悲報。
タイヤ、逝く…。
朝延岡ではお世話になりっぱなしのスーパーむしかさんへ開店前にお邪魔しました。
高菜とお別れのご挨拶…のはずがマジでビビって出てきません。
覗き込む様子。
高菜はとにかくこのスーパーが怖いらしいです。
拾ってくれたのに…ってのはこっちの問題で、死にかけた嫌な思い出があるんでしょうね。
写真とかはとれなかったけどそれでもちょっとだけ顔は見れたようでした。
たくさんお土産までいただきまして、
ホントに恐縮です。
スーパーの売上にちょびっとだけ貢献してお惣菜やら買いました。
あ、高菜も大量に買ったので今日以降お会いする方には差し上げます。
数量限定。
皆さんにお別れを告げ、まずはタイヤの修理に。
このまま高速に乗ったりしてたらバーストしてたとかなんとか。怖。
なんかずっと眠くてそのままちょっと仮眠をして、南を目指します。
今日の目的地宮崎市までは90キロとかそのくらいだったので、のんびりどっかによってからいくことにしました。
日本の空白の歴史を知れる西都原古墳群へ
またマニアックな…と思われるかもしれませんが今回の旅のテーマは歴史と郷土料理と文化にふれるですのでね。
といってもここはたまたま地図を見て知りました。
とりあえず向かってみることに。
この日はホントに天気が良くて15℃以上はあったと思います。
西都市ってなんかカッコいい名前ですね。
カッコいい街の名前選手権とかやってみようかな…アンケート機能使って。
山梨の竜王町とか上位いきそう…
西都原古墳群とは…
西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)は、宮崎県西都市三宅・童子丸・右松にある古墳群。国の特別史跡に指定されている。
標高70メートル程の洪積層の台地上に分布する日本最大級の古墳群である。第81号墳を現状最古として、4世紀初頭[1]から7世紀前半にかけての築造と推定されている。
現在、高塚墳319基が現存し、その内訳は前方後円墳31基、方墳2基、円墳286基[2]であるが、他に横穴墓が10基、南九州特有の地下式横穴墓が12基確認されている。
wikipediaより
西都原古墳群の何がすごいかって、百舌鳥古墳群とかとはちがって周りに家とかがないんですよね。
つまりガチな古墳群。
これは大変貴重な遺産だと思うわけです。
高菜も全く興味がなさそうです。
とりあえず中へ。
空白の4世紀とは?
日本には空白の歴史というものがあります。知ってましたか?
中国など諸外国の歴史文献に266年から413年にかけては日本の記述がないのです。
その間に何が起こっていたかはわからず、ヤマト王権の成立過程などが把握できていないんですね。
なので「空白の4世紀」とも呼ばれているわけです。
空白の4世紀があるのになぜ日本の歴史は紀元前660年から続いてるの?と言う疑問もうまれるかとおもいます。
話すと長くなるので調べてくださいw
その空白の4世紀の謎を解き明かす鍵は古墳にあると言われています。
しかし古墳は宮内庁が【皇室関連の場所】とかいって調査禁止していたりするのでわからないことも。
↓これは天孫降臨ニニギノミコトとその妻コノハナサクヤヒメの古墳だそう。
こちらは調査が入ったらしい。
4世紀頃にできて、明治時代に【ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメだ】と認定されたと。
なんか後から取ってつけたような印象ですね。
そのあとは近くにある考古学博物館へ。
博物館は写真がとれなかったので細かいことは僕の思い出の中にしまっておきます。
ちょー楽しかった…。
宮崎市の夜の街へ
宮崎名物フェニックス↑
宮崎市は大都市でした。驚いた。
高にゃんにエサをあげてまた僕はお散歩。
一緒に連れていきたいけど店に入れないからなぁ…。
なかなかペット可のとこないんですよね。
宮崎市はホントになんかいい感じの規模感。
これは住める。暖かいし。
ただ地方の繁華街あるあるなのですがめちゃくちゃスナックがおおい。
なんでなのか。
1時間半ほどブラブラとさまよい、最終的に刺し身とか食って帰宅。
いや、帰車。
おとなしくたかにゃんと就寝。
朝方サンマのおもちゃをしばきまくって何回も起こされましたが可愛いから許す。