『その時にはもう死んでたよ』
ある日父親に言われた。
実家がある山梨に住む僕の家族は、今おばーちゃんの介護をしている。
もうすぐ90歳になろうというところで、ほぼ寝たきり。
それを僕の親父や母親が介護している。
この前実家に帰ったときに酔っ払った親父と少しそんなことについて話をした。
『昔の人も親の介護してたの?』
『いや、もうその前に死んでたよ』
『あ、そっか…』
質問した後に、今とは時代が全然違ったということに気がついた。
世界一の長寿大国ニッポン
今日本は世界一の長寿大国。
なんと100歳以上の高齢者は全国で61000人もいるのだそう。
けど昔はもちろんそんな事はなく、そんなに長生きすることが稀だったそうだ。
確かに僕が子供のときには金さん銀さんが珍しい存在って感じでテレビに出てたけど、今はそんな人を取り上げることもない。
最近知ったのだけれども、1914年(大正時代)に生まれた人で100歳まで生きた人ってわずか1%しかいなかったらしい。
ところが100年後の2014年(平成)生まれの子どもたちで109歳まで生きる人は50%以上もいるのだそう。
それだけ医療、健康、生活など、様々な事が変わり、寿命が伸びまくったのだ。
現在28歳である僕ら世代(1988年生まれ)もどうやら100歳近くまで生きてしまうらしい。
そうやって寿命がどんどん伸びるこの国では約30年後の2050年には100歳以上は100万人まで増加する。
それだけでなく、少子化も進みMAX1億3000万人もいた人口は2060年には8700万人まで減っていき、約半数が65歳以上になるそうだ。
いろいろと凄まじい世界だ。
若者って何歳まで?老後って何歳から?
僕はよくそんなことを考える。
28歳である僕は、若者だと思ってる。
でも大正時代で考えたらもう人生も終盤にさしかかっていた。
なぜならその頃の平均寿命は46歳だったからだ。
でも今僕は自身を若者だと思ってるし、おそらく現代ではみんなそれを否定はしない。
おばーちゃんの世代がいういわゆる老後と言うやつは、高齢者と呼ばれる65歳以上なのだろう。
ところがそれは僕達アラサーの親世代(1955〜1965年生まれ)にも当てはまるのだろうか?
僕は当てはまらないと思う。
理由は寿命が伸びまくっているから。
おばーちゃんの介護の話を聞きながらふと思った。
『俺もいつかこの親父を介護するのだろうか…』
それが今介護されているじーちゃんばーちゃんよりも長生きするわけだから、長〜いこと観ないといけなくなるのか…という何となくの不安は感じずにはいられない。
それはもっと言うと、僕の子供がいつか僕のことを介護するとしたらとんでもない年月になってしまうのではないか?と思ったりもする。
そう考えると、なんだか長寿って、字のわりにはネガティブなものなのかなーなんて思ったこともあった。
でもそれは違うということを知った。
【長生き=時間が増える】それは幸せ?
単純に考えて、なぜ寿命が伸びるのか?と考えてみると、それは医療機関の発達だったり生活環境の改善だったりするわけだ。
という事はボケてしまったり、体を壊したりする年齢も今より遅くなるはずだ。
だから意外とそんなに長期間介護なんてしないのかもしれない。
…という話を聞いた。
なるほど…と思った。
つまり好きなことをする時間が増えると考えるほうが自然なのかもしれない。
今僕が28歳でまだ若者だと思っているように、昔の60歳と今の60歳もまた違うのではないだろうか?
僕は当然60歳まで生きたことがない。
だから感覚的な部分はわからないけど、50年前ならそれこそ寝たきりだったかもしれない60歳という年齢の人が、現代では歌舞伎町でチョチョイと朝まで飲んだりしてるわけだ。
てことは、やっぱり昔に比べて精神も肉体も若いのだと思うし、一概に老後と言えるのかは疑問に思う。
つまり親世代には一般的に老後と言われてても“まだまだ元気に動ける時間がたくさんある”って事になる。
子育ても終わり、家のローンも終わり、時間があるから昔弾いてたギターでももう一回やってみるかな?とか、夫婦水入らずでヨーロッパにでも…なんて話になるはずだ。
ならなきゃおかしい。
元気な人が隠居なんかできるわけがないからだ。
楽しいこともいっぱいできる。
いろんなところにも行ける。
長寿ばんざい!!
って事になるはずだ。
普通なら。
でも、このままだといろいろヤバイのではないか?と僕は思う。
好きなことが本当にできるのか?
これは今から10年後とかの2030年ころに起こるだろうという話。
僕は旅が好きだ。
いろんな国を見て、いろんな人に会って、ヒントをたくさんもらって生きてきた。
それでなくても、この国にはない美味しいものを食べたり、緑色に光るきれいな海を見たり、混沌とした街を歩いたり、物乞いをする家族を見たり…
新しい経験と言うものはカレーのスパイスみたいに人生の”味”になるし、加えれば加えるだけそれが”コク”となってもっともっと濃い人生を送れる。
頑張って何十年と働いて、リタイアした親にもそういう経験をしてほしいと僕は純粋に思う。
なにも旅じゃなくていい。
それが絵でも、生花でも、カメラでも、車でも、なんでもいい。
つまり、好きなことやってよって思う。
やってほしい。
今まで僕や兄弟のために頑張ってくれたのなら、思う存分やってくれ。
本気でそう思う。
でも、考えなくちゃいけないのは“どこからその活動費がでてくんの?”ということ。
65歳で定年。
でも”老後”は90歳とか100歳まであると。
退職金がいくらとか、貯蓄がいくらとか、そんなことはわからない。
年金もまだ貰えると思う。
でもそれで十分にやっていけるのだろうか?
好きなことをやる余裕があるのだろうか?
と思う。
だからといって、働けばいいという話ではない。
40代や50代と同じように働くのは体力的にも気持ち的にも無理だと思うから。
もし働くとしても何歳まで働くつもりなの?とも思う。
誰にでもできる仕事を選べば収入は減るだろうし、そうなれば当然余裕は無くなる。
余裕が無ければ好きなことなんかできるわけもない。
好きなことができないならまだしも、生活できない人も出てくるかもしれない。
だから、ヤバイのではないか?と思う。
手に職がある人は他人事のように思うかもしれないけど、例えば美容師ならどうだろう?
65歳すぎても、1日に何十人とカットをできるのだろうか?
それはさすがに無理だと思うし、手がポキっと折れてしまったらどうにもならない。
今から30年後の未来の日本では人口の約半分が65歳を超えている…だから決して夢幻ではない
と僕は思う。
長寿大国であり、少子化が進んでる国であるから少し先のことを考えると変えていくべきポイントに来てるのかもしれない。
だからこそ今のタイミングで『働き方がなんとかかんとか!』『改革がどーのこーの!』っていろんな偉い人が言ってるのではないか。
僕たち若い世代もそれは考えなきゃいけないけど、本当は僕達の親世代も本気で考えないといけないことなのかな?なんて思う。
生意気な事をあえて言うけど…
こんなん書くと『この社会もろくに知らねークソガキが!』と思われるんじゃないかなーと思う。
というか、思われる。
きっと。
実は前に自分の親にもこんな話をした。
結構真剣にした。
でも『うーん』みたいな感じだったし、結構否定的でもあった。
よく考えたら、それは当たり前の反応なのかもしれない。
先のことなんてよくわからないし、昔のイメージがつきまとうはずだからだ。
でも1つ言えるのが『想像してる老後はきっと来ないよ』ということ。
別に嫌がらせしてこさせないわけじゃないし、本当にこなくてもそれは僕のせいじゃない。
社会が世の中がそうなっていってるんだから、仕方ないとしか思えない。
社会のことを学べば学ぶほど、そう思う。
いろんな社長さん、オーナーさん、時代を作るような若者と話してるとそう思う。
僕はバブルとか、そんな時代は知らない。
バブーってやってた頃だから知るわけもない。
いい時代を思い出すことも、懐かしむこともない。
だからこんな事を平気で言えるのかもしれない。
でも、ばーちゃんを介護してる親を見て思うのは、本当に単純に、ただただ楽してほしいなってこと。
好きなことやってほしいなってこと。
それは感謝してるから思うこと。
『大阪にいっぺん行きてーなー』って言って、行かずにもう5年たったよ。
働く意味ってなに?
仕事ってなに?
寿命が伸びた以上、定年も伸びるだろう。
働くことが悪いのではない。
85歳とかまで働くとしても、何をする?何を選ぶ?というこを自分がいかに真剣に考えてるかどうか?が大切なのではないだろうか。
手段が溢れているこの世の中、やり方はいくらでもあると僕は思う。
息子娘くらい年下の声を少しくらい聞いてもいいんじゃないかな…なんて思って書いてみた。
そしてこれは僕達の世代にも言えること。
フリーランスと雇用どちらがいいのかなんていうレベルの話ではない。
20代から老後の貯金しとけばいいっていう話ではない。
シェアリングエコノミーがいいとは僕も思う。
だけど、個人レベルで言うとそういうのはもうどっちでもいいんだ。
“自分の未来のこと本気で考えてる?”
ただそれだけなのだろう。
共感してくれる人がいるかどうかはどっちでもいい。
風邪ひいてのどが痛いんだけど、冷蔵庫にあったハイボールとチューハイ飲んだ勢いで書いてしまっただけ。
ヒトリゴト。