「ごめん!急に予定入ってしまって!」
って言われたことありますよね。
言ったこともきっとありますよね?
まあ人間誰しも1度や2度そんな経験をするもんです。
今日はドタキャンとお金の話をしてみようと思います。
大げさな持論です。
ドタキャンがなぜいけないのか
ドタキャンにはどうしようもない時も確かにあると思います。
一度入れた予定は変更してはいけないなんて法律があるわけでもないし、ホントに何かしら超大切な予定が入ったりしたら仕方ないのだけれど…
だけどドタキャンはガチで信用なくす行為であると断言できます。
断る理由が何であれ、断られた方には関係がないことです。
その理由が本当であれ嘘であれ、それも関係がないことです。
先日ある結婚式に参列させてもらったんですけど、実はその結婚式でドタキャンがあったそうです。
会場も予約したあとに、参加予定の人から「仕事が入った」とかでドタキャンの連絡が来てしまったと…
その空いてしまったところなに「タダでいいので来てくれないか?」と誘ってもらい、喜んでドタ参加してきました。
流石にタダは逆に断りましたけど(笑)
しかし、その一連の話を聞いて「ああぁ…わかる。」と思ってしまったのが、自分の結婚式でも同じことがあったからです。
ムカつくとかそういうのはなかったけどまあ普通にへこみました。
どうしても外せない仕事が入ったとの事で直前に断られたのですが、結婚式と仕事を天秤にかけてそちらを選んだというだけのこと。
なんやかんや言ってすごくシンプルなんですよ。
「予定が入ったんじゃなくて入れた」
というだけの話で。
なにも結婚式だけの話じゃなくて、仕事をすっぽかされたり、僕は割とあります(笑)
でも決して責められないんですよね。
自分もフリーで働いていて、なんかそういうシチュエーションってやっぱたまにあるんですよ。
なんか「これはすごいやばい!!」みたいな仕事が突然舞い込んできたりとか。
例えばあなた自身にそういうことが起こったらどうしますか?
引き受けますか?断りますか?
悩みますか?
どちらかは必ず選ばなければなりません。
判断要素はたくさんあります。
「結婚式断ったら友達怒るかもしれないし」
「今金欠だから報酬ほしいし」
だからこそ悩みます。
どちらを選んだら正解か?
それは状況にもよるのでわかりませんが、仕事してるとこういう瞬間って大小いろいろとあると思うんですよ。
だから気持ちはわかる。
でも…
最初に書いたように”断られた人”からしたら理由なんてどうだっていいのです。
ドタキャンされたという事実しかそこにはなく、その人に対してマイナスな感情を抱くことはあってもプラスな感情はまず抱くことはないでしょう。
よっぽど特別な理由(不幸とか)でなければまず納得はできません。
「あーわかりました。残念です」とか社交辞令のように言っておくけど本当はすごく泣いてるかもしれないのです。
これは人間ならば誰もが同じ気持ちになるはずです。
自分の結婚式をドタキャンされて悲しくならない人なんかいません。
大事な約束をすっぽかされてイラッとしない人なんかいません。
しかし不思議なのが、ドタキャンをする側の立場に経ったときにその思いは忘れてしまいますよね。
目先のお金か、約束か。
選択を迫られている事にいっぱいいっぱいになってしまいます。
悩んだらお金ではなく人を選ぼう…
これは自分でいつも思ってることです。
悲しいことに結局人はお金で動きます。
また想像してみてください。
親友の結婚式に行くか、多額の報酬をもらえる仕事を取るかで悩んでいる状況。
仕事を取ればご祝儀代もうくし、報酬も入ってきます。
結果的にすごくプラスになるような気がします。
ではもし親友の結婚式の日に無報酬だけど今後仕事につながるかもしれないレベルの依頼がきたらどうするでしょうか。
おそらく悩まないと思います。
仕事を選んだ場合得られるものは【お金】です。代わりに友達からの【信用】は下がります。
結婚式を選んだ場合失うものはいくらかの【お金】です。代わりに友達から【感謝】と【信用】が得られます。
つまり人はお金と信用を天秤にかけていて、お金が得られないのであれば悩まないわけです。
いろんな状況がありますが、そんな時僕は迷わず【信用】【人】を選ぶべきだと思います。
今日、明日レベルで考えたらお金を選んだほうがプラスになると思いますが、長期的に考えたら絶対に人の信頼を得たほうがいいわけです。
なぜか?
答えはチョー簡単で「どんな人になら手を差し伸べようと思いますか?」ということです。
基本的に人は人を助けるのに理由がいります。
その理由の1つに【信用】があります。
つまりたくさんの信用があれば、それだけで生きていけるのです。
みんな長寿化して人生が100年にもなると言われているこれからの時代、正直お金だけで生きてくのは無理ゲーだと思いませんか?
僕はすごく思います。
東京都で最低限の生活をするためには200万ものお金が必要だといいます。
10年で2000万円です。
それで”最低限”です。
今目先のお金ばかり集めたって、生きてればお金はかかり続けるわけです。
しかもAIなどにどんどん仕事をとられていき、収入は減ると言われているので、じゃあどうやって生きていくのか?って話になりますよね。
人に助けてもらうしかないと思うんです。
そして人を助けるしかないと思うんです。
シェアリングエコノミーもソーシャルビジネスも全部結局そういうことですよね。
【世のため人のため自分のため】
もう本当にスーパーシンプルな話「ドタキャンするようなやつを誰が助けようと思うのか」ってことですね。
結局死ぬときに何があったら幸せなのか
もし死ぬ間際、たくさんのお金やたくさんの車に囲まれてたとします。
本当に最後の最後。
残りの数週間、数日間、数時間、数秒間、一体それらのものがなんの役にたつのでしょうか。
きっと考えることはもっと大切な何か他のことだと思います。
友達とか、家族とか。
学校の先生とか、職場の後輩とか、怒られるかもしれないけど昔の恋人とか。
それまでの人間関係や、趣味に費やしてきた時間、楽しかった思い出じゃないかと思います。
感謝、信頼
そういったものは忘れないはずです。
そういう感情にさせてくれた人のために動いた時間や思い出も忘れないはずです。
「アイツあのとき結婚式に来てくれたなー」という友達との思い出がもしかしたら札束よりも価値がある事になるのかもしれません。
それは老人になって亡くなるとかではなくとも、今自分が若くても若くなくても、何歳でも…
人生のどのタイミングであろうといきなりやってくるであろう”終わり”のその時のため、目先のお金より人を選ぶべきだと思います。
そして1番大切なのは”そういう自分を”大切にすること。
自分の時間や自分の体を大切にすべきであり、その時間や体を家族、友達のために使ったり、新しい人との関わりを持つために使うべきだと思います。
目先のお金を手にして自分の大切な時間を無くさないこと。
ドタキャンしてまで手にするそのお金は一体あなたの何になるのか?
一生有意義に過ごさせてくれるのか?
答えはNOだと思います。
だからドタキャンはすべきじゃないのです。
きっと人は細胞レベルでは人を選ぶようにできてると思うのですが、お金というものは人に催眠術をかけてしまうので、判断を鈍らせます。
だから自分で自分にブレーキをかけて「お前のその判断は本当に正しいのか?」と質問をする必要があります。
そのドタキャン、本当にしていいの?