①全く働かないで不労所得で年収260万円
②めっちゃ働いてストレスためて年収600万円
どっちがいいですか?とアンケートを取ったら約80%が前者を選んだ。
僕も完全にその80%と同意だけど、多くの人が同じように思っていることには少し驚いた。
これってつまり多ければ多いほどいいという感覚ではないということで、正直そういう感覚の人ばかりだと思っていた。
それよりも「働かなくていいなら働きたくない」ということがリアルな声なのだろう。
そりゃそうだよな、と。
僕は昔から公言しているけど、マジで働きたくはない。
とりあえず働かなくて良くなったけど、できることならもう金輪際働きたくない。
最近のんびり暮らすようになって、そんな暮らしが今の時代とてつもない価値なのだと最近気がついた。
そんな毎日がお金より何よりも貴重なのだと。
朝起きてゆっくり紅茶を飲んで、酵素玄米、味噌汁、納豆、梅干しでゆっくり朝食をとる。
そのあと執筆をして、漫画を読んだり部屋を掃除したり。
お昼ごはんに酵素玄米と野菜炒めかスパイスから作ったカレーかなんかを食べて、猫と少し昼寝をする。
暖かいうちに散歩に出かけて。
夜は人と会わなければ夕方適当にご飯を食べて日本酒を一合飲んで本を読んだり映画を見たり考え事をして風呂に入って、11時ころには猫と就寝。
なんてことをしているとまるでお爺ちゃんにでもなった気分なのだけど、悪くない。
むしろいい。
とてつもなく暇だから友達と電話してみたり、この前は思い立って岐阜まで2泊3日で人に会いに行ってきた。
最初に書いた前者というのは実は今の僕のこと。
3月から東南アジアへしばらく行くけど、月に20万くらい収入があれば正直リッチな生活ができると思う。
だけど別に生きてる中でリッチなんてものを求めてないから、屋台で100円ほどのご飯を食べてビールを飲み、ペタペタと町を散歩をして川辺か海辺で小説を書こうと思う。
それでお金が貯まるとかそんなことはどうでも良く、余ったら親にでもあげちゃうか猫にちゅ〜る1年分贈呈してもいいかな、なんて。
そんなゆったりとした生活がとても幸せそうな気がしている。
それをずっと求めていた。
ずっと。
7年がむしゃら働いて、何度かそんな瞬間もあった。
不労所得を作ること自体は全く難しくなく、それだけでサラリーマンの月収くらい作ることはわりと簡単なことだと知った。
けど仕事をゼロにするということは難しかった。
スキルや知識よりも、自分の気持ちの問題だと思った。
仕事を辞めるということは、将来に対する怖さや不安ではなく自分のアイデンティがなくなってしまうような、自分のブレてはいけない軸がブレてしまうようなそんな恐怖感があった。
しかし思い切ってやめてみれば将来には希望や夢しかなく、社長としてのアイデンティはブレたかもしれないけど桑原淳という人間の軸はむしろ確固たるものになったような気さえする。
働いてる場合じゃない。
今は本気でそんなことを思っている。
自分の中にある感情を、魂を具現化することに力と時間を注いでいく。
それがしたいこと、やるべきこと。
それが売れるかどうかなんて仕事みたいなことは一切考えなくていい。
ゴッホになるか無名の画家で終わるか、そんなことも僕が死んだあとで好きにやってくれればいいと思う。
ただだた僕は仕事をするより芸術作品を作りたい。
生きるためにはご飯も食べるし寝床も必要だと人は言うけど、ある程度の収入さえあればそんなことはどうとでもなる。
ある程度の収入を働かずして手に入れるということ自体はあまり難しい問題ではないけど、仕事を辞めるというのはとにかく本当に難しかった。
仕事をしていれば良い芸術作品は作れない。
両立とか掛け持ちとかそういうのはやっぱり無理がある気がした。
先に書いた後者というのはこれまでの僕のこと。
年収600万は盛ってるけど、社長として会社からもらっている役員報酬以外に飲み代や旅費や車の維持費などあれこれ経費で落とせるので会社のお金で生きてたみたいなところもある。
そう考えると年収にしたら600万くらいに換算されるような気がしている。
ほっとくと勝手に貯金がたまってしまうので、脂肪吸引とかしてみたりNFTを購入して暴落してゴミを掴んでみたり、気まぐれに何十万をポイッと使ってみたりもした。
けどあまり有意義ではなかった。
それが高いか安いかは人それぞれだけど、その代償でめちゃめちゃ働いていたから。
寝ても覚めても仕事仕事。
夢の中でも仕事仕事。
お客さんが来てくれることはありがたいけど、めんどくさいクレーマーみたいなやつも中にはいるからそれに心をすり減らし。
従業員にあーだこーだ言って心をすり減らし。
こうして自分の人生の活動として文字を書いているはずなのに、内容が宣伝広告になってしまったり。
ストレスとお金をエクスチェンジしていたのかと思うくらい、慌ただしく忙しくとにかく心を削って生きていた。
それで毎晩憂さ晴らしのように飲み歩いて、太るし不健康だしなんか意味があったのか今となってはよくわからない。
たくさん稼いでたくさん使うみたいなのって、めちゃめちゃ資本主義的には成功とか良いことのようになっているけど、そんなものは人間にはそもそも合わないのだ。
心と体を壊しながら得られる喜びに本当の意味での幸せはあるのだろうかと元々疑問には思っていたはずなのに、僕自身気がついたら社長になってそうしていた。
今思えば辛かったなと。
お金があるからなんだというのだ。
のんびりと猫と一緒に質素だけど体にいい朝ごはんを味わって食べるほうがよっぽど良い時間なのだと今は思える。
猫は小麦粉の物価があがっても、円安になっても、どこかの国で戦争が起こっても、猫らしくのんびりと生きることに一生懸命だ。
その中で僕のことは好きでいてくれるのだと思う。
ただエサくれる奴くらいにしか思ってないかもしれないけど。
心地いい場所で、のんびりとただ過ごす。
そんな毎日を手に入れたときに、人は何をするのだろう。
その時に本当の意味で生きてる中でやるべきことが何かということが見えてくるように思う。
そして幸せや人の価値も。
盲目的に生きてきてたけど、これからはしばらく僕は芸術家として本当の幸せや価値が何かを模索しつつ生きていこうと思う。