何かを失うということは何かを得るということ。

今日はなんだか気の抜けた1日だった。

いろんないろんな事があり、なんだか旅ブログを書く気にもならない。

なんか考えるのもめんどくさい。

なんかするのもめんどくさい。

と、なんだか何もせずに1日が終わってしまいました。
 
 

今朝、なんとなーく訪れるのが夢だったガラパゴス諸島からエクアドルの地に戻ってきた。

グアヤキルという街に。

車はクラクションを鳴らし右往左往し、ゴミが散乱する道を人々が行き交い、物売りがいろんなものを売り歩いてる様子はガラパゴスとはまるで大違いで、全く別の世界に来てしまったかのような錯覚に陥る。 

そんな人混みに足を踏み入れるのがものすごく億劫で、人気のない場所に逃げ込み2時間くらいボケッとギターを弾いてたっけ。

このままここで寝ちゃおうかなとも思った。

なんだか自分が自分じゃないような気もした。

それはたぶんあんなちっこい島でいろんな人との出会いと別れがあったからだと思う。

たくさん笑ったし、涙も流した。

ひさしぶりの友達と再会したり、友達の訃報を聞いたりもした。

夜の海で考え事をしたりもした。

朝まで寝ないで語り合ったりもした。
 
 
 

いろんないろんな事を考えた。
 
 
 

いろんないろんないろんな事がありすぎた。 

 
 
 

...何かが終わるとき。

 
 
 

...何かを失ったとき。 
 
 
 

必ずそこには何か新しいことが始まるような気がするんだ。

それは人でも物でも仕事でも気持ちでも。

例えばペットボトルの水を飲み干し、空っぽになったそれを眺めてても水が補充されるわけではない。

自分で水を補充するのか、新しい物を買いに行くのか、お金がないならまずは稼ぐのか。

それはその人次第だけどとにかく何かをしない事には何も始まらない。

とにかく待ってるだけじゃダメだから、自分で何かを始めなければいけないんだ。

でも、そこにあったはずのものがなくなるとやっぱりどこか寂しくも虚しくもなる。

まだそこにあるんじゃないか?

淡い期待をして待っててみても、それはもう戻ってこない。

そんなこと知ってる。

でも、待ちたい。

待ってみたい。

そんなフワフワしたどこか心にぽっかり穴が空いてるような感覚です。

今。

 
 
 

あれがダメならこれにしよう。

右がダメなら左に行こう。

押してダメなら引いてみよう。

ダメなものはダメ。

無いものは無い。

そんな時にササッと意識や方法を切り変えるのがうまい人間だと僕は思ってた。

でもそうじゃないのかもしれない。

なんだか意外とうまくいかないな。

そんな時もあるかってただそれだけの話かもしれないけど。
 

なんとなく、今すごく大切なものを見つけたような気がする。

きっと今までの人生ではなかったもの。
 
 
 

答えは絶対一つじゃない。

やり方だって一通りじゃない。

信じて進んだ道は途中で崩れて行き止まりかもしれない。

そしたらその時考えよう。

きっと何かできる。

行動してみよう。

気持ちを口に出してみよう。

新しい何かを手に入れることはきっと楽じゃない。

 
 

...だけど無理じゃない。
 
 

その先に待ってるものは一体。

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考えたってわかんない。

やればわかるさ。

 
 
 
 

 
ひとりごとでした。
 
 
 
明日からまたちゃんと記事書きます。

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