正直言ってまだ上手く整理できてないから変な文章になるかもしれないけど、海外ボランティアについて書いてみます。
予め書いておくと、周りにいる人含めこれを読むすべてのボランティア、ボランティア経験者を批判したいわけじゃありません。
昨日僕はカンボジアはシェムリアップにある「ソク孤児院」に行ってきました。
ソク孤児院は代表のソクさん(カンボジアの方)がやっている孤児院です。
そこで生活をする子供たちは、親が病気をしていたり、貧しくて一緒に暮らせなかったり、虐待をされていたり様々な背景があるそうです。
実は3年前にカンボジアを訪れた際にソク孤児院へと伺いました。
その時は同じホテルにいた旅行者の友達からのススメと紹介で、当時孤児院で日本語を教えたりと長期的に携わっていた日本人の方にアポを取って行ってきました。
その時は15人ほどの子供達の髪を切って、計3日ほど訪れました。
その事は過去にブログに上げていますので今回は割愛します。
今は別の日本人の方が2年前からソク孤児院に携わっています。
実質的に運営をしているとの事で、その方を友達経由で紹介してもらい、アポを取ってみました。
「ぜひ遊びに来てください」とのことだったので、もしまた髪を切りたい子がいれば切りますと伝え、実際に昨日行ってきました。
3年ぶりのソク孤児院
外から見るとこのような感じなのですが、なんかかなりキレイになった印象でした。
日本人の方とソクさんに挨拶をしてさっそく髪を切ることに。
3年前に来たことを伝えると「あーー!」と思い出してくれた子もいたり、会った瞬間に「覚えてるよ」と言ってくれる子もいたり。
小さい子ばかりだったから忘れられてるんじゃないかと思っていたけど嬉しかったです。
昨日は2人で10人ちょっとカットをしました。
3年前にカットした子もまた同じように。
子供にとっての3年って本当に大きい事なんだなと思いました。
「あーー!カッソ!(髪切る人)」と最初に叫んでくれた男の子も大きくなってました。
前回は切らなくてアレンジだけした女の子も今回はカット。
孤児院の中に一人だけ美容師志望の14歳の男の子がいて、普段はその子がみんなの髪を切っているそう。
独学ですでに歴2年との事で、中学を出たら美容師になりたいらしく、すごいなーと本当に思いました。
ボランティアが環境を壊してしまう事もある
ソク孤児院には現在ソクさんの他に主に携わってる日本人男性と、インターンという形で日本語を教えている日本人女性がいるとのことでした。
いろんな話を聞いてる中でこんな話を聞きました。
とある大学生が20人ほどでアポ無しで突然やってきて、授業をさせてほしいと申しでた事があったそうです。
子供達にもソクさん達にも予定があるという予想をしてなかったからアポ無しだったと思うのですが、学校に提出するレポートのため4時間ほどの授業をさせてほしく、すでに資料も作ってあると言ってきたそうです。
急に言われても対応が大変ですし、そもそも4時間もぶっ通しで授業をしたら子供も疲れるし集中力も切れてしまいます。
大学生達は「長時間勉強しないからカンボジア人は学力が低い」と決めつけ、勝手にプランを立て、やってきた。
その言動に呆れてしまったと話していました。
他にも“善意”で様々な物が送られてきたりするそうです。
例えばサンダルや服などはすでにあるにも関わらず「あげます」という人が多く保管場所に困る程だそうです。
そういう特殊な環境だからこそ、あふれる物に関しては大切に扱わなくなってしまう子もいるそうです。
さらに僕自身が気がついた点なのですが子ども達の内何人かがスマホをもっていました。
「なぜスマホがあるんですか?」と聞くと、過去に来たボランティアが気に入った子に古くなったスマホをあげたということでした。
それにより生まれる格差や、もらってない子からの嫉妬心。
そして結果として「ボランティアに気に入られたらスマホもらえるかもしれない」という気持ちを子ども達に植え付けてしまったそうです。
それらは子ども達に必要のないもので、事足りているものだったそうです。
それらがあるからと言って運営する上での金銭的なメリットもなく、それでいてボランティアの人にはご飯を提供したりするのでむしろマイナス。
どれを聞いても、見ても、矛盾ばかりを感じました。
良かれと思ってボランティアがした事が結果として裏目に出る。
そこには善意があり「何かしたい」という気持ちがある以上、悪い事とは言い切れないように思います。
けど運営する側にとっても、もしかしたら子供にとっても悪影響なのかもしれない事もある。
とても難しい事だと感じました。
僕自身、2011〜2014年に海外に出るまで、3ヶ月に1度ほどでしたがボランティアとして被災地に通っていました。
被災地でも倉庫に詰め込まれた大量の支援物資を目にしたことがあります。
水、衣類、お菓子なども必要以上にあるといった印象でした。
それを仕分ける人がいない…
もらう人もいない…
捨てるのにもお金はかかる…
かと言って本当に必要な物(生理用品とか、もっと言えばお金とか)はなかなかやって来ない…
そういうジレンマの中悩む人とも話したことがありました。
“髪を切る”ならいいのか?
僕自身、現在様々な国でスラムや孤児院をまわって主に子ども達のヘアカットをしています。
その理由は例えば今回の話のような現地のリアルを聞きたいし、できるだけそれを人に伝えたいという思いがあるからです。
それに世界中で受けてきた恩を違う形で誰かに返せないか?という思いがあり、今後日本以外に拠点を作って自分にできる活動をしていこうと思っています。
今はその場所を模索している最中…なんかそんな感じです。
理由は何であれ…ですが、そういう事をしていて、正直なところ貧しい地域や孤児院に行って「髪を切って喜んでもらえた!ではさようなら!」という事になってしまったとしたら、もしかしたら日本語教えたい大学生やスマホをあげる人と同じなのではないかと思うんです。
僕の中では、出会いを通して髪を切るという仕事に興味を持ってくれるきっかけになればいいなという思いだけでやっています。
実際昨日も1人の女の子が興味を示してくれてました。
でもそれも一方通行なのかもしれないと、昨日改めて感じました。
そんな中でせめて1つ気をつけていることがあります。
「現地の人の仕事を取らないこと」
「自己満で終わらせないこと」
今回のことにしても、震災のボランティアにしてもそうです。
例えば日本で言えば児童養護施設で契約してる理美容師さんがいるにも関わらずボランティアカットに行ってしまうとか、被災地でカットしてしまうとか、僕の中ではナシなことだと思っています。
切られた方は無料ならそれで喜んでくれると思うし、切った人も「何かできた」と満足するのだと思います。
でも大勢で押しかけて、数日滞在して50人も100人もカットしたらそれで仕事がなくなって困る人もいるのかなと思います。
僕は1人だしそんなに人数切れないからいい!という問題でもないような気がしてて、せめて施設関係に行く時は事前に専属がいないか確認したり、偶然出会った人でもこちらから「切らせて」と言うことは昔から一切してません。
だけどそういった事を気をつけていても、1回きりでさよなら…なのであれば、それもまた矛盾なのかなと自分で思います。
どうするのがベストなのかはわからない
「貧しい人や地域のために何かしたい」
そういう思い自体エゴみたいなところがあるような気もしています。
でもそのエゴで僕も動いていて、海外でボランティアをしてる人でも、今回のソク孤児院を運営している日本人の方もみんなそうなのだと思います。
世界中の人を救いたいっていうのは無理だけど、関わった人になら何かしたい…
そう思うこと自体は自然なことなのかもしれません。
「自己満で終わらせない」
1回のボランティア活動や、1回の寄付より、それが本当に大切なことなのではないかと僕は思っています。
だけど、正直継続が1番難しい。
仕事をしながら被災地に通った頃より今は自由がありますが、それでもどこかに関わり続けるのは大変なことだと強く思います。
今回カンボジアに来たのは一番最初にソク孤児院へ行くことを勧めてくれた友人から「存続の危機らしい」と聞いたからでした。
実際に行ってリアルな現状を聞いて、驚きました。
政府からの圧力や、土地の所有者からの圧力もあり、金銭的にも場所の問題でも、ものすごく大変な状況との事でした。
2年間そこで活動をしている日本人男性のアドバイスで今は子供達がアクセサリーや服を作り、それをナイトマーケットで売ったりしているそうです。
とは言えまだ収入は微々たるもので、食費や家賃など大部分はその方が出していると聞きました。
それもかなりの金額…。
今後はさらに子ども達の就職のためにパスポートを取ったりビザを取ったり、いろんなサポートもしていきたいと話していました。
エゴをエゴで終わらせず、自己満で終わらせないために継続してやる事はそれほど難しいことなのだと痛感させられました。
僕にできる事は何だろう?
昨日からずっと考えています。
なぜそうしたいか?と聞かれたら「関わったから」「良くしてもらった恩」という答えしかなく、震災の時もただそれだけでした。
例えば僕は美容師だから、子供に教育をする…というのもできると思うけど、カットを学んだ後はどうなるのだろう?という疑問があったりもします。
今回ソク孤児院で普段みんなの髪を切ってるという男の子に古いけど使ってないハサミをあげようと思いました。
でも、スマホと同じように不公平さを感じさせてしまう原因を作るかもしれないし、もらったからと言ってその後道具だけあったらそれでいいのか?という疑問があります。
結局日本の美容師の常識やルールが海外で過ごす彼らの環境で求められることなのだろうか?という疑問があります。
善意があれば何でもいい…
そういうわけではないという事を今回改めて知り、「なにかしたい」という気持ちがあっても無責任な事はしたくないからなんか考え込んでいます。
でも1つハッとした事もありました。
インターネットの可能性
彼は地雷で足をなくした子で、当時15歳で医者を目指して勉強しているところでした。
今は夢が変わり、インターネットを使って仕事を始めていて、他にもデザインの仕事も始めたと聞きビックリしました。
彼に数々のTシャツのデザインとウェブサイトを見せてもらいました。
ワードプレスでサイトを作り、少しずつだけど広告収入をえているそうです。
今はコンピューター関連のことを学ぶ学校に通いながらデザインの事もやっていると聞きました。
僕もかれこれ4年間近くネットに携わっていますし、ここ1年半くらいは独学ですが様々な事を勉強しました。
だからこそわかるのが、すごく上手いやり方だなということ。
海外に行ったことない人からすると、漠然と海外の貧しい国にはネットがないとか思うかもしれません。
でも現在カンボジアにいる僕もこうしてネットにつなげて発信をすることができるし、今では田舎に行ったってwifiはあります。
フィリピンのスラムで出会った人、マニラのホームレスの人、そしてカンボジアの孤児院の子供もスマホを持っているという現実。
もしかしたらそういう携わり方もあるのかもしれない…
ふとそんな事を思いました。
3年前にダロ君に初めて会ったときにいろいろ話していて生きるためのヒントをたくさん貰いました。
今回もまたなんか逆にヒントを貰えたような気がしました。
ボランティア活動というのは、ありがたいと思ってもらう事がほとんどだと思います。
だけど、中には“ありがた迷惑”もあるのが事実だという事を今回改めて知ったのでこの記事を書いてみました。
継続が大切だと言っても、誰にとっても最初の一回は最初の一回です。
せめてもの礼儀やマナーを守ることは必要なのかなと思うとともに、できたらボランティアに行く先の方に「どんなことが必要か?」と素直に聞いてみるのが1番な気がしました。
といっても、やっぱりボランティアというもの自体に正解はないように思います。
だからいろんな葛藤があるのかもしれません。
僕自身は来年、再来年とそれ以降もしばらくは海外と日本を行ったり来たりの生活をするつもりです。
今の仕事はもちろん続けるし、それはそれで。
今回ソク孤児院で出会った日本人男性は本気で人生かけてやってる方でした。
その手前気軽に口に出していいのかわからないけど、何か手伝えることがあればしていきたいなと思ったりもしています。
帰り際にダロくんがデザインしたTシャツと子ども達が作ったブレスレットを貰いました。
カットのお礼だと…
ならばまたそのまたお礼をしよう。
また滞在中に立ち寄ってみようと思います。