[チリ]アリカからサンティアゴまで30時間バスの途中で大洪水に巻き込まれて・・・





こんにちは。
お久しぶりです。
なんかあいつ死んだんじゃないか?みたいな噂がちょびっと出てたようですが、僕は大丈夫です。
心配して連絡くれた方ありがとうございました。
体の方はまあ大丈夫なんだけど、いろいろとありましてですね。
巻き込まれたって流されたわけではないんだけども。
長くなるけどちょっとその事を書かせてもらいますね。
嘘のような話。
5日前?現地時間の24日の夜。(日本は25日昼かな?)
チリ北部のペルーとの国境にあるアリカという街を出て、夜行バスでサンティアゴに向かっていました。

(アリカ載ってないけど一番うえ)
バスだけで30時間というむちゃくちゃなやつだったんだけど、まあ安かったし、いいや行っちまえと乗ったわけですね。
でバスの中で一晩を過ごす。
翌朝そのバスが、なんと途中でストップしてしまいました。

チリ中部から北部にかけて20年に1度という規模の大雨で大洪水になりまくったらしく、広範囲で幾つかの町は水没、そして途中の道が全て封鎖という大変なことになってしまったらしい。
結局、アントファガスタというとあるちっさい田舎町のバスターミナルに停車し、そのままバスで待機するということになりました。
その時は数時間後には出発するかもっていう話だったが、だんだん今日はここに泊まりだなみたいな雰囲気になり、夕方には泊まることが決定。
それまではいつ動くかわからないってことでバスターミナルからは出れなかったんだけど、泊まりが決定したならってことで、気晴らしに田舎町を散策してみたんだけど、特に何もなかった。
次の日の朝、そのままもう一泊そこで泊まることが決定してたので、僕はのんきに何もない田舎町を散策したりしてた。
その街自体は被害も少なく(って言っても海岸沿いとか道とかくしゃくしゃだった)、停電くらいで平和そうだったんですが、ターミナルのテレビを見る限りではその通行止めの街はまるで津波に襲われた後の東北の映像を見てるかのようでした。
ゴミや木くずだらけになった町、濁流に飲まれるバス、崩壊した道路、浸水した家、腰まで水に浸かりながら歩く人々。
あと半日とか数時間レベルで違うバスにのっていたらまさに大洪水地帯に突入してたかもしれません。
日本でもニュースとかになったのかな?
被害がどれほどのもんかスペイン語がわからないのでよくわからないんですが、軍が救助に行ってる映像を見たりしたのと、乗客に聞いた感じでは範囲はものすごく広く深刻なものみたいだった。
バスターミナルではネットも一切つながらず、街に出たところでWi-Fiスポット的なのもなく、サンティアゴで待たせてる友達とも連絡がつかなかったので、もう諦めてひたすら散歩したり、海見に行ったり、ギター弾いたり、たまに乗客の髪の毛切ったりしてました。

そのサンティアゴで会う予定だった数人の友達の事が気がかりだったものの、飛行機の予約などがあるわけでもなく他にどうしても急ぐ理由もなかったので、もう流れに見を任すことにした。
やることもないのでずーっと作詞してました(笑)
オリジナルソングです。
嘘です。
モンパチの歌の英語版を作ってました。
勝手に。
小さな恋のうたの英語版がなかなかいい感じですはい。
まあそんなバス生活だった。
天災だから仕方ないと割り切っていても、バス生活という状況に疲れていた。
はずだった。
でもなんか不思議と嫌じゃなかったんだ。
綺麗な夕日を見たり、海を見たり、公園でギターを弾いてたら話しかけてきたおじいちゃんとお喋りしたり、なんだかそれはそれで楽しかった。

他の街では大変なことが起きてるというのになんだか申し訳ないくらい。
それだけでなく、同じバスの乗客はチリやペルーの地元の人たちばかりで僕が唯一の観光客だったんだけども、みんなスペイン語でだけど状況が変われば教えてくれたし、いろいろ話しかけてくれたり、他のバスのドライバーは余った弁当くれたし、とにかくなぜかみんな優しかった。
なんで?って聞いたら「日本から来た旅行者だからだよ」と。
たしかにバスターミナルにたくさんいた同じように足止めされてた人たちを見ても観光客っぽい人は他に一組くらいしかいなくて、アジア人は一人も見なかった。
「あなた中国人?中国人にみえないけど・・・」
乗客にそんな事を聞かれたのをきっかけに彼らとよく話すようになった。
僕の赤ちゃんレベルのスペイン語と英語でむりやり。
「違うよ。日本人だよ。ハポンハポン」
スペイン語でハポンは日本でチーノは中国なんだけども、それからと言うもの「あれ?チーノだっけ?ハポンだっけ?」 って無駄にイジられるようになり、あだ名がチーノになってしまった。
そんな乗客たちはみんな仲良くて、本当に良くしてくれて、小さい子どもたちともギターと折り紙で仲良くなれて、みんなと衣食住?を共にした数日間がなんだか楽しかった。

そんななか1つすごく感心してしまったのが、その乗客達の対応。
誰1人として慌てず文句も言わず、バス会社の対応に従ってた。
バスのドライバーが状況を説明すると、それを聞いた乗客が聞いてない別の乗客と情報を共有し、ドライバーが無駄に何度も説明してるってことがなかった。
日本で天災とかで電車とまったりするとブチ切れてるオッサンとか、いつ動くの?とかおんなじ事を聞きに何十人と駅員の前に並んでるの見たことありますけど、そんなんやってる人が一人もいなくて本当にびっくりした。
ご飯が配られれば乗客が協力してゴミを集めたりもしてた。
なんか南米という土地柄、勝手に暴動とか起きまくるのかなってイメージしてたから、そういうのがすごく意外でした。
バスターミナルで目が覚めた3回目の朝。
アリカを出てから60時間後のこと。
この日もサンティアゴ行きは無理らしいと聞いた。
なんだかそんな気はしてたから別にショックでもなかった。
とりあえずターミナルのトイレで頭と顔を2日ぶりに洗って、体を拭いてまた公園にギターでも弾きに行こうかななんて思いながらちょっと遠くにある市場まで朝食を食べに行った。
そこで乗客の人達と会ったんだ。
そういえばバスを出る前に「メルカド・・・なんとかかんとか!バモ!」と言われて、なんのことかさっぱりわからなかったからバスに残ってたんだけどどうやら市場(メルカド)に朝食を食べに行こう(バモ)と誘ってくれてたみたいだった。
そこからみんなでバスターミナルに戻ると、なんとバスが・・・
消えていた。
流石に焦る乗客達。
そのバス会社の窓口に聞きに行くと給油と洗車をしに行ったとのことだった。
なーんだ。
と思ったが乗客たちの反応がなんかイマイチおかしい。
どうやらバスはその日の午後サンティアゴ行きを諦めてアリカに戻ることにしたらしい。
もしここで降りるならばここからサンティアゴ分のチケット代は返金する、でももしアリカにいくなら全額返金するということに決定したそうだ。
まあ流石に丸2日もいたらそうなるわな、と。
仲良くなった乗客達はこのバスターミナルに残ることにし、3分の1ほどの乗客達はアリカに戻ることにしたそう。
僕は決められず、英語が話せる人を探しなんとかサンティアゴに行く方法はないか情報を集めてみることにした。
現地のチリ人だってどうなるかわからないのに聞いても無駄かな・・・って思ってたから今まで情報収集は一切してなかったんだ。
一人英語が話せるチリ人の紹介でフランスからの旅行者と話すことができた。
彼らいわくここからサンティアゴに行くルートは現在3つ。
1つめ。
隣町の空港からでる飛行機に乗る。ただし最速で2日後(29日)の夜の便で値段は20000円以上はする。しかもネットの情報じゃないからいまいち正確じゃないので空港に直接行くしかない。
2つめ。
隣町→ボリビア→アルゼンチン→サンティアゴと大回りをして迂回していくルート。ただ時間とお金はどんだけかかるか読めない。ただわかっているのがボリビアまで35時間。
3つめ。
ひたすらここで待ち、バスの運行再開を待つ。それは明日かもしれないし、1週間後かもしれない。
とのことだった。
どれをとってもイケてないことこの上ない。
もう一つ僕にはアリカに戻り、そこから飛行機でサンティアゴに向かうという選択肢もあったんだけど、値段は最低20000円ほどでとりあえず空港に行ってみないことにはわからないという不確かなものだった。
そもそもなぜ僕がサンティアゴに向かいたいかというと、理由が3つある。
っていうか会いたい人が3人いたからだった。
美容師の悠馬さんとボリビアで出会った山梨県民のミサさん。
もう一人、谷津さんという過去にもこのブログに度々登場しているめがねっ娘が29日サンティアゴ発のフライトでメキシコに行ってそこから帰国してしまうため、なんとか29日までにつきたかったんだ。
でもこの時27日の午後2時前。
どのルートをとっても無理ゲーだった。
英語が話せるチリ人もフランス人もバス会社もここでこのまま待つことを僕に勧めた。
それが一番疲れず、お金もかからない、と。
仕方ないからもう一泊くらいは覚悟し、同じバスの乗客のもとに戻るとなんだかとんでもない話をしていた・・・。
続く。


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