カンボジアなうです。
女性差別という言葉があります。
近年では女性の社会進出などいろいろと変わってきています。
なので女性差別について議論されることはかなり増えましたが、年齢差別に関しては誰も何も言いません。
なんかそんな記事を書いてみます。
わりと深刻な年齢差別
年齢差別って言葉自体「はあ?」って感じだと思うのですが、実はこれはちゃんとある言葉なんです。
アメリカでは1967年に年齢差別禁止法というのができ、40歳以上に対する年齢差別が厳しく規制されています。
会社の面接で年齢をきくことは違法になる可能性があったり、履歴書への生年月日の記載もないことが多いそうです。
カナダ、EUなどでも同じ法律があります。
日本でも「事業主は、労働者がその有する能力を有効に発揮するために必要であると認められるときとして厚生労働省令で定めるときは、労働者の募集及び採用について、厚生労働省令で定めるところにより、その年齢にかかわりなく均等な機会を与えなければならない」となんか小難しく規定があります。
ただ、実際には年齢により差別されることは多々あるようです。
高齢になると職につけない…みたいな漠然とした不安はこういった「高齢者は仕事できない」みたいな考えから来ていると思います。
終身雇用が神話となりつつある今、高齢での転職も増えていると思います。
そんな中、能力があるのに年齢だけで判断されたらキツイですし、理不尽ですよね。
同じように若者に対しても年齢差別というのはあるのではないかと思っています。
能力があるのに“まだ若いから”という理由で認めない、採用しない、などというのは同じく年齢差別なんじゃないのか?と思うんです。
少子高齢化社会でこれから労働者が減っていきます。
若い人たちは貴重な労働者となる人たちであり、生産者です。
その人たちを古い価値観で押さえつけるのはもう意味がないし、そろそろ限界なんじゃないかと最近思います。
受け継がれる悪しき習慣
余談ですが僕は高校3年間ラグビーをやっていました。
キツイ、汚い、臭いという3Kです。
いつかの時代に言われた3K(高身長、高収入、高学歴)とは違う3Kです。
僕は高校1年の時にガチで学校を辞めようとしたことがあります。
ラグビー部の先輩に「おい、1年目。テメェらたるんでるから明日までに全員坊主にしてこい」と言われたからです。
美容師志望だった僕は「坊主?マジ?ムリムリ。そんなことなら学校やめるわw」と本気で思いました。
結局友達に説得され頭を丸めました。
そのときに友達から言われたのは「あの人たちはもっと先輩からイロイロやられてきたんだって!坊主ですんでよかったとおもったほうがいい!」という言葉。
マルコメになった僕からしたらそんなことはどーでもよくて、ただの屈辱でした。
髪型くらいなんだよと思うでしょうが、僕にとってはとても大切だったんです。
翌年、1つ下の学年の後輩を坊主にしようという話が出ました。
1つ上の先輩たちからです。
「俺らもやられたから」
そう言ってました。
さらに翌年、3年生になった時も同じような事があったと思います。
それから10年が経ちました。
母校でラグビーをしている学生達は、その悪しき伝統を受け継いで「俺らもやられたから坊主にしてこい」とかくだらないことを言っているのでしょうか。
そうなってない事を祈るばかりです。
社会に出てもそういうのはたくさんありました。
「俺らはこうしてきた」
「私はこう教わった」
「俺はお前の年齢の時はこんだけやった」
「私はあなたの年齢の時に寝なかった」
たぶんどんな仕事でも、どんな社会でもあるんだと思います。
素晴らしい伝統ならいいですが、時代錯誤の価値観の押し付けはただの悪しき習慣だと思うんです。
押さえつけが格差を生む
今になって思うのが今と昔は効率とか価値観が変わってないか?ということ。
テクノロジーの進化で、時間は短縮されていき、モノは小さくなっています。
例えば寝ないで働いたのはスマホがなかったので手書きでなんかいろいろやって時間が多くかかってただけなんだと思います。
だからツールや背景が違うのに強要すること自体ちょっと変だと思うのですが、結局どの環境にいても年齢が下というだけでいろんな事を押し付けられてしまいます。
それと同じことで「自分たちはこれだけやった」という感覚も短くなっていって当然で、昔は5年かかったところが今は3年で済むかもしれないし、未来は1年で済むのかもしれません。
最初に書いたように下の世代に対する【年齢差別】は日本では差別とさえ思われてないように思います。
年功序列という言葉もあるし、日本はそもそもそういう文化だし、日本語という言語も年上目上の人は敬うようにできているから仕方がないことなのかも。
でもこれからもそれでいいのか?と思ったりします。
敬語を使うなということではなく…。
今までは基本的に年齢ピラミッド社会で成り立ってたような感じなので、下に押し付けたり認めなかった部分も多々あると思うのですが、今後はフラットな社会が理想的です。
完全にフラットは有り得ないと思うけど、例えばベーシック・インカム(最低限の生活保障)が日本でも取り入れられるかもしれないし、そうなれば格差は少なくなりフラット社会も現実的になります。
さらにベーシック・インカムによりブラック企業で消耗しなくなれば誰もが時間を作ることができ、”得意分野”を伸ばせるようになります。
格差がなくなり、あとは年齢差別さえなくなれば、能力ある人は何歳だろうと活躍できる社会になります。
ベーシック・インカム導入がいつとかはわかりませんが、確実に言えることは近い将来にはロボットが労働者の代わりに様々な仕事をこなしていきます。
そうなった時に労働の価値観は絶対的に変わっていき、みんながもっと自由に働こうとするし、好きなことを仕事にしようと思うはずです。
だから若い、または高齢者だからいけないみたいな感じで年齢で差別して、能力を発揮できる場所を奪う考えの人は支持されなくなるはずです。
そう考えると現時点でもう年齢差別についてもっと話し合ったりした方がいいし、年齢での判断なんて基準はさっさと無くしたほうが国のためになると思ったりしています。
国というかもっと縮小して考えると社内だったり組織内だったりも同じ。
圧倒的多数の年上の人たちが「年齢が自分より下だから言うことを聞け。」をやめたらきっといい方向に向かうと僕は思っています。
新卒が良い!ニートや中途はだめ!みたいなのも正直もう古くて、それも同じことだと思います。
みんな育った時代が違えば、価値観も違うのは当たり前です。
世代間ギャップを無視して自分の価値観だけを押し付けあえば当然争いが起こるわけです。
どちらも譲るべきところだと思いますが、年上が譲歩したほうがうまく行くような気がします。
最近10歳とか年下の人ともよく話すようになったので、すごく世代間の考え方の違いを痛感します。
でも次の時代はその世代が作って行くので、ちゃんと話すことは大切だなと思っています。
古い考え方が必ずしも悪いわけでもないし、でも全て良いわけでもない。
必要なものは残して不必要なものは捨てる。
それだけなんだけど、それが難しいのだと思います。
年齢差別という意識がなくなれば、お互いの理解度が深くなり、認め合うことができると思います。
そんな社会や組織が僕にとっては理想的です。
そうでなければ、一部の富裕層と多数の貧困層っていう世の中になると思います。
それはどうなのかなーと思うので、自分の作る組織や、周りとの付き合いはフラットを意識してやっています。
海外に身をおいてるといろんなことに気が付きます。
ふと思ったので書いてみました。
ひとりごと。