床屋の赤白青のくるくるは世界共通だったって知っていましたか?
本日、ふと去年の夏に行ったフィリピンの写真を見ていたのですが、こんなのが出てきました。
フィリピンの床屋さん。
ちょっとわかりにくいんですけど、赤青白の三色が見えますでしょうか?
これはまた別の床屋。
こっちのがわかりますよね。
そう、この配色といえばくるくる回る「アイツ」
これ、世界中の床屋見てきたけど、ガチで同じなんですよね。
なんか4年前にサインポールの記事をさりげにこのブログに書いてたのを思い出し、改めて読んでみるとクオリティが鼻くそみたいだったので、今回少し書き直してみました(笑)
床屋の赤白青のサインポールとは何なのか
そもそも、あの床屋のサインポールと呼ばれるものって何なのか?
謎ですよね。
理容店の看板の「赤・白・青」は、むかーし理容師が外科医を兼ねていたことからきてるそうです。
むかし、中世ヨーロッパでは、理容師の仕事は髪をカットしたり髭をシェービングすることだけでなく、歯や傷の手当てまでする「理容外科医」という職業だったそうです。
理容の歴史は、12、3世紀頃から外科医史に登場するとか…。
その当時のポピュラーな治療法のひとつに『瀉血(しゃけつ)』なるものがありました。
それは「身体の悪い部分には悪い血が、 集まる」という考えから、その部分の血を抜き取るという治療法でした。
治療は、患部を切って血を抜くときに、 患者に棒を握らせて腕を固定して、そこを伝って受皿に落ちていくようにしていたそうです。
手術後に血のついた棒をそのままにしておくのは衛生的にダメだと言うことで、その棒を赤く塗りなおして使うようになったらしいのですが、その棒をbarber-surgeon’s pole(理容外科医の棒)と呼ぶようになったそうです。
そして治療が終わった後、その赤い棒と傷口に巻いた包帯を店の前に干していたところ、風に吹かれてその包帯が棒に巻き付き、サインポールの原形になったと言われています。
その後1745年にイギリスで理容師のユニオン(組合)と外科医のユニオンが分裂したときに、外科医は赤白に理容師はさらに青を加えることが定められて今のの赤・白・青の 3色になったといわれています。
よく赤・青・白にはそれぞれ意味があり、赤→「動脈」 青→「静脈」 白→「包帯」だと言われるようですが、赤を動脈、青を静脈に初めて例えたのが1628年イギリスでのことで、12世紀に血管を赤と青で分けて表示したということはあり得ないとも言われています。
この他にも、ナポレオンが敗北したワーテルローの戦い(1815)ってときに、野戦病院の入口にフランス国旗を旗棒に巻き付けておいたから~みたいな説もあるそうです。
サインポールは世界共通
さて、サインポールは世界共通という話ですが、これは正直証明しようないんですけど…
過去42カ国くらいをまわりましたが、自分の髪を切ったり見学させてもらったりでなんだかんだ20カ国くらいはサロンに足を踏み入れました。(美容室も含む)
それがなくても職業柄やっぱり見てしまうのです。
その体感ですが、どこの国にもあったのでマジで世界共通だと思います。
世界には200ヶ国あり、未開の地もまだあることを考えると100%とは言い切れないですが、ほぼほぼある事は間違いないかと。
もちろんサロンによってないところもあります。
そういえば日本でも最近イギリス風おしゃれバーバーが増えてて、そういうところは真っ黒とかだったりしますもんね。
で、ここから余談ですが”世界共通”というとタクシーなんかもあげられます。
めっちゃ不思議なんですけど、世界どこ行ってもタクシーはタクシーです。
英語だとタクスィー
日本語だとタクシー
韓国語だとテクシー
トルコ語だとタクスィ
ベトナム語だとセータクスィ
みたいな微妙な違いはあれどなんかそんな感じです。
不思議っすね。
あとはあやとりも世界共通だとか。
Happy Birthdayの歌も世界共通だとか。
意外とあるんですね。
もし覚えてたら海外行った時に床屋とタクシーは注目してみてください。
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