朝起きてどこに行こうか悩んだ末、旭川に行ってみることにした。
起きてから行き先を決める…毎日そんな感じだから明日どこにいるかもよくわからない。
札幌に戻ってくるか謎なので、とりあえず味噌ラーメンは食べておこうと思い、あいているラーメン屋を探して適当に入った。
こういうときに有名店とかに行かない派だったりする。
並んだりするのはめんどくさい。
旭川までは130kmらしい。
2時間半ほどでつくみたい。
あまり早くついてもあれなので、途中にある神居古潭という場所にも立ち寄ってみることにした。
神居古潭はアイヌの伝説の地で、魔神と英雄が戦ったみたいな伝説が残っている川らしい。
すごい。
この旅でアイヌの文化を学ぼうと思っているので、とりあえず神居古潭を目指す。
100キロちょっとの道のり。
国道12号という道をひたすらまっすぐ行くとつくようだ。
12号線は日本一長い直線道路らしく、30kmも直線が続く場所があるらしい。
北海道ならでは。
途中奈井江町というところで休憩した。
約30分ほど。
12号について書かれていた。
道の駅だったけど売店とかも休業してて暇だったので裸の銅像を舐め回すように撮影しているとオッサンにすごい変な目で見られてしまった。
僕がオッサン側の立場でも「何だアイツ…」って感じで見てしまうと思う。
僕は一体なにをやっていたのだろう。
またバイクにまたがり神居古潭まで走る。
しかし直線だし信号もあまりないからホントにみんなめちゃくちゃすっ飛ばす。
正直怖い。
時速100キロくらいでみんな走っている感じ。
捕まらないのだろうか?
グーグルマップで2時間半と出ていたけど時速100kmで走ったら札幌⇔旭川1時間半くらいでついちゃうのではないだろうか?
そんなことを考えながら走っていても不思議なことにぜんぜんつかない。
なんでだろう?
ようやく神居古潭に到着したときは3時半だった。
え…?
11時半に札幌を出て、途中30分休憩して、今3時半???
What…?
なんかおかしくね?
札幌→神居古潭は110kmほどでグーグルマップ上では2時間くらいでつくはずだった。
周りに合わせてそこそこのスピードで走ってきたような気がするのだが、2時間どころかすでに4時間が経過していると?
なんか異次元でも走ってたのか…?
わけがわからなすぎたが、考えても答えは見つからないので考えるのをやめた…。
神居古潭はこんな感じだった。
渓谷みたいな。
昔は鉄道が走っていたらしく駅の名残があったが、他には特に何もなかった。
そこからは順調で、時間通りに旭川に到着。
荷物をおいて街ブラしてみるも、全然店とかやってない。
それにしても車道もやたら幅があって広いけど、歩道も無駄に広い。
なんか全ての間隔がすごく広い。
ソーシャルディスタンス。
思えばラスベガスやカリフォルニアもこんな感じだったような気がするな。
ワンブロックがとにかく広くて、信号から信号が数百メートルあったりとかして。
やっぱり近代になって作られた街だからなのだろうか?
北海道はどの街も作られた感がすごくある。
道とかほぼ#こんな感じだし。
ご飯を食べようにも見事にどこもやっていないので、どうしようかとふらついているとおにーさんがチラシを渡してきた。
デパートの屋上でジンギスカンが食えるらしい。
せっかくなので行ってみることにした。
なかなかいい景色。
ビアガーデンだった。
ホタテとジンギスカンを。
やはり北海道に来たらジンギスカンは食べたくなるよね…。
美味しかった。
1000年後には同じ時間が流れているとはとても思えない
しかしなぜ札幌⇔神居古潭が倍近くの時間がかかったのだろう?
おそらく時速50キロくらいで走る想定でグーグルマップは2時間だと言っているわけで、それより早い速度(70〜80キロくらい?)で走っていたのだがなぜ倍の時間がかかるのかまったくもって意味不明である。
そのらへんのおばちゃんも100kmくらいで走っているので70キロでも遅い感じがするのだが、警察がいたらやはり捕まるのだろうか。
北海道ルールがマジでよくわからん。
ところで時空の歪みというものは存在するのだろうか。
今回の不思議体験は説明がつかないのでよくわからないが、なんか知らないけどめちゃくちゃ時間がかかってる瞬間ってあると思う。
僕の中ではあれだ。飛行機。
成田発バンコク行き12時発くらいの飛行機に乗ろうと思ったら何故か早朝4時半くらいに起きなきゃ絶対間に合わないでしょ?
あれは時空が歪んでいるとしかマジで思えない。
バイクに乗りながら暇なのでいろいろと考え事をしたりするんだけど、時間の感覚というものは1000年前と今って同じなのだろうか?
持論だが絶対に違うと思う。
なぜなら移動の速度が上がっていることと、寿命が伸びていることがあげられる。
例えば札幌から旭川へ130km移動しようと思ったとき、昔は徒歩だから1日30キロちょい歩いたとしても4日くらいはかかってしまう。
24時間×4で96時間である。
ところが今は時速100キロですっ飛ばせば1時間30分でつく。
この差は思いの外でかいのではないだろうか。
そもそも1時間の価値というものが人によって全く違うのは現代でも言えることなのだが、それはジャネーの法則という。
4歳時の1年は人生の25%であるのに対して、100歳の1年は1%になるわけなのでまったくもって重たさが違う。
大人になると日々が短く感じるのは、時間の価値観が小さくなっていっているからなのだろう。
ということは昔の寿命が短い時代においては人の1年は今とは比べ物にならないほどとても長く重いものだったと思う。
その中で96時間を使って移動するということはかなり大事だったのではないのだろうか。
それに対して今は人生100年といわれ、たった1時間半で高速移動することができる。
1時間の重みはどれほど違うことだろう。
昔に比べて今は人生がとてつもなく長く、日々がとてつもなく軽い。
だから日々を大事にできないこともあると思う。
しかしなんとなくそこを意識して生きたときに、少し得をしたような気になると思う。
時間の重みを意識したときにもしかしたら見える世界は変わるのかもしれない。
それと同じように1000年後と今とでも時間の流れは確実に違うことだろうと思う。
どんな世界になっているかはわからないけど、少なくともすべてがより早くはなっているのではないだろうか。
移動速度が早くなると時間の流れが遅くなるという理論があるのだが、今よりもっと長くもっと薄い世界観がそこにはあるのだと思う。
とても想像がつかないが、いつか必ずそういう日が来ると思うと、昔の人も同じように思っていたのかもしれないと思うと、少しワクワクする。
そして歴史というものの重たさを感じることができる気がする。
今僕達が1000年前の日常や体感時間を知ることができないように、1000年後の人々も今の時代を想像して旅とかするのかもしれない。
その頃にはタイムマシンができているのかな。
時空を超えて旅ができるなんて夢のようだ。
時間というものは考え出すと本当に面白い。
空間もそう。
ものすごく不思議な世界に生きているのに、気にしようとしなければ気にならない。
ものすごくそれそのものが不思議である。
しかし2時間の道のりが4時間かかったというのは本当に異次元を走っていたとしか思えないが、先日夕張市→札幌と移動したときも倍近くの時間がかかったことを思い出した。
もしかして北海道は魔界なのか…?