと思っていたけど、人任せに生きてた部分もたくさんあった。

例えば家族だったら依存していいとかそういうのは間違ってると知った。

親子も夫婦もそれぞれ個々の人間だから。

関係はあるけど、関係ない。

結局のところ何が大切かは人それぞれ。

お金でもめたら簡単にキレる関係もあるだろうし、身内の不幸より自分の幸せを優先することもあるだろう。

それぞれの人生を生きているのだから、感情論を抜きにすればどういう対応をしても間違ってはいないと思う。

ただそういう人に自分の人生の大切な部分を任せていたとしたら、まあ怖いなと。

そういう風にぼくは思った。

任せていたことを取り戻すためにものすごく時間も労力もかかってて、こんなことなら最初から自分でめんどくさがらずにやればよかったと思っても後の祭り。

個人情報、会社の機密事項、大切な情報を自分で控えず丸投げしていたことを激しく後悔した。

自分の情報をお金で買うときが来るなどと夢にもおもわなかったし、信頼とは一体なんなのかもよくわからなくなった。

だから人との密な関わりに関しては考えを改めることにしたし、自分がもっとしっかりしなければダメだと気がついた。

もうひとつはやるべき事が明確になった。

やっぱり自分は今山梨にいるべきだと思った。

美容師の次のキャリアとしてコンサルタントとかも考えていたし、実際そういうサービスや集客代行サービスもやっているけど、それは東京にいる必要はなくて山梨でもできる。

それらもやりつつ、山梨で今やっていることを社員と一緒に伸ばしていくことが最優先であると気がついた。

今までどこか山梨でやってる仕事はオートマチックにやるべきだ…と考えていた部分があった。

自分がいて成り立つような店舗とかサービスだと美容室Up to Youの二の舞になる。

出たいときに出れなくなる。

だから最初から社員に任せようと思ってたけど、その任せかたが悪かったというかやはり自分も体験して現場をみてサービスを向上させていく必要があると感じ、7月はほぼ山梨で働いてみた。

すると現場の雰囲気や問題点、チャンス、様々なことに気がつけた。

自分にとっても会社にとっても社員にとっても、僕は山梨にいるべきだ。そして今が変わるべき時なのだと思った。

ほぼ住まない東京の家を引き払う事もずっと迷ってた。

それをやってしまったら、もう逃げ場がなくなる…と。

でももう今は逃げる必要はなく、やるべきこともやりたいことも明確になってきたから。

それで家を引き払う決意ができた。

来年の4月を目標に次のステップへ

僕はいつも2~3年周期でガラッと人生が変わってる。

中学生
高校生
専門学生
美容師下積み時代
日本を旅して美容師をした時期
海外を旅して美容師をした時期
高円寺でのオーナー時代

今は言うなれば社長時代なのかな。

それぞれの時代のなかで3つのシーズンがある。

暗黒泥沼シーズン

うまくいってきてる波乗りシーズン

飽きてきて終息に向かうシーズン

そのサイクルのなかで生きている。

今は社長時代の暗黒泥沼シーズンが終わり、波に乗り始めていると感じる。

実は僕の中ではやっぱり永続的に社長としてやってくイメージはなくて、周期で別のポジションにうつったりすることはあると思う。

肩書きには一ミリもこだわりがないから。

とはいえ、今までと状況が違う部分が社員の存在。

社長としてはお店というか仕事はずっと残し続けていきたいし、人が変わっても働いて楽しく過ごせる場所は残していきたい。

今僕がやるべきことはそのできてきた地盤をより固くしっかりとしたものしていくこと。

山梨ではじめて2周年を迎える来年の4月には確固たる地位を作りたいと思ってる。

そして次のステップへ。

僕はやはり南米に移住したい。

住む住まないは別としても、とりあえず行ってやってみたいことはある。

ウユニ塩湖に移住する!みたいなことを2018年1月頃いってたと思うんだけど、それは全く諦めてない。

山梨でいろいろはじめて無理になっただけで、行くことは行くつもり。

実は順番が変わっただけでもある。

僕は南米にいって【ゲストハウス】【飲み屋】【美容室】の複合施設をやるのが夢。

お気づきだと思うが、それらをやっているのが今なんだ。

場所が山梨というだけで。

予行練習とは言わないけど、テストしてる部分も正直ある。

いきなり行ってうまくやれるほど海外は甘くないことを僕は知ってるから、遠回りのようで最短ルートじゃないかと思ってる。

ただ当初の想定より1年以上遅くなるってだけで。

僕は来年の春には動き出したい。

だからあと9ヶ月死ぬ気で働くつもり。

決意はした。

今まで中途半端にしたきたケジメをつけるべく家を解約してきた。

僕はもう東京には戻らないと思う。

戻らないというのは住まないという意味。

楽しい思い出もたくさんあったけど、思い出したくないくらい辛いこともあった。

全部ひっくるめて良い思い出ではあるけど、今は少し休憩をしたいかな。

でもこれまでのようにセミナーとかコンサルとか、空港行ったり遊びに行ったり毎月東京は行くことは行く。

近いし。

家がないからそこら辺で寝ると思う。

山梨でも家がないので、ホームレス。

まあそう考えるとあんまり今までとほぼ変わらないかな…。

僕は東京の狭くていろんなものが目に移る空が好き。

星は見えないけど、目を落とすときらびやかな世界がそこにはある。

すれ違った人と二度と会えないくらい人が多い中で出会い、恋をした人、喧嘩をした人、一緒に働いた人、酒を飲んだ人。

会えなくなった人、喧嘩別れした彼女、疎遠になった友達、いろいろいる。

もう会うこともないかもしれない。

その数々の思い出だけがこの眠らない町のネオンのように存在し、亡霊のようにさ迷い続けてるような錯覚に陥る。

センチメンタルで、泣きたくなる。

戻りたくても戻れない思い出の数々。

去ることを決意すると、変に思い出す。

かつて憧れた東京はやはりこれからも特別な場所でありつづけると思う。

12年間で自分は何を得て何を捨ててきたんだろう。

電線とビルでくしゃくしゃになった夕日を見ながらそんなことを考えた。

また会うときに会いましょう。。。

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