【大人としての責務を果たすこと。無責任に人の人生を肯定する】

山を登った。

雪がまだ残るその道は決して遊歩道とは思えないようなただの冬の山道だった。

一体どれほど歩けばたどり着くのだろう。

どれだけ進めばいいのかわからない道のりを、不安になりながらも進む。

旅も同じで今歩いているこの道がどこにたどり着くのか、たどり着けるのかわからない。

昔旅をしはじめた頃、旅はまるで人生の縮図だと思ったことがある。

不安や葛藤、やってみたらよかったり痛い目を見たり。

その時に人が助けてくれたり、お礼を言ったり。

その時の恩が忘れられず、数年後思い出して優しい気持ちになれる。

そんな感謝と後悔と、期待と不安と、自然と人との出会いと、自らの時と生を感じる瞬間をすべて鍋に叩き入れて煮込んだようなものが人生であり旅なのだ。

足を滑らせながら山道を抜けきると城跡にたどり着いた。

城跡を登っている間にはもうすでに雪を着込んだ山の木々の美しい光景が目に浮かぶ。

15年も旅をしているとそういう想像ができてしまうようになる。

だがそれを見ずに帰ることはない。

やっぱり登るんだ。

その上から見た景色は、やっぱり美しかった。

そんなわかりきったことを、わからなと言いながら歩くこと。

グーグルで調べればすぐに写真は出てくる。

今世界の誰もがこの瞬間にエッフェル塔やアンコール・ワットを見ることができる。

大切なことはそれそのものを見ることではなく、辿り着く過程と辿り着きたいという想いなのだと思ってしまう僕は、今の時代からして言えば古い人間になる。

生まれたときからスマホがあり、インターネットで世界と接続されている若い世代をZ世代やα世代という。

その子達は過程より結果を求める傾向にある。

ググったりインスタで探せば一発で答えが出る時代。

その希薄さが当たり前になっている。

その感覚を理解できないからと言ってよく考えずにしかめっ面をするような大人に僕はなりたくはない。

僕の親は今思えば全く僕たちの時代の感覚を理解してはくれなかった。

度々ぶつかってしまったのはそのためだと思うし、ただそれでも最後は自由にさせてくれたから今の僕は30歳をこえても「仕事従業員に任せて東南アジア放浪して小説書いてくるわい」とか平気で言ってしまえるようになってしまった。

僕や僕より上の世代からすればただのわがままな社会不適合者といったところだろう。

そんな僕でも20代の頃同じようなことを親に言った時にはそれはもう反対された。

喧嘩になった。

しかし今となってはもう何も言われもしないどころか「5年後小説がめちゃくちゃ売れて有名になってるかもな」とか言い出す始末である。

期待しているというより諦めてしまった感がすごくある。

だけどそれはそれで僕は良くて、背中を押してもらわなくてもいいから放っておいてくれればうまくやるよとそんな気分なのである。

今回僕は冬の山道を歩いて景色を見に来たわけではない。

岐阜にいるお友達の家に遊びに行った。

そのお家には小3の男の子がいる。

僕からすれば彼は友達の息子というより、単に友達という感覚でお付き合いさせてもらっている。

年齢にして四半世紀ほども違うわけで、僕が小学生の時と根本的に変わらない部分と根本的に違う部分が混在している彼を見ると一瞬ひるむ感覚は正直あった。

ただそこに食いつく。

噛みつくように離さない。

彼らの見てる世界に少しお邪魔して、彼らが今から何をしようとするのかを、この古い時代の人間に教えていただきたい。

そういうことを思う。

だからあまり多くは語らないし語れない。

せいぜいボードゲームや共通の漫画の話をする程度ではあるが、そこから感じ取ろうと必死になっている自分がいる。

意気揚々と生きているその姿は、親の理解があるゆえなのだと思った。

好きなことをさせる、好きなことを伸ばす。

そんな教育僕たちの時代にあっただろうか。

あったかなかったかと言われればあったと思うが、今よりはストイックでよくわからない環境があったと思う。

それ故に100%好きなことができたかといえばそうではなく、大部分は体育座りとかよくわからないことに時間を割かねばならなかった。

小学校を卒業して20年ほどたってから「体育座りはダメです。体に悪いので禁止です。」とか言われても、僕らはそれを寒い体育館の冷たい床の上でやらされたのだ。

あれほど立ってる方がマシだと思ったことはなかった。

僕らが小学生の時にはウサギ跳びが禁止された。

膝をおかしくするかららしかった。

けどオヤジはウサギ跳びでグラウンド何周もさせられていたらしい。

やれこの食品から発がん性物質が出ましただとか、この建築はアスベストがどうだとか、直ちに影響はないだとかなんだとか。

大人というものはとても自分勝手に物事を決めてくれる。

そしてその責任を誰も取ろうとはしないズルさを持つ。

どうせ逃げるなら、最初から何も言わないでくれ。

僕はそう思ったし、そう思っているから【子供に好きなことをたださせる】という教育はとてもいいと思っている。

知らんがな、友達の子供が将来どうなろうともという無責任ゆえの言葉ではない。

結局自分が生きている中だけでなく、自分と関わってくれた恩人、大切な友達やその子供達がこれから生きる世の中を作るのは今の子供たちなのだから僕にも一言いう権利くらいはある。

その上で「勝手に好きにやればいいんじゃないですか」と思ったりするのだ。

そのほうが今の社会のシステムに乗っかり、ただなんとなく学校へ行ってよくわからない勉強に打ち込むよりいくらかうまくいく可能性が高いと思うからだ。

一人の大人としてそこに賭けるほうがよくわからないお爺ちゃんに清き一票をあげるより意義があるとさえ思っている。

昨日は仕事でお世話になった方にご飯に連れて行ってもらい、15歳の息子さんもご一緒してお話を聞かせてもらった。

学校に行くのをやめ、3年近くゲームをストイックにやり続けてついにプロとしてスカウトが来るくらいまで達したらしい。

好きにプレイできないなら嫌だと蹴って、今はスケボーにハマっていて、将来は起業したいという。

一言で言ってしまえばすごい子なのだが、世間的に一言で言ってしまえば引きこもりなのである。

学校社会に馴染めない協調性がない奴、社会人になってもどうせまともに生きられない奴、学校も行かず教養がない奴。

そんな風に僕の時代では言われたと思うし今もさほどそれは変わりないと思う。

だけどそういう生き方ができなかった時代からできる時代に確実に変わってきている。

それが素晴らしいことだと思った。

学校へ行かない。

だから何なのかとさえ思う。

学校へ黙って言って授業で良い点取って適当に進学すれば良いなんて、ならばなぜこんなに世の中で貧困とかが問題になるのか。

義務教育を受け、高校まで出て、大学まで出たのに仕事がなくてワーキングプアだとかなんだとか言って30円牛丼が値上がりすればもう食べないなどと文句を言う。

子供の6人に1人がご飯がまともに食えないという。

それはまともか?

それを作ったのはまさに学校と社会なのではないのだろうか?

卒業してしまえば個々の責任なんて、なら最初から個々でいいだろうなんて思いもする。

ある一定の環境では個人を認めないくせに、都合が悪くなると個性だなんだという。

そのパタパタ掌返しをすることが当たり前になっているという矛盾を指摘する先生がこの世の中のどこにいるのか。

なんで高校出て大学や会社に入れば女の子はメイクが社会のマナーになるのだ。

高校では禁止するのに。

なら必修科目でやるべきだ。

矛盾だらけなのである。

あと10年もたって「発がん性物質が含まれておりました。今後は流通を制限いたします。大変申し訳ございませんでした」なんて言うように、教育が間違っていたと言い出すのかもしれない。

いや、きっと言うようになるのだ。

社会がもう限界だから。

だけどそのときにもう教育を終わらせてしまっている人たちは自分で巻き返すしかない。

そんな人たちが親の世代になれば「子供にはせめて」みたいなことを思うのかもしれない。

僕は親ではないから感情に任せて好き勝手なことを書いているし、実際は個人に対してはなんの責任もない。

ただこの日本に生き、この日本の行く末を真剣に考える一人の大人としてはそういった作られた構造に馴染むような子供より引きこもりだろうがなんだろうが興味があることや好きなことを極めて行く人が増えたらいいなと思う。

そしてその人たちから学びたい。

生まれたときからスマホがあるってどんな感じなのだろう。

生まれたときからインターネットに接続できるってどんな思考を育てるのだろう。

学校がどうというより、環境なのだろう。

その環境から得られた感覚を教えてほしい。

つくづく思うのだが、年上からも学ぶことはあるとは思うけど基本的にそれは歴史というカテゴリになる。

年下から学ぶことは未来の歴史の可能性なのだ。

まるでドラえもんのタイムマシンのようなワクワク感がある。

年齢は関係ないと言うけど、年齢に伴う時代の影響は大きく関係すると思う。

その人達が作る社会にいつか僕もお世話になるのであれば、今大人としての責務を考えたときに無責任に肯定するということが大切なように思うのだ。

だから僕は自分のちっぽけな知識や言葉や常識だけで「やめたほうがいい」などとは言わない。

いいじゃん、やってみればいいじゃん。

その適当な一言がもしかしたら未来のアインシュタインやダ・ヴィンチを産むのかもしれない。

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