否定されてばかりの人生…
今講演会にお呼ばれし、新幹線で東北に向かっています。
20代前半で何度となく足を運んだ東北。
初めて行った時は2010年の秋の終わりだった。
鈍行にゆられ、窓から景色を眺めてたっけ…
その頃の僕は転勤になったことをきっかけに仕事を辞めようか悩んでて、気分転換を兼ねて東北に向かってた。
当時22歳。
その頃会社や先輩からは『転勤くらいなんだ。社員なのだから社長の言うことを聞け。枠にはまれ。』とよく言われた。
相談した親からも『会社はやめるな。今までやってきたことを無駄にする気か。』と言われた。
嫌で嫌でたまらなくて、でも周りの言葉に流されて、とにかくどうすべきかウジウジ悩んでた。
あのときの気持ちはなんかやっぱり覚えてる。
今こうして電車の窓から同じように見える田舎の風景がそれを思い出させる。
あれからもう7年か…。
そういえば初めて行った東北の地は偶然にも今回の講演会の目的地である山形&仙台だった。
傷心の22歳、なぜか一人で有名なお寺を見に行ったんだ。
そこで名古屋から来たという女の子と偶然出会い、仲良くなった。
一緒に玉こんにゃくを食べて二人共仙台へ行く予定だったので一緒に向かった。
そのまま流れで二人で飲みに行ったわけだが、運命の出会い的な感じでそのまま恋に発展するわけでもなく、その子は夜行バスで名古屋に帰るとのことだった。
バス乗り場まで送ってさようなら。
mixiを見たらその時の写真があった。(デジカメをガラケーで撮った写り最悪なやつ)
そして1人仙台の街を歩きはじめた。
ストリートで偶然ギターを弾いて歌ってる人を見かけた。
聞けば日本一周チャリンコの旅をしてるという。
なんだこの人は!と思って缶チューハイを飲みながら何時間も聞き続けた。
気づいたら酔っ払いのオヤジも隣にいて、なんかよくわからないけどその旅人と一緒にオヤジの家に泊めてもらった。
酔った勢いで仕事をやめたい…と悩みをポロッと言うと、酔った2人はすぐさまこう言った。
『そんなもんやめろ。心は決まってんだろ?』
酔っ払いの僕は酔っ払い達の言葉を真に受けた。
東京に戻り、辞めますとはっきり上司に伝え、いろいろと言われた。
もったいないとかいろいろ。
僕はやめたあと、とりあえず旅をすることにした。
チャリンコのアニキがカッコよかったから、日本一周の旅をしたいな…と。
それを親に言えばまた否定された。
でも僕はやった。
しかしチャリでまわる根性もなければギターを弾いて歌う勇気もない。
ないけど自分の人生を変えてくれたあのお兄さんのように、誰かと僕も出会いたいと思った。
とりあえず青春18きっぷを手に東京を飛び出し『フリー握手』と書いた看板だけおいていろんな場所に立ちまくった。
意味があるとかないとか、無駄だとかなんとか、やっぱいろいろと言われたような気がする。
仕事やめてもやめなくても否定ばかりだった。
その後就職しても世界を旅しても、何をやっても否定ばかりだった。
店を出そうが、コミュニティを作ろうが、会社を作ろうが、何しようが。
自分が夢を語れば人はそれをバカにしてくるし、自分が行動を起こせばそれは違うと言ってくる。
でも僕は気にしない。
22歳で東北に来たタイミングで考え方が変わったから。
否定されようがなんだろうが『これは俺の人生だ』と思うようになった。
誰がなんと言おうと、これは自分の人生。
自分の手でなんでも切り開いてやると。
そして僕は証明することもやめた。
価値観が違う人、否定してくる人に自分の正当性を証明する事は無理だと気がついた。
どれだけ説明してもわかってもらえない。
それは家族や恋人など身近な人だとしても同じ。
じゃあ自分は何をすべきか。
『改善』『進歩』であると気がついた。
例えば批判をされたからと言って悩んで立ち止まる事をしてもそれは何も生み出しはしない。
けどそこから少しでも動き出すことで状況は変わる。
それにはさらなる批判が伴うかもしれない。
それでも自分のやりたいこと、信じることならば『より良いと思う方へ』動き続けることがベストな選択だと言える。
なぜならそうして進み続ける事で結果は必ず出るから。
そしてその結果に周りは納得せざるを得なくなるから。
それが証明となる。
つまり何も改善もせず進歩しようとせずに証明することは不可能であって、まずすべきことはそれなのだろうと思う。
向上心という言葉があるけど、人間は本来そういう生き物のはず。
でも今は周りがそうさせない。
足の引っ張り合いをして、その結果生まれる同調というくだらないものにズブズブ浸って幸せなふりをしている。
きっとみんなやりたいことがないとか、やれないとかじゃなくて周りからの否定が怖いのだと思う。
だから何かするのであればまず証明することに必死になり、認めてもらえないと心が折れてしまう。
7年前、鈍行から窓の外をボケっと眺めてたかつての自分がそうだった。
でも、今となって思うことはやはり1つしかない。
“自分の人生を生きるべき”
批判してくるやつにわざわざ証明なんかしなくていい。
同調なんかいらない。
必要なのは自分と向き合って、どんどん良いと思う方向に進むこと。
ただそれだけでいい。
そしてただその繰り返し。
それでいいと思う。
『改善・進歩=improve』
英語ではプルーブ、インプルーブといって、つづりも発音もそっくり。
この2つはもしかしたら紙一重なのかもしれない。
どっちを優先するかで人生は変わる気がする。
自分は自分の手で作っていくべきだ。