身内の事ですので書くか迷っていたのですが、そのことよりもどちらかというと自分の事として書いておきたいなと思ったのでやっぱし書くことにしました。
人の死について。
実は10日前に祖母が亡くなりました。
90歳の高齢で老衰ということで、突然ではあったもののある程度覚悟していた事でもあり、悲しいけど「信じられない!」とかそういう感じではありませんでした。
簡単なことではないけど、致し方ないと割り切って送ってあげたいなと言う気持ちになれたような最後でした。
2014年に世界一周しているときに両祖父が亡くなってしまい、フィリピンとインドから帰国。
ギリギリ火葬する前に顔を見ることができたのに比べ、今回は病院に運ばれたと連絡が来たときからお葬式が終了するまでの4日間とちょっと毎日毎晩顔を合わせ、いろんな事を考えることができました。
身近な人の死で気づいたこと
僕の地元は田舎なので、東京などの都心部のお葬式とは少し違います。
お通夜でもないのに亡くなった夜から毎日たくさんの方が家に挨拶にやってくるのです。
お婆ちゃんの親戚、兄弟、友達などなど本当に驚くほどたくさんの方に。
両親はそういうお客さんへの対応だとか、お葬式のことだなんだとバタバタとしておりました。
そんな中で弁当の数をどうするとか、花代をどうするとかいくらか事務的に決めないといけないこともあり、遺影の写真の話にもなりました。
「遺影の写真はあれで…」
実は亡くなる前から本人の希望もあり遺影の写真を用意していました。
2年半前の88歳の誕生日の時に、遺影の写真のためにカット、ヘアメイク、撮影をしたのです。
当時のことはブログに書いていました。
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おばあちゃんの88歳の誕生日に遺影の写真をプレゼントした話。
正直、いろんな葛藤がありすごく複雑だったのを覚えています。
「自分たちのエゴではないか」
「死というものを前提としていて不謹慎ではないか」
「遺影の撮影をすることは間違っていないだろうか」
死をポジティブに捉えることができず、悩みました。
撮る前も、撮ったあとも。
周りはいいかもしれないが、撮られる本人はどうだったのだろう。
遺影用の写真を残すと言い出したのがお婆ちゃん自身だったのですが、ここまで大事にするのを望んでいたのかどうか…
本心は最後までわかりませんでした。
結果的に本当に良かったと思えた
お葬式までの4日間、いろんな人がお婆ちゃんのもとを訪れてくれました。
そこでいろんな人に言われた「ありがとう」に正直戸惑いました。
でも本当に多くの方が【遺影の写真】と【遺影の写真をとった事実】に対して良かったと思ったようでした。
ずっとモヤモヤしていたものが晴れたような気がして、僕も「あぁやっぱやって良かった」と思えました。
祖母の顔はこれからは遺影の写真の中でのものになり、それは骨になってもお墓に入っても永遠に残るものです。
そういった顔が無い人もこの世の中にはいるそうです。写真を残してないなどの理由で。
そう考えると、キレイな写真が残ることはやはり大きな意味があるように思います。
お婆ちゃんである以前に1人の人間として、1人の女性として恥ずかしくないようキレイで美しいものを残せたのだから、本当に良かった…と。
やはり遺影の写真を撮るというのは、残される者たちのエゴだと思います。
だけど、エゴで良いのだと思いました。
今は悲しくても、その感情もいずれ変わっていきます。
残される者たちは世話になったこと、教わったこと、いろいろなことを引き継いでこれからも生きていかなければならないし、その中で今後何回も何回も”お婆ちゃんの顔”を見る機会があるのです。
その時は悲しさよりも懐かしさや楽しい思い出のほうが強くなっていると思うので、やはり暗いよりボヤケているより、笑っている顔でちゃんと写っていてくれたほうがいいのだろうと。
なんかそのような事を思いました。
美容師は髪を切るだけではない
そしてその4日間で他にもいろんなことを考えさせられました。
お婆ちゃんは90年という長い時間を生きてきた中でものすごく多くの人と関わり、影響を与えてきたのだと知りました。
多くの人が1人の人間の最後を見取る為に遠くから足を運び、悲しみ、懐かしみ、語り合って、笑う。
1人の人間とは、人生とは、あまりにも深く計り知れないものであり、偉大なのだ…と。
誰かが亡くなるということはやはり悲しいものです。
でもそれ以上に、いろんな事と向き合う機会にもなります。
死とは何か。
生きるとは何か。
そういった哲学的な事も考えるかもしれません。
僕は考えました。
その中でこれから【死】というものとちゃんと向き合う事をしていこうと思うようになりました。
過去に何度かそういったことを真面目に考えたタイミングがありました。
祖父母が亡くなった時、友達が亡くなった時、インドのガンジス川で火葬される人々を見た時、震災で多くの人が亡くなった地域に立った時。
人の死というものはとても重く、まともに向き合うのはキツイかもしれません。
でも、人は生まれたら死ぬのだから。
ただ一つの例外もなく、必ず終わりはくる。
当たり前の現象であり、人の歴史はそうやって積み重ねてつくられてきたものである。
感情が邪魔するだけで、本当はものすごいシンプルなものであり、地球規模で考えたら毎秒毎分アチコチで起こっている事でもあるのです。
臭いものに蓋をするように、タブー視されていますが、やはりちゃんと考えて向き合っていくべき分野なのだと思いました。
自分に対しても、他人に対しても。
そういう心境になったのもあり、お婆ちゃんが亡くなった翌々日、メイクをしました。
なんか目の周りの色とかが気になって。
死化粧というやつです。
生まれてはじめてやりました。
メイク自体は6年ぶり。
ホコリがかぶったメイク道具を引っ張り出し、コンシーラー、パウダーなどで顔をきれいに。
いろんな気持ちになったり久しぶりだったので、中々うまくできずに手こずったけどそれでも何人か気付いてくれた人もおり、それに対してもやはり「ありがとう」と言われました。
自分でやっといて言うのもアレですが、美容ってすごいな…と改めて思いました。
僕は2018年末で美容師を引退し、会社経営や美容室のサポートに専念している中で忙しくもどこかポッカリとした喪失感のようなものがありました。正直なところ。
サロンワークに戻りたい気持ちは全くありません。
場所に縛られる働き方が僕のライフスタイルと合っていないからという理由もありましたが、ただ”要望に応えて髪を切る”ということに楽しさを見いだせなくなってしまった部分が大きかったのです。
それで心機一転きっぱりやめてみようと。忙しかったし。
新しい形を模索し、経営者という道を選びましたが、ここ2ヶ月それだけやってみてもなんかどこか自分らしくない気がしていました。
いざ辞めてみても美容が嫌いになったわけでもないし「やっぱなんかやりたいなぁ」と。
やはり美容は10年続けた好きなことなので。
そういった美容をやりたいなぁという気持ちと、今回のいろんな出来事を通していろいろ考えてみた結果、同じように遺影の写真を撮りたい方のもとをまわってなにか手伝いをしていきたいなという気持ちが芽生えました。
というか、芽生えてたから2年半前に撮影をしたのですが、ずっと「これでよかったのか?」という葛藤があったので表には出さなかったけど、やはり意味があることだなと気がついたので…。
そういう事をやってみたくなりました。
美容はなにも髪を切るだけではなく、髪もセットするし化粧もするし…
そもそも場所がサロンである必要もなく、人がいて自分がいれば成り立つのです。
世界をまわって1300人の髪を切った僕には”サロン”は必要なかったし、だからどこでもいいのです。
そういう自分の感覚にも合っていると思うし、そういう意味で美容師に戻ろうかなと思っています。
サロンワークはもうやりません。
出張してカットしてセットしてメイクして遺影の写真を撮る…
お金のためとかじゃなくて、社会貢献的な意味合いと自己満足が強いかもしれません。
どうなるかはわからないけど、まずはメイクとカメラをイチから勉強しなおしてやってみようと思います。
会社経営も美容室サポートも講演会も今までどおりやりますし、それはそれで頑張ります。
今すでに忙しいけど、別に睡眠や酒飲んでる時間を削れば時間はいくらでも作れるし、まだ30歳なんだから何でもできるし。
山梨⇔東京の二拠点生活をしていますので、基本的には山梨県内、東京都内でやっていくつもりです。
別にそういうことをしますよって宣言するとかではなく、ほそぼそとそういう風に生きていきたいなと思って、気持ちの整理をつける意味で書いてみました。
これを読んでいる美容師さんがどう思うかはわかりません。
でも、もし祖父母や両親がまだ健在でお元気なのであれば、やんわりとそのような話をしてみても良いのではないかと思います。
僕たちは自分の手で人を変える事ができるのだから、家族の為、大切な人のためにその力を使うことは正しいと思うし、喜ばれると思います。
美容ってすごいですよね。
僕はこの仕事を誇りに思います。