お腹が痛いです。
日本に帰ってきて一週間くらいたってからひたすらお腹が痛いです。
どこの国で何食べても無敵だった僕の胃腸は一体日本の何にやられてるのでしょうか。
さっぱりわからん…。
今日は6時半起きで長野へ向かっています。
節約のためバスで…。
仕事ではありません。
昨日急にある方に「お会いしてみたいです」とコンタクトをとってみたら、早速「明日どうですか?」という話になり、ちょうど時間の都合がついたので勢いで行くことになりました。
滞在時間6時間の弾丸と言うやつです(笑)
まあその詳細などは後ほど。
お腹痛すぎて家から池袋のサンシャインバスターミナルに行くまでに2回トイレに行きました。
電車の時間がだんだんやばくなり、高円寺→新宿→池袋とJRだけでいけたのに高円寺→中野→高田馬場→池袋とJR→地下鉄→JRというルートに変更。
到着時間はわずかに8分ほど早くなるだけでしたが、万が一の事を考えて早いルートにしました。
その変わり料金は倍以上。
すべて僕のウン……お腹のせいです。
会いたい人に会いに行く
興味の対象って年齢や置かれてる環境により変わりますよね。
子供のときはウルトラマンが大好きだったけど、大人になったら熟女が大好きになっちゃった!みたいな。
子供の時はウルトラマンに会いたいけど、会えないわけです。
存在するしないは別として、会うっていう選択ができない。
でも大人になったら熟女に会いに行くことはできますよね。
方法はまあ何かしらの方法で。
僕は旅をしてるときには「誰でもいいから楽しい人に会いたい」とゆるりと思っていて流れに身を任せてますが、自分から「この人は会ってみたい」と思ったときはガチで会いに行きます。
お金がかかっても時間がかかっても疲れても。
待ってたって一生接点は生まれないし、そうでもしないと自分の思いにも気づいてもらえない。
それで「鬱陶しいなコイツ」って思われたとしてもそれはそれ。
結果そうなっただけの話で、次に同じように思われないよう意識するようになるので少なくともマイナスにはなりません。
よく恋愛とかで「出会いがない」という人がいますよね。
厳密にいうと、ないんじゃなくて作ってないだけだと思うんです。
家から出ないとか、同じ友達とだけしか付き合わないとか。
都会だから田舎だからどうのこうの言う人もいますけど、それは関係ない事で、自分からアクション起こすか起こさないかの違いしかありません。
熟女に出会いたかったら熟女キャバクラにでも行くか、ピーコックとかSEIYUの前でナンパすればいい。
極論ですけどね。
何も失わず、動きもせずに得られるチャンスなんか基本的に無いという事です。
家からでなければ何も変わりませんが、積極的に動いていると、自然と環境や周りにいる人も変わっていきます。
そして、自分自身も変わってきます。
出逢いが人を変えるから
僕は「今の自分サイコー!ウェーイ!」みたいな感じとか「もういろいろやって満足したな」とかが一切ありせん。
今のところまだカスみたいなものだと思ってます。
知らないことだらけ、できない事だらけだし。
自分の周りにいる友達とか自分のいる環境だけを見てると見失いがちですが、外を見てみると世の中には年齢関係なくすごい人がたくさんいて、僕なんかまだまだ甘ちゃんだと気が付きます。
でもネガティブな意味は全然なくて、「どんどん良くなってる」とは思っています。
その理由は“いろんな人ととにかく出逢ってる”からです。
今の自分に足りないもの、今の自分にとってヒントになるものを持ってる人はたくさんいます。
そういう人と出逢えば出逢うだけ、自分は変わっていきます。
ウルトラマンが大好きだったのに、それがゲームに変わり、スポーツに変わり、恋人に変わり、仕事に変わり、趣味に変わり…
そうやって興味の対象が変わっていくのは人として生きてる上では“当たり前”の事です。
思い返すとその変わるきっかけはすべて誰かの影響じゃありませんでしたか?
僕はそうです。
友達だったり先輩だったり旅人だったり。
誰かしらの生き様を見たときに「カッコイイ」とか「素晴らしい」とか感動するのが変化の第一歩です。
20歳くらいまでは学校やバイト先でいろんな人と出逢うチャンスが自然にあり、常に変わっていくもんだと思いますが、大人になると同じ部署の人、旧友、家族くらいのもんだと思います。
ずっと同じ輪で誰も感動させてくれなくなります。
「別にそれでもいいや」「今は結婚して家もあって子供もいて満足してるし」みたいなふうに思う人はそれでいいと思いますが、僕は成長が止まるのが怖くて。
もしかしたら今まで生きてきた中で得られたものを大きいものだと思ってるのは自分だけなのかもしれません。
僕なら29年。
まだまだ自分が持ってるものや経験してきたことなんてマメのように小さくて、その財産だけで今後何十年も生きてくのはきっと難しいです。
だから日々成長していきたいし、していかねばならないと思っています。
子供の頃ウルトラマンに実際に会う事ができたらどう変わっていたのでしょうか。
わかりませんが、今の僕は大人になりました。
ウルトラマンのような人に会いに行くという選択ができます。
親も誰も何もいわないからです。
言わないかわりに誰も連れて行ってくれなくなりました。
自分で決めて、選んで、行くしかないです。
時間がないとかお金がないとか、できない理由はいくらでも見つかるし、大人になればなるほどそういう理由は見つかりやすくなります。
「嫁が…」とか「子供が…」とか「仕事が…」とか。
天秤にかけたくなりますが、人との出会いは天秤にはかえられないと僕は思っています。
どのくらい“重い”かは会ってはじめてわかることですしね。
会いたい人に会いたい!っていう純粋な願望とか、行けるってなった時の純粋なワクワクは子供のほうがいろんなしがらみがないから素直に感じられそうですが、これから歳をとってもそこは変わらずに感じていきたいです。
そういえばたまたま昔の画像フォルダ漁ってたらこんなのが出てきました。
2012年1月1日に実家のトイレに貼ってあったやつ。
良い言葉ですね。
相田みつをさん。
僕は今こんな感じです。
胃腸を動かし腹痛をおこしているものは
食べ物の賞味期限じゃないんだなぁ
思い込みが胃腸を動かし
プラシーボ効果でお腹が痛くなってゆくんだなぁ…
病は気から。
長野まであと2時間。