なんか最近いろいろと考えます。
考えすぎてモヤモヤしたので今朝タイで買ってきた唐辛子をてんこ盛りかけてご飯食べたら昼過ぎから胃がモヤモヤしてきました。
明日にはケツがモヤモ……失礼しました。
僕にはずっとずっと前から自分の中で大きな矛盾があります。
無駄を徹底的に省きたい自分と、無駄な事を徹底的にやりたい自分。
無駄とは一体何なのか?
そんな事を最近よく考えます。
無駄は極力はぶきたい
例えば美容室で勤めてた時は、お客さんがおらず何をするわけでもなくただ外からの見た目を良くするために突っ立ってた時間とか超無駄だと思ってました。
なんか他のことさせてくれればいいのに…っていつも思ってました。
別にさほど大切でもない事柄や連絡事項も、やれミーティングだなんだと言って全店舗の全従業員が集結して終電までやっていて。
本当に話し合わなきゃいけないこと以外はラインとかメールとかファックスとかで良いやん…っていつも思ってました。
ただ何が答えかはわからなくて、上の人間からしたらそれが正しいことで、下の人間であった僕からしたらそれが無駄なことだと感じていました。
それぞれの頭の中の問題。
そういう思いがあったから、僕は自分で店をやってる今は無駄だと思うことはできるだけ省くようにしてます。
例えば空き時間はブログ書いたり本を読んだり、何か他にできることをやるようにしてます。
Up to Youで働いてるというか使ってくれてるフリーランスの美容師達とは主にラインでのやり取りですませていて、直接話したい事があっても滅多にミーティングをすることはありません。
そうすることで結果お互いのためになるのでは?と思っているからです。
どんなことに対しても基本的にはそういうスタンスで、無駄はなくすべきだとおもっています。
だけど無駄も大切だな…と思う部分もあります…
無駄から生まれるもの
例えば世界一周をすることは誰にだってできます。
すごいことだと思う人もいるけど、何百年も前にすでにやった人がいたりします。
それと同じように、外で髪を切るということも誰にでもできます。
お母さんだって子供の髪を庭できるし、なにも美容師免許がある必要もありません。
【世界一周をしながら髪を切る】
それは誰でもやれること。
だけどやらない。
誰もやらない。
だから無駄なことだと思われる。
確かに1円にもならなければ、むしろお金を使ってそういうことをする事に人はあまり好意を示しません。
「無駄、無駄、無駄」
実際多くの人にそう言われました。
でも僕はその無駄を続けた。
結果今がある。
今となってはその経験は無駄とは言えません。
むしろそれがあったからこそ今があるとさえ思っています。
僕はその無駄を楽しんでました。
そして、そこに可能性を感じていました。
それが今後生きる上でもすごく大切なことなのではないかと思っています。
無駄を楽しめない人は人生を楽しめない
どんなに有益そうなことでも、どんなにいいと言われることでも“自分が”無駄だと思うならやるべきじゃない。
そんなの時間がもったいない。
どんなに、どんなにいいと言われることでも自分の信念に嘘をついてはいけない。
僕はそう思ってます。
やりたいことをやるべき。
どんなに人から無駄だと言われようと、どんなに人から情けないと言われようと、どんなに人からくだらないと言われようと…
馬鹿野郎だと言われようとも、自分が「無駄じゃない!」と思えるのであればやるべだと僕は思います。
無駄だと言われようとも、それをやってて自分が「楽しい」と思えたならそれでいい。
それが全て。
それが人生。
楽しくないことばっかりやって、無駄だな〜と感じることばっかりやって、それって有意義なのでしょうか?
待ってたら誰かがそのモヤモヤを解消してくれるのでしょうか?
それは違う。
人に無駄だと言われることでも、自分が楽しめたらそれは無駄ではなくなる。
それは糧になる。
だけど自分で無駄だと思いながらも我慢してやり続けることは本当の無駄しかならない。
自分の人生を楽しく生きようとするのであれば、自分がやってみたい”無駄”を精一杯受け入れるべきなのかなと思います。
そしてその無駄を楽しむべき。
きっとたのしい人生とか、たのしい未来はそんな無駄から作られるんじゃないかなと僕は思います。