神風特攻は勝つためにやっているのではないという証言を考える

【日本人なら知っててほしい話】

百聞は一見にしかずというが、今回気がついたことと自分の考えを忘れないためにアウトプットしたくて、まとめましたのでぜひ目にした方は下まで読んでみてください。

重い話ではないと思いますが大切な事ではないかなと。

昨日、10代のときから行ってみたかった知覧特攻平和会館へようやく行けた。

知覧というのは鹿児島の南にある街で、第二次世界大戦の終戦間近にはその街にある基地から500機近くもの飛行機にのった特攻隊員が片道燃料と250kgの爆弾を抱えて沖縄へ飛んで行き、敵の戦艦へと突っ込んでいった。

その多くは20最前後の若者であった。

日本にはそんな戦争の歴史がある。

知覧特攻平和会館はその時の事細かな様子を知ることができる大変貴重な資料館であり、是非一度行ってみることをおすすめしたい。

“神風特攻とは一体何なのだろう”

これは昔からずっと考えていたことだったが、今回少しだけ答えが見つかったような気がした。

ある特攻隊員と特攻を創始した人物の【特攻は勝つためにやっていたのではない】というまるで矛盾しているかのような証言が1番すんなり来たし、これこそ後世に伝えるべき言葉なのではないかと思いこれを書いている次第。

もちろん「勝つためにやっていたのではない」という想いや発言も一概に言えることではない。

日々変わる戦争の状況にせよ、上司の判断にせよ、特攻の志望があったかなかったか、それが強制なのか、積極的なのか消極的なのか、家族はいたのか、特攻隊員一人ひとりの背景が違いすぎる。

だから決めつけることはできないが、総合的に考えるとそのように思っていた人はたくさんいたのではないかと僕は想像する。

カミカゼというのは海外では【テロ】という認識をされることもある。

というのも、爆弾を抱えて突っ込むのであれば自爆テロとは同意になると考えるのは当たり前。

しかし特攻といわゆる自爆テロとは攻撃対象が違うので根本的に別ものであり、あくまで敵への攻撃の手段という認識があると思う。

とはいえそれが正当かどうかというとまた話は別。

実際に8000人以上のアメリカ兵もまた特攻により亡くなっている。

現代日本の【若い隊員がお国のために突撃して勇敢に散った】とか【国を守った英雄】とか【愛する者のために死んだ】みたいなまるで美談のような表現をされたり語られたり書かれたりすることに僕はずっと違和感を感じていた。

特攻というのは美化されるべきものなのだろうか?

涙を誘う、同情を誘うストーリーなのだろうか?

確かに悲劇的な話であるが、そもそも戦争というものが悲劇なのだから、原爆も空襲も太平洋の島々での戦闘も、その時代に生きた当事者すべてにとって戦争というものは悲劇そのものだったと僕は
思う。

確かに当時の日本は全体主義の国家であり、やらざるを得ないことは多々あったと思う。

今とは感覚も教育も違う。しかし人は人だ。

出撃命令を受けた当時の隊員はどのようにそれを受け止めていたのだろう。

お国のため…天皇陛下のため…という言葉や遺書の裏側にはどんな想いが隠されていたのか?

一人ひとりは何を思い、見送る親族や周りの人はその若者をどう見ていて何を感じていたのだろうと…

考えても調べてもそれが見えなかった。

だからいつか知覧へ行ってみようと思っていた。

いくつもの逸話や遺書などを見て様々なことを思ったが、特に2つ心に響いたものがあった。

特攻の創始者大西瀧治郎は終戦前このように語ったそう。

「戦争は負けるかもししれない。しかしながら後世において、われわれの子孫が、先祖はかく戦えりという歴史を記憶するかぎりは、大和民族は断じて滅亡することはないであろう。われわれはここに全軍捨て身、敗れて悔いなき戦いを決行する」

つまり勝つための戦いというより、また愛する者のためにというよりは【後世の日本のために】記憶を残そうとした。

表現は違えど、似たような事を書いてある特攻隊員の言葉は他にも見た。

全体主義的な日本と当時の状況で”やらざるを得ない”ことだったとしても、自分の命を捨てるという状況においてそのような事を考えている特攻隊員がいた事に驚いた。

その感覚は僕も含む現代の日本人にはおよそない感覚だと思った。

大西瀧治郎は終戦翌日に特攻隊員と家族に【謝罪と感謝】の言葉を残して自殺をしている。

特攻で死なせた人々の後を追ったのだろう。

もう一人、この様な遺書を残した特攻隊員がいた。

【所感】

栄光ある祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ、身の光栄これに過ぐるものなきと痛感いたしております。

思えば長き学生時代を通じて得た、信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合、これはあるいは自由主義者といわれるかもしれませんが。自由の勝利は明白な事だと思います。

人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく、たとえそれが抑えられているごとく見えても、底においては常に闘いつつ最後には勝つという事は、かのイタリアのクローチェもいっているごとく真理であると思います。

権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。

我々はその真理を今次世界大戦の枢軸国家において見る事ができると思います。

ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツまたすでに敗れ、今や権力主義国家は土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。

真理の普遍さは今現実によって証明されつつ過去において歴史が示したごとく未来永久に自由の偉大さを証明していくと思われます。

自己の信念の正しかった事、この事あるいは祖国にとって恐るべき事であるかも知れませんが吾人にとっては嬉しい限りです。

現在のいかなる闘争もその根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。

既に思想によって、その闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。

愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。

真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。

世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした。

空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事も確かです。

操縦桿をとる器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、ただ敵の空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬものです。

理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考うれば彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。

精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。

一器械である吾人は何もいう権利はありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を国民の方々にお願いするのみです。

こんな精神状態で征ったなら、もちろん死んでも何にもならないかも知れません。

ゆえに最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です。

飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり、熱情も動きます。

愛する恋人に死なれた時、自分も一緒に精神的には死んでおりました。

天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから

何でもありません。

明日は出撃です。

過激にわたり、もちろん発表すべき事ではありませんでしたが、偽らぬ心境は以上述べたごとくです。

何も系統立てず思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。

明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。

彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。

言いたい事を言いたいだけ言いました。無礼をお許し下さい。ではこの辺で

出撃の前夜記す。

“理性を持って考えたなら”

とありますが、人間は理性がある生き物。

戦争が人間の理性をなくすわけではないと思う。

今となってはすごく真っ当な、だけど当時では異端な、だけどすごく人間的な考え方。

戦争とはそういった【人間らしさ】をことごとく否定するもので、無情で悲惨なものであると改めて認識させられた。

だから美化されるべきものでも、できるものでもないと思う。

戦争は美しいものではなくもっとドロドロとしてて残酷で悲惨で真っ黒な歴史である。

人は歴史から多くのことを学ぶことができる。

また歴史からしか学べないものもある。

ぼくは幼い頃から祖父母に戦争の話をよく聞かされた。

ご飯を「配給だよ」と言って出す祖母は米粒1つでも残すと怒った。

祖父は酔うと戦時中の話を良くした。

子供ながらに【何十年も前の若い時の記憶】を繰り返し繰り返し話す様に不思議に思ったりもした。

そこからかもしれない。僕は日本の歴史に興味を持った。

もちろんそれは戦時中のみならず戦国時代から鎌倉時代から何から。

だけど遥か昔の戦国時代とか江戸時代とかはいまいちピンとこないものがあり、どこか別世界の事のようにも思えた。

それに比べ戦争の歴史は昭和の歴史でもあり、リアルだった。

僕は昭和最後の年生まれだからか、あまり夢物語の様には感じなかった。

10代のうちにいくつかの戦争の資料館をまわった。

例えば【戦後シベリアに抑留されていた人が何万人もいて最後に帰国した人は戦後11年もたってからだった】とかそういった学校では教えてくれないことも実はたくさんあると知った。

学校教育は受験に受かるための教育だから、いちいち深堀りはしない。

戦争もあくまで日本の全体的な歴史の一部にすぎない。

旅をしながら全国のそういった資料館にも足を運んだ。

太平洋戦争には真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、沖縄の地上戦、東京大空襲、原爆、神風特攻隊

などそういった重要なワードがいくつかあるが、それぞれにそれぞれの事情や背景があったり、当時の様子は各出来事で全然違うものであるので、日本の戦争の歴史は多面的で複雑で様々な見方ができる。

だからこそ学ぶということに億劫になる人もいるかもしれないが、最近では戦争は残酷だから子供の教育に悪影響という考え方もあるらしい。

それは違うと思うのだが、そういう環境を作ってしまう人もまたそんな環境で育ったのかもしれない。

これからの日本の子供は戦争や特攻が何かはわからないと言うと思うし、興味も持たないと思う。

実際僕の同世代でも「終戦記念日とか知らん」という人はいる。

昔好きだった子がそんな事を言っていてなんか引いてしまったこともある。

多くの人々にとって戦争ははるか昔のことになってしまってるのだ。

そういう事を嘆いたところでどうにかなる事でもなく、それは必然なのかもしれない。

戦争を知らない世代が戦争を起こすわけではない。

全国民が戦争のことを知っていれば平和で戦争が起こらないかといえばそうではない。

人類の歴史を見る限り争いは起こるべくして起こるだろうしそれにより世界は常に変わってきた。

“知ること”で平和になるわけではないとしても。

やはり日本人として知っておくべき事の1つではあると思う。

太平洋戦争は日本が正しかったわけではないし、アメリカが正しかったわけでもない。

戦争とは美談ではない。

戦争とは人間を否定する、ただただ悲惨なものであるという事だけは自分に子供が出来たらちゃんと伝えたいなと思ってる。

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