フィリピンから帰ってきて早3日目。
毎日忙しくてやることがいっぱいなんだけど、その中でずっと頭をぐるぐる駆け巡ってる思いがある。
誰かに何かを伝えたいとかじゃないけど、整理したくてここに書いてみることにした。
貧困とは一体なんなのか
もうかれこれ10日ほど前。
セブでひょんな事からスラム街にヘアカットに行った。
スラムと呼ばれるところに行ったのが初めてだったこともあるけど、今まで「スラムとはこうだろう」と思っていたものとは180°とまでは言わなくても100°くらいは違って、本当にある意味ショックだった。
「俺はなにもわかってない…」
なんかある種の絶望感があった。
世界を旅したなんて言ってもたかが41ヶ国。
全世界の国と地域が200あると思うとたったの5分の1でしかない。
とはいえ確かにいろんなところに行ったし、いろんな人にも出会ってきた。
それでも世界はわからない事だらけだという事を改めて思い知らされた。
スラムへ行ってからずっと何かがモヤモヤしていた。
その何かがずっとわからなかった。
セブからマニラへ移動して、雨続きでずっと髪が切れなかった。
いや、切らなかった。
たぶん世界一周して1000人切るぞ!とかやってた時は雨だろうが何だろうが屋根があるところでやってた。
その意欲がもうほとんど無くなってることに自分自身も気がついていた。
確かに実際に旅をして髪を切ってて楽しいし、手こずってるけど動画を作るっていう新しい事をしているのも楽しい。
でもその”楽しさ”が直接的に「今髪を切りたい理由」ではないと気付いた。
世界一周をしてた時は1000という数と出会いが目的だったし、そのプロジェクトそのものが僕のモチベーションだった。
今日本と海外と半々で過ごしているなかで、特別そういうプロジェクトはやっていない。
あげるとしたら【海外で髪を切る=出会い目的】だった。
でもそれは日本でもお店に足を運んでくれる方々との出会いは常にあるから、海外でやる理由にはやっぱりならなかった。
そんな中スラムで切って感じたことがたくさんあり「俺はどうしたいんだろう」なんて考えまくっていたらあっという間に最終日になってしまった。
マニラ滞在最後の日はめちゃくちゃに晴れた。
キャンベルに急かされるように「ここならカットしても平気なんじゃないか?」と思う公園に向かった。
そこで物売りのおばちゃんに聞いたところ「ここは警察がうるさいからあっちの海辺の公園に行くといいよ。」と教えてくれて、そこに向かった。
そこはだだっ広い特に何もない公園だった。
日曜日の昼下がり、いろんな人が座ったり寝転がったり遊んだりしている。
僕はそこで看板を出してみた。
いろんな人が声をかけてくれて、しばらくすると一人のオカマさんが「切ってよ」言ってきた。
オカマさんと話してる中で僕はこんなことを聞いた。
「この近くに住んでるの?」
「そう、でも住所がないの」
この辺には住んでるらしいけど、住所がないの意味がわからなかった。
そうなんだ、と流した。
今度はキャンベルがカット
公園には子供もたくさんいた。
次に僕はこのお兄さんを。
聞けば年齢は20歳だという。
やたら話しかけてくるテンション高いおばちゃんがいたから「あの人はお母さん?」と聞いたら「ワイフだよ」と言われ、なんかめっちゃ失礼なことを言ってしまったと後悔した。
あとで知ったことだけど、奥さんは名前をヘイゼルといい、今40歳なのだそう。
何人かカットしたところでさっきはOKと言っていた警備員とはまた別の警備員がやってきて「許可証ないとだめだからもう終わりにして」と注意されてしまった。
その時にヘイゼルが警備員にいろいろと説明してくれていたようだった。
片づけもみんな手伝ってくれて、名残惜しいけど「また来るよ!」と別れ告げた。
たった数時間で人々の対応がかわった。
他人、観光客だったはずの僕達が輪に入れてもらえ、助けてらえ、優しくしてもらえる。
家族や友達と同じように接してもらえて、人々の表情や行動や空気感でそこに嘘がないこともわかる。
海外で髪を切ってるとそういう事がたまに起こるんだけど、起こらないときもある。
なんていうか、髪を切ることは同じなんだけど、その時切った人や周りにいた人の反応は時と場合によって結構違った。
この時は輪に入れてもらえた感がすごくあって、本当楽しかったし嬉しかった。
時刻は夕方の5時だった。
15分も歩くと海辺に行けることを知っていたので、夕陽を見に行くことにした。
フィリピン最後の夜。
早かったな…なんて思いながらも、頭の中はやっぱりどこかモヤモヤしっぱなしだった。
コンビニで買ったビールを飲みながらまだ少し高い位置にある太陽を眺めていた。
段々とその太陽が沈んでいくなかでキャンベルが何か話していたような気がするけど、忘れた。
フィリピンで感じたこと、これからの事、いろいろと考えてた。
しばらくすると物乞いの子供がムスッとした顔で「金くれ」と迫ってきた。
僕はお金はあまりあげないんだけど、食べ物やお菓子があったらあげたりもする。
その時も持っていたお菓子をあげた。
キャンベルが夕陽を撮ろうとカメラを出すと、子供たちの表情が一気に変わった。
子供の顔に戻って、興味深そうにカメラのレンズを覗き込んだり、写ろうとしたり。
汚い格好をして、金をくれと手を差し出す。
本当はそんな事よりもっともっと興味があるものに食いついたり、遊んだりしたいんだろう。
子供なんだから。
かと言って僕には何もできない。
例え食べ物をあげようと、少しお金をあげようと、それが無くなったらまた同じこと。
救ってあげることはできない。
だから僕はかわいそうとか、同情とかしないようにしてる。
子供に囲まれながら、ふと右を見ると誰かが手を振ってるのが見えた。
ヘイゼルだった。
さっき公園で会った人も何人かいた。
ヘイゼルは笑顔でこう言った。
「私達ここに住んでるの!」
え、と思って見てみると旦那さんとその友達がせっせとテントを組み立てていた。
彼らはホームレスだった。
「毎日ここで寝て、毎日あの公園で過ごしてるの」
「今は仕事はしてない」
「あの公園では毎日ホームレスに配給がある」
そう話していた。
オカマさんが言った「この辺りに住んでるけど住所はないの」という意味がその時やっとわかった。
僕たちはホームレスが集まる公園でカットしていたらしい。
知らなかった。
なぜならそこにいる人たちは誰もが想像するようなホームレスとは違っていた。
服も髪も汚いとは思わなかった。
思い起こせばスラムでカットしたときも、セブの貧困エリアでカットした時も、汚いという印象はほとんどなかった。
だからホームレスだと聞いて本当にビックリした。
聞けば近くに20円ほどでシャワーを浴びる場所があるらしく、そこにいってるようだった。
夕陽が沈みかけた頃、ヘイゼルの友達が僕にカットをお願いしてきた。
「切りたい」
お願いしてきたのはあっちだったけど、何故か僕は「むしろ切りたい」とめちゃくちゃ思った。
もうほぼ暗くなったときにもう一人。
ライトで照らしながら切った。
マニラの夕陽は世界三大夕景と言われるらしく、ものすごくきれいだった。
でもそのすぐ後ろには家がない人が寝ている。
そのさらに後ろには大きなホテルがいくつも立っていた。
海岸で切ったおっちゃんたちはどちらも路上でマッサージをするのを仕事としてるらしかった。
物事の本質は一つの面からはわからない
僕は何に対してモヤモヤ考えていたのかがこの時ハッキリわかった。
それは貧困とよばれるものだった。
一体人は何をもって「貧しい」と言うのだろう。
当然お金が無いというのは理由になる。
だけど本質的な部分は絶対にそれだけじゃない。
仕事がないことなのかもしれないし、いろいろなサービスを受けられない事なのかもしれないし、家がないことなのかもしれないし、健康じゃないことなのかもしれない。
はたまた心にポッカリと穴が空いていることなのかもしれないし、友達がいない事なのかもしれない。
本当の貧しさって一体何のことを言うのだろう。
ヘイゼル達、スラムでカットしたプレグロ達、彼らは間違いなく僕よりもお金を持っていない。
僕には旅行できるお金もあれば、家もある。
だからといって、僕は裕福と言えるのだろうか?
彼らは貧しいと言いきれるのだろうか?
ずっと引っかかってたモノ、それは「すごく幸せそうに見えた」事だった。
当然僕は顔も違えば国も文化も宗教も何もかもが彼らと違う。
置かれてる環境も違う。
共通点なんて”人間”ってことくらいしかない。
「幸せそうだな」
なんて日本人である僕の思い違いかもしれない。
僕の目にただそううつっただけなのかもしれない。
実際多くの旅人は口を揃えてこういう。
「貧しい国の人はお金がなくても明るい。」
確かに見てるとそんな感じがする。
でもきっと旅人の誰もがその本質的な事まではわからないのだと思う。
僕は髪を切ることでそこからさらに1歩踏み込んだ少し輪に入れてもらった位置にいて、そこでやっぱり感じることは「この人たちはすごく幸せそう」という事だった。
その立ち位置にいてみて、その答えは人の繋がりなのではないかと薄っすらと思ってきた。
人間誰しも有るもの無いものがある。
お金があっても時間がないとか、時間があっても仕事がないとか。
イケメンだけどお金がないとか、お金持ちだけどブサメンだとか。
イケメンでお金持ちで時間もあるけど友達がゼロとか。
何十個もある様々な側面を見ないことには本当の貧しさや裕福さはわからないのだと僕は思う。
もしかして、はたから見たら裕福だと思っている人も本当はめちゃくちゃ病んでて心が貧しいのかもしれない。
だとしたらはたから見たら貧乏そうな人も実は家族や仲間と毎日時間を過ごしてめちゃくちゃ幸せなのかもしれない。
物とかお金とか、それよりも本当はもっともっと大切なものがあるはず。
それが人の繋がりなのではないかと僕は思った。
「絶対にまた来るから」
そう言って別れを告げ、ホテルへと戻った。
帰り道しばらく歩くまで気が付かなかったけど、泊まっていた1泊2500円のホテルの目と鼻の先に彼らは住んでいたようだった。
「こんな近くにいたんだね」
キャンベルがボソッと言った言葉を聞いてなんとも言えない気分になった。
僕は何も知らなかった。
輝かしいものの裏にあるもの。
汚くみえるものの裏にあるもの。
僕はそれを知りたいと思った。
旅とヘアカット。僕にできることとやりたいこと。
僕にとっては旅をして髪を切ることは”仕事”ではなかった。
「Price is up to you」
カット代はなんでもいーよ、まかせるよ。
そう言ってはいるものの、別にお金が欲しくてやっているわけではないし、どちらかというと”無償ではやりたくない”という思いが強くて、タダにしないためにそうしてる部分が大きかった。
自分が培ってきたものをタダで提供するのは違う。
それは自分がやってきたことを否定することになると思ったから、日本で仕事もあり収入もある今でもそうしてる。
お金儲けがしたいわけでもなければ、ボランティアがしたいわけでも無い。
ではなぜ僕は海外で髪を切っているのか?
なぜ髪を切りたいと思っているのか?
その答えがわからなくて最近ずっと考えてた。
でもフィリピンで出会った人たちのおかげでやっとわかった。
僕はヘアカットをすることで、貧しいと言われている人たちと関わりたい。
観光地でもなく、街中でもなく、宿でもなく、貧しいと言われている人たちの場所で髪を切りたい。
その人たちにボランティアとして接するのではなく、興味本位で覗き見るのでもなく、できるだけ対等に接したい。
置かれている環境や収入は違うけど、きっと何かわかり合えることがあるような気がして…
その先に何があるかはわからないし、支援をしたいとか、感動したいとかそんなんじゃない。
話したい。
知りたい。
今思えば「世界まわってどこが良かった?」と聞かれてたときに必ず答える国があった。
ポルトガル、キューバ、ネパール、カンボジア…
40ヶ国で髪を切ってきて、どうして自分の中で甲乙つけられていたのかというと、出会った人だったように思う。
どこの国に行っても、どこの国の人を切っても、感謝はされた。
自分自身も楽しかった。
でもそれらの思い出が他と圧倒的に違ったのは、今回のフィリピンでのように貧しいと言われている人たちのところにたまたま行って、髪を切って、輪に入れてもらって、その人たちが対等に接してくれたことだった。
毎日通ったポルトガルの公園には無職の若者が溢れていた。
カンボジアでは孤児院で子供達と関わった。
マチュピチュでもなく、ウユニ塩湖でもなく、グランドキャニオンでもなく、そういうところでヘアカットを通して感じたことや、お返しにしてもらったこと、言ってもらった言葉、嬉しかった気持ちが、結果的に「この国が好き」につながっていたと今になって気がついた。
きっと僕はもともと”そう”だったのだと思う。
そういうところで生きる人と関わることが自分の中で意義があることだと無意識のうちに思っていたような気がする。
僕がしたいことは、ギブアンドギブ。
テイクじゃなくて、ギブ。
何もなくてもヘアカットを通して何かを与えることがきっと僕にもできる。
そして何も持ってない人でも、きっと僕はその人々から何かしらを与えてもらえると思う。
美容師が人の髪を切る理由、切ろうと思う理由はきっとそれぞれ。
生活のため、出会いのため、スキルのため、様々だと思う。
正解はきっとない。
でも僕はその正解が見つかった気がする。
髪を切ることで、日本の外で暮らす人々や日本人よりも貧しいと言われる人々が何に幸せを感じて生きているのかを知りたい。
なぜあの人は自分より裕福なはずの僕にご飯を分け与えてくれたのだろう?
なぜあの人は自分より裕福なはずの僕にお酒を分け与えてくれたのだろう?
髪を切った人じゃなくても、その時その周りにいた人にそうしてもらったことが何度もあった。
それは決まって貧しいと言われる場所だった。
ずっとずっとそれが疑問だった。
今回もフィリピンで最後にヘイゼルがコンビニのお弁当を分けてくれた。
「裕福」とは一体何なのだろう。
「貧困」とは一体なんなのだろう。
この記事を書こうと思ったときにふとあることに気がついた。
「貧」という漢字を見ると貝を分けると書く。
昔の通貨は貝だった。
昔の人は、貝を人に当たり前に分け与えてたのかもしれない。
貧しいとは自分にあるものを人に分けて与えることなのだとしたら、本当はすごくすごく大切な事なのかもしれない。
貧しくても、人との繋がりがあること。
貧しくても、分け与えようと思えること。
それが人が感じる本当の幸せなのであれば、僕は貧しい人間でいい。
お金があるとか、アイフォンがあるとか…。
そういう事に幸せを感じるのは、きっと日本では普通のこと。
だけど人との繋がりを持ちたがらない、病んでいる人を見ても何も思わない、同時にそんな社会でもある。
もしかしたら世界的には裕福な国になった日本は代わりに大切な何かを忘れてしまったかもしれない。
裕福さの裏にあるもの…それを含めて本当に人々は幸せと言えるのだろうか。
人との繋がりを作り続けるために…
本当の幸せを知るために…
僕はこれからも世界で髪を切り続けたい。
それがきっと自分が美容師として髪を切る理由なんだろう。