【白が黒で黒が白という矛盾した人生】

35歳になっちまいました。

人によって色んな意味で差が出てくるお年頃のような気がします。

バリバリ働いて成功してる人もいれば家庭を持つ人もいる。

オッサンみたいな人もいれば若々しい人もいる。

もしかしたら1番どっちつかずというか、定まらない時期なのかもしれないなんて思ったりします。

僕自身も30〜35まではなんかなやんだことが多かったような気がします。

仕事、人間関係、将来のこと。

地元の友達からは呼び捨てで呼ばれ、旅で会った友達からは君つけてよばれ、東京でビールが飲める美容室をやってた時代に出会った人からはさんつけて呼ばれ、ここ最近では桑原社長なんて呼ばれることも。

いろんなときにいろんな人と出会い、それぞれが僕に対してこうであるというイメージを持ち、そのイメージと自分のあり方とのギャップに悩まされてきたのだと思います。

最終的には桑原淳という人間と、jun kuwabaraと名乗って始めた人間とそして社長である自分自身との哲学がかけ離れすぎて自分を見失いそうになりました。

そのバックグラウンドには信じてた人に裏切られたというきっかけがあったものの、よく考えてみるとずっと内面的な自分と対外的な自分というのはズレていて、今に始まった話ではなかったのです。

というか、誰もがきっとそうやって生きている。

内と外、その二面性を持っている。

まずそれを認め、周りはその二面性と付き合いながら生きることが普通だと言ったとしても僕はおそらくそれを壊していかなければならない。

どちらかといえば対外的な自分自身。

それを変えていくしかない。

そんなふうに思い始めたのがわりと最近でした。

よくよく考えてみると旅をしていた頃は内の顔と外の顔があったわけではなく、同じ自分だったように思います。

そもそもそれでいいじゃないかと。

なんの問題があるのかと。

僕として生きていくことが難しかった理由は、やはり経済との関係性です。

この世が経済でまわっていて、だからこそ社長という肩書が存在する。

その存在を証明するために僕がいて、僕の心は経済より優先したいものを持ってしまっている。

ジェンダー問題とか最近よく聞きますが心と体が一致しないという違和感があると言うその感覚と似ているのかもしれません。

だけどジェンダー問題には僕なりの答えが1つあって、それは100年後か1000年後に僕の骨を見た人が僕を男というか女というかで言えば確実に男なのです。

生物としての括りで考えてみると答えは単純なもので、それは覆しようがない自然界の決まり。

社会的というか対外的な要因を無視したら、誰もがジェンダーというのは実際はどちらでもいいことのように思うはずです。

見る人がいるからかわいい格好をするだとか、好きになる人がいるから好かれようと振る舞うだとか、人間関係のなかでそれらは生まれてくる文化であり、人間の世界の中に限定しての話であるということです。

山にこもり誰とも会わない仙人は男であるか女であるかを木々や川や動物に向かってアピールすることはしないのでないかと。

決められたもの、決まっているもの。

その不変的なことに対して違和感を感じるのは、あくまで他者がいるからです。

人間が嫌だから猫になりたいと思っても猫にはなれないし、鳥にもなれません。

僕は変えようがない事実に対してこだわることがあまり意味がないように最近は思えてきて、すべてを受け入れるという思想と行動こそが大切なことのように思えているのです。

対外的に男が女になっていても、女が男になっていても、35歳が25歳になっていてもいいわけで、それは自由です。

だけどどんな人も最終的には必ず元に戻ると思います。

本質の部分に。

最後が高齢になったときなのか、死の間際なのか、死後なのかわからないけど、35歳でもそれはあり得ると思っているのです。

今が最後だからといってすぐに死ぬわけではなく、むしろそこが【本当の自分との出会いの地】であり、すべての始まりなのではないかとさえ思っています。

そして僕はなんとなくその境地に立ち始めたと思っていて、おそらくここからがとても長いのですがもうわりと『なんでもいっか』で僕自身は支配され始めています。

在るものを認めること。

無いものを求めないこと。

「こうでありたい。」

「こうなりたい。」

「こうしたい。」

「こう生きたい。」

かつては表参道で美容師をしたかったし、かつては自分だけのお店が欲しかった。

世界を旅したかったし、タバコも吸いたかった。

ありとあらゆる欲望に突き動かされ、不毛な時もすごしたことがあります。

しかしそういったことを含めた経験により良し悪しを知ることができた。

仕事も、お金も、人との関係も、本当にたくさんのことを。

今はめちゃくちゃ解放され、自分が立つべき場所に立ってみて自由とは何かが少しずつわかってきたような気分です。

社会的な繋がりだとか、他者との接点は持ち続けたいし、そのために僕は社長であるべきだと今は思っています。

ただ家の中では桑原淳で、外では社長だなんてそんなことをする意味はもうありません。

僕は僕であり、僕だから社長であり、社長だから僕なのです。

それは白と黒とハッキリ分けて生きていたこれまでの人生に革命が起こったということで、白は黒であり白であるという世間一般的に言うところの矛盾そのものを認めたということです。

体は男で心は女だと悩む人は、それは男だからこそなにかしら考えたり思ったりするのです。

体が女で心が女ならそんなこと考えることさえしない。

男だからこそ悩んだり考えたりする事を【受け入れて認める】というのが大切なのだと思います。

受け入れた先に外見を変えることが必要なら変えたらいいとしても、要は僕はそういったことをしてさらに悩んできた。

どこまで行っても本質的な僕が持つ哲学と、外見を作り込んで出来上がった僕の哲学が同じ場所にたどり着かなかった。

どんどん加速するスピードに怖くなりながらも他者や社会に向けて平気なふりをして「まだ大丈夫だから」と自分に嘘を付きアクセルをベタ踏みして見て見ぬふりをしてきました。

時速200キロにも達した頃、足を思い切り上げてブレーキを力いっぱい踏んで車はひっくり返り大怪我をしました。

けどようやくそこで止まることができ、冷静に来た道を見つめ直し、そのスピードの異常さに気が付き、死ななかったことに感謝し、元いた場所へ立ち戻ろうとしました。

来た道を歩いて戻るのに半年かかりました。

『35歳の誕生日までには』と決めていたからとにかく急いで戻り、重たいと感じたものは道中捨ててきました。

捨てるだけ捨てたからか、僕は戻ることができました。

立ち戻ってまた振り返ってみるとそれがとても険しく長く、そしてゴールが全く見えない道だったのだと気が付きました。

僕は別にそこから動く必要はなかった。

僕が立つべき場所が在るべき場所であり、それは親や先祖やこの国や地球が与えてくれた唯一の場所であると気がつきました。

そうして周りを見渡してみると、遠くにはきらびやかなネオンが眩しいくらいに光る繁華な場所があります。

けど僕の手の長さでは到底届く場所ではなかった。

僕の手が届く範囲にはあまり多くのものはありません。

けどそれが格好悪いとかダサいとか、そんなことをかつては思って遠くに憧れたのだけど、今改めて見てみるととても美しいもののように思えたのです。

そこらに生えている木もそこに在るから在るというだけで、そこらで寝てる猫もそこに生まれたからそこにいるというだけで。

他になんの意味もなければ、なんの理由もないのです。

僕も同じだった。

だから理屈ではなく僕は僕だった。

今ここに立っていることそのものがもはや素晴らしいことなのだと思え、それでいて僕はやはり社長では居続けなければならないとそう思います。

自分がそこに在るということは、誰かがそこに在ることを許してくれているということ。

人は一人で生きていけないの本当の部分は他人と国境を接しているから仲良くしましょうではなく、他人の国で生きることをしなければ成立しないからなのだと今は思います。

仮に僕が木なら水が必要です。

太陽が必要です。

木は木でしかないのだから、水の国で水をもらい、太陽の国で光をもらわないと生きていけない。

他との関係性のなかで僕が提供できるものとは、他者からみた僕の国とは「社長である僕が作った国」であり、その中で提供できることを僕はしなければならない。

それが美容師でも料理人でも何でもいいにしても、僕はそれを選んだと思っていた。

けどそれさえも元から在るべき姿だったのかもしれません。

きっと誰もが生まれながらに持つもの。

やるべきこと。

社長は僕自身のテーマであり、使命であり、人生をかけてやらなければならないことであり、つまり白いと思ってた僕は黒いと思ってた社長と同一であるということなのだろうなと。

なんとなくそう納得してみると、社長であることもまた誇らしく思えるようになってきました。

それにやっぱ頑張りたいなと。

美容師と旅人を経て社長になったけど、経営者には向いてないこともよくわかったので、これからは連続起業にだけ注力していくつもりです。

連続起業家と聞くと胡散臭いけど、もうそれしかないくらいに思ってます。

あまりにも起業のアイデアが湧きすぎる。

すでに10個以上ビジネスは作ってきたけど、これからはもうそれだけしかやりません。

起業することって社会的にはなんかすごそうな気もするけどそんなこともないというか、それも役割でしかない。

僕自身の言葉で言えば起業することは”自由な物作り”であって粘土遊びです。

造形したものを社長である自分が色を塗り、社会との接点を作っていく。

僕はもう今後は遊びます。

仕事はしません。

事業を起こしても自分でやるのは嫌なので人にあげます。

それで生活しているって人がすでにこの世に結構な数いるのですが、もっともっと増やしていきます。

僕はもうあまり多くのものを持たずバック1つで猫と生きていくし、お金もとりあえず質素な生活できるくらいあればいいと思っているので、寄付とかもどんどんやっていきたいと思います。

それが35歳から先の生き方。

見る人が見たら面白いと思うかもしれないけど、多くの人からしたら謎の人物というかつまらん人間になったと思われるかもしれません。

でもそれでいい。

僕は僕の在るべき場所に立てて、それだけですでに幸せなのです。

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