現実的に考えると今やっている仕事を辞めたくなる。破天荒そうで保険をかけた生き方。 8/27の日記

北海道・東北旅も7日目。

早いもんだ。

昨日は迷走の末、札幌にやってきた。

なんとなく疲れた気がしたので2泊分のホテルをとり、昼ごろまでゴロゴロしていた。

遠隔餌やり機というのをもらったので、今日もそれで高菜チェック。

このスクショはその時のではないが、運良く顔が見えた!

キャワイイ。

ことあるごとについ見てしまう。

ほんとカワイイな。会いたい。

旅で一番辛いのは猫に会えないこと。

そんなことを思いながら「今日は休日にしよう…」と。

長旅というものには実は休日が必要である。

短期決戦であればスケジュールを詰め込みあれもこれもと行動するものだけど、長期の旅だとそういう事をやっていると非常に疲れるしお金も面白いように飛んでいく。

なので”何もしない日”みたいなのは結構重要だったりする。

札幌へ来てみたものの、過去何度も来ていることもあってコレと言って観光したい場所もないという理由もある。

というかそもそもあんまり旅をしていても観光というものをしない。

なんか作られたきらびやかな場所よりも、人々が生活している路地裏のほうが現実的な感じがして、むしろそういうところへ溶け込んでみたい。

だからご当地スーパーへ行ってなんか地元のものを買って料理したり、ローカルな店で地元のおっさんと飲んだり、そういうことをする。

今はとても辛いのがコロナであんまりそういう飲み屋とかに突撃しずらくなってしまったことである。

店も休業しているところもあったりするし、札幌のすすきのも寂しい感じになっていた。

午後になり、少しでかけてみた。

ボーイズ・ビー・アンビシャスで有名なクラーク博士像がある羊ケ丘へ行こうかと思ったが、なんか途中でめんどくさくなってそのまま1時間ほど走ってまた駐車場へ。

札幌中心部で24時間600円で停められるところを発見したのだが、それより安いところも探したけど見当たらなかった。

どうやら安い駐車場探し力みたいなのが結構あるらしい。

バイクを停めてホテルへと戻り、夕方街へ行ってみることにした。

なんかわからないけど、とりあえず【限定】とか書かれていると買ってしまうよね…。

しばらく街をふらついた後は開いてた店でザンギと寿司などを食べてみた。

一応北海道らしきものを。

本当は巨大なホッケが食べたいところだけど、ソレはなかった。

北海道に滞在しているうちに魚はいろいろ食べる機会もあるだろうから、また今度。

食べながら考えていたんだけど、とりあえず明日からのルートもなんとなく決まった。

日本最北端の地の稚内と、知床は諦めることにした。

その代わり行きたかった網走とか釧路とかアイヌの縁の地を巡ってみよう。

他の街はまた改めて来ればいいや。

ただ今度は車がいいかな。

破天荒そうで保険をかける生き方

ちょっと旅とは関係ない話なんだけど。

まあなくもないか…。

僕は破天荒そうによく思われる。

大人になってもフラフラし、仕事もコロコロかえ、放浪してみたり野宿してみたり…

多くの人からすれば「こいつは一体なにをやっているのだ…」と思うことだろうし、実際そう言われたりする。

僕としては何をやっているかはそんなに重要ではないと思っている。

今やっていることも、過去も未来も、何をやるかはわりとどうでも良い。

ただ一つのことに執着をしないようにはしている。

中途半端と多才は違うと思っていて、中途半端というのは結果を出さずにやめてしまうことである。

それはあまり褒められたものではない。

今なぜ仕事をほっぽりだして旅ができているのか?

これを理屈で説明することはすこし難しい。

理解してもらうこともおそらく難しい。

なので周りの人は「アイツすげーな」または「アイツやべーな」ということになってしまう。

しかし僕はすごくもやばくもない。

実は行動の理由はものすごく現実的に生きようとしているからだったりする。

現実とはなにか。

今目の前に実際に現れていることをいう。

それは想像できたことでもあり、できなかったことでもあると思う。

現実とはそれほどに曖昧な事実だということ。

その曖昧を想定しようとして、いつももがいている。

当たり前なんて絶対にありえないのだから。

僕は10年やった美容師をやめたから、今旅ができている。

6年やったWEBの仕事をやめたから、旅ができている。

4年やった経営をやめたわけではないがやり方を変えたから今旅ができている。

【変える】【辞める】

旅ができているのはこれらの結果である。

それらは無謀だったり無茶苦茶なことのようにも思うだろうが、僕は1つのことに執着することのほうが無謀だと思っている。

ある程度やったら【実績】というものがつく。

また技術や知識といった経験、その世界の人とのつながりだってできるだろう。

それらができたと思ったときに、僕はそれを保険に変えてしまう。

多くの人は保険は日々お金を払っていざというときに助けてもらうものだと思っている。

しかし僕は自分の実績と経験こそが自分自身にとって最強の保険になりうると思う。

つまり、もしなにかあっても僕はいつでも美容師に戻ることができる。

そういう保険があるということ。

僕はいつでもPCがあれば仕事ができる。

僕はいつでも観光の仕事ができる。

できるから辞めた。

できるから収入になる。固執したくなる。

だけどやめた。

辞めて次のことにトライするために。

それらはすべて死ぬまでの過程であり、それがすべてではない。

辞めた結果今は時間がある生活というものを送れている。

なにか新しいことに挑戦するにはやはり”後ろ盾”みたいなものはほしいと思う。

なくてもできるかもしれないけど、あれば安心。

実績はその後ろ盾になる。

もし失敗したら戻ればいい。

戻れる場所があるのだから。

現役で美容師を続けている人からすれば「業界を離れたやつが戻るのは無理」だとか思うこともあると思うが、それは結局”その人次第である”ということで完結する。

リスクヘッジともいうが、やはり現実的なことを考えるとどうしてもそういう生き方になってしまう。

だからこの旅を終えたらまたなにか新しい仕事をするだろうし、それによりさらに時間ができるのだと思う。

正直、美容師だったりWEBだったりなんにしても食うためにやっていた仕事を辞めようとしたのは正解だったと今は思う。

もし食うため、生活のための仕事に時間をフルベットしていたらずっとそのサイクルの中でしか生きられなかったと思う。

40歳になっても50際になっても。

曖昧な現実がいつかやってきて、もしその現実がひときわ厳しいものだったとして、同じサイクルでいられるのだろうか。

その中で家庭を持ち、家を持ち、やりたいことができるのだろうか。

抱えるだけ抱えて、その時に腕が吹っ飛んだら最悪だ。

もう美容師はできない。

ずっとそういうことは考えていた。

「なにをしたいか?」

これも生きる上で大切だと思う。

好きなことをやる、やりたいことだけをやる。

だから僕も今バイクで旅をしている。

たとえそういうことに家族を巻き込むとしても、それはそれで良いのかもしれない。

けどやはり「なにをすべきか?」ということのほうが大切だと僕は思う。

何をしているかはそんなに重要ではなく、何をやっていてもいい。

ただ「やりたいこと」をやりたいのであれば、ある程度の保険をつけた上じゃないと周りに迷惑がかかることだろう。

たとえ独り身でも。

必ずしも仕事を辞めることが悪いわけではない。

必ずしも新しいことに挑戦することが良いわけではない。

そこの大事なところを履き違えるとただ遊んでいる奴とかただ中途半端な奴になってしまうし、まじで「何やってんのこいつ?」というふうに周りから思われ、誰もいなくなってしまうだろう。

なんだかんだ僕の周りには助けてくれる人がたくさんいる。

今回の旅でも「会おう!」と連絡をくれる人もたくさんいる。

そうして僕自身を大切にしてくれる人が1人でもいるということが、ひとつ自分の生き方を肯定できる理由でもある。

そしてそういう人を大切にしたいし、そういう人と会うためにはやはり時間は必要であると思う。

待っているより行くほうがいい。

それができる生活というのが理想だった。

北の大地にわざわざやってきてゴロゴロできる余裕。

これが1番の贅沢なのかもしれない。

生きているうちにより時間持ちになって、いろんなことにトライして、あちこち行ってやろうと思う。

どなたも是非タイミングが合えばお会いしましょう。

再会することで、また何か生まれるのかもしれない。

とりあえず僕は高菜に会いたい…(病的)

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