出会う人に100円を配り続けたらどうなるか?という発想を旅の目標にしてみる。8月22日の日記

旅2日目の朝。

ブログをこうして書いていると世界を旅していた頃を思い出す。

あのときは日課で毎日午前中に書くようにしていた。

やっぱりそういうふうにルーティーンにしていかないとサボっちゃうから明日からも毎朝書くことにする。

上野という魔界へ

やっぱりちゃんと決めてからスタートしようと思って、茨城に行く予定をやめてもう一日東京に滞在することにした。

ちょうど人と会う機会もあったので、そのまま上野へ。

東京時代から上野という街は特別であって、大好きな場所だ。

なんで好きかというと朝11時から立ち飲み屋がおっさんでいっぱいだし、そんな街他になかなかないでしょ。

高円寺が一番好きだけど上野も本当に良い。

ラーメン二郎はラーメンではなく二郎という食べ物であるという格言のように、上野は東京ではなく上野なのだと思う。

一度上野に入り込むと数日出れなくかることがある。

魔界である。

以前だったら上野へ行ったら当たり前のように昼飲みをしていたのだが、やはりコロナでお店はほとんどやっていなかった。

それでもやっている店も確かにあった。

酒類提供する店、休業する店、時短でご飯だけ出す店、対応は様々だけど、誰が正解で誰が間違っているなんてことは誰も言えない。

飲食店や観光業をボクもやってるからこそいろいろと思うことがある。

一つ一つの店のオーナーや従業員も心を痛めながら休んだり営業したりしているのだろう。

客として行かないことも一つの選択だし、行くことが応援になるとすればそれも良い選択なのではないかと僕は思う。

はやり山梨県で郷土料理の体験教室をやっていて東京とかからお客さんが来てくれると嬉しいしありがたいと思う。

スタッフの給料も場所代もそこから出すのだから。

だから僕は飲食店には行くし、コロナ禍以降も気にせず飲みには行っている。

そんな僕をどう思うかは人それぞれだと思うけど、僕は人や店にお金を使うということに意味があると思っている。

というわけで、以前よくお世話になっていた大統領という有名店へとりあえず行ってみた。

昼飲みをすると言っても、感覚的にカフェでコーヒーを飲んで話しているのと同じ。

旅の目的を考えてみた

この日会っていた人は会社の事務や経理などをリモートで担当してもらっているので、いろいろと会社の新規事業の話をしたりもしたのだが、話題は旅の目的について。

一体何をして、どこへ行ったらいいのだろう?

まず自分が興味があることしか基本的にはできないし、続かない。

髪を切る旅?いやいやもう美容師じゃないし…

写真撮る旅?うーん撮りたいものがないし…

食べ歩く旅?そんな都合よく色々食えないし…

人と会う旅?コロナで嫌がられそう…

いろいろと考えてみるもパッとしない。

ずっとこの繰り返し。

なのでいっそ旅という枠組みをやめてみることにした。

〇〇旅にこだわるからわけわからなくなるのであって、〇〇をこのブログを書くように日常的なものにしてしまえばいいのではないか?と。

つまり毎日できる小さなこと、やってみたいこと、意味があることは何だろうと考えてみた。

僕自身何に興味があるかというと、ザックリいうと【社会】である。

社会問題、歴史、文化

この3点が特に。

歴史が好きで旅を始めたし、社会問題に向き合いたくて仕事を始めたし、人間にとって一番大切で守るべきものは文化であると思っているし、それらならば底知れぬ探究心と好奇心がある。

まず【どこへ行く】という問題を解決するためにずっとやりたいと思っていた【神社巡り】をしようと思った。

1年くらい前に日本各地の鳥居を撮影するということをやっていたのだが、それこそ旅とセットじゃなく地元だけでやっていると被写体になる鳥居がなくなってしまうという問題にぶち当たり、やめてしまった。

その時のアカウントを再度やろうかなと思っている。

追加はこちら

理由はいろいろとあるけど、一番は【神道】や【日本における神様】という概念をもっと周知させたいというものがある。

宣教師ザビエルみたいなことではなくて、日本の歴史と文化の根底にある概念、そして日本人がもつ精神のアイデンティティを現代の人に知ってもらいたい。

戦後教育で日本では【神社とは何か?】【神とは何か?】という教育を全くしなくなった。

天皇がどういう存在か、日本の古代史はどうなのか、どうして世界で一番歴史がある国と言われているのか、これを知らない人がほとんどだから。

知ることで日本の素晴らしいところにも気がつけるし、守るべき文化がなんであるかということを気がつく人が増えると思う。

近所の小さな神社だって、数百年数千年の歴史を持っていたりする。

地方の人口減少にしてもそうだけど、そもそも神社というものがなんなのかわからない人ばかりになってしまえば必然的に廃れていってしまう。

それはマズイと思うので、せめて個人のしかもインスタ程度のものであるが贖ってみたいと思っている。

というわけで東北、北海道でおすすめの神社あったら教えて下さい。

ようやく旅の目的①が決まった。

しかしそれだけだと弱いのでもう少し考えてみることにした。

いつの間にか夕方になっていた。

100円を人にあげる活動

ふと「そんな事をしたらどうだろう?」と。

出会った人に100円をあげる…。

金銭的にはマイナスな行動なのだけど、それで人々がどういう行動に出るのかというのは興味深い。

一人の日本人として、日本の社会問題とは向き合っていくべきだとずっと思っていて、その中で僕はどうしても資本主義というものに疑問を持ってしまっている。

共産主義や社会主義がいいと思っているわけではないけど、資本主義というシステムにより人々には必然的な格差というものが生まれてしまう。

これまでは企業という存在が底上げをしていたから終身雇用とかそういうので人々の生活は保たれた部分が大きいと思う。

しかしこれからは良くも悪くも自分で生きていくという時代に入っていく。

そのなかで階級のようなものが生まれるだろうし、貧困の格差はより拡大する。

大多数はきっと今よりも苦しくなってしまうとそう予想している。

だからといってイチ中小企業の社長でしかない僕にはさほどたいしたことはできない。

家族でさえ何度話しても考え方を変えることなんてできなかった。

けどなんかしたい。

そういう想いがずっとある。

1つの解決策としてベーシックインカム制度を取り入れるべきなのではないか?と考えている。

ベーシックインカムとは平たく言うと毎月定額の給付金が国からもらえる制度であるというと。

最低限それでやりくりしてね、みたいな。

生活保護とは違い、基本的には全国民に対して配られるものであり、返さないといけないお金というわけでもない。

利益の再分配のようなことを国がやるというのがベーシックインカム。

実現するとしたら年金が廃止になり、社会保障制度もなくなるかもしれないなどそれはそれでいろいろと問題があるから実現するとしてもかなり先なのだと思う。

けど、それが1番現実的に良いような気がしてならない。

ヨーロッパなどで行っている国もあるけど、結局お金を人に配ったら生産性が落ちて今よりヤバいことになるかもしれない説を誰も否定できないでいる。

ZOZO創業者の前澤さんという方がSNSでお金配りということをやっているけど、配る額やその後のプランなどは当然全く違うのだけど思想としては近いものを感じていた。実は。

根底にはベーシックインカムの必要性を感じているというものが同じくあるのだろうし、それを個人の力でテストしてみようとしているのだと思う。

テストだけではなく別のビジネスへとくっつけるようなものももちろんあるのだろうけど。

僕には何ができるだろう?

正直お金持ちでもなんでもない僕には何百万とSNSで配るなんてことはとてもできない。

しかし何か自分なりにできることはあるはず。

そんな事を前から考えていたけど、ふと100円をくばってみようかという事を思いついて、とりあえずやってみることに決めた。

仮に1万人に配ったとしたらそれでも100万円。

デカイといえばデカイ額だし、小さいといえば小さい額。

毎日1000円のランチを食えば3年で100万円が消える。

そんなもんといえばそんなもんなのかもしれない。

100円という価値については大きくはないし、めっちゃ嬉しいかというと謎だと思うけど、買えるものは意外と多い。

多くの人にとって100円がそこまで大きくないという価値感だとして、さらに何もしてないのにもらえたものだったら、一体何に使うのだろう?

お茶を買う、人に何かを買う、募金するなどいろんな選択肢が考えられる。

けどそれを試した人がいないのだから、すべて妄想の域をではい。

ならばやってみるか。日本人初で。

友人だろうが子供だろうが居酒屋で隣り合ったオヤジだろうがとにかく出会った人に100円を渡していく。

街頭で知らん人にやってもおもしろいかもしれないけど、それはまた改めて考える。

その百円の使い道を聞いて、統計をとってみたいという思いもあるけど何よりもその人の記憶にも残る出来事になるだろう。

もしくは100円を渡すので、見合った時間を僕にくださいというのも面白いと思う。

100円で5分だけ話をする人もいるだろうし、1日付き合ってくれる人もいると思う。

考えれば考えるほど100円というものは可能性しかない気がしてきた。

それにお金とはなにかということをよく考えたりする僕にとっては、100円を払うということは逆にお金を得る行為なのだとも思う部分がある。

100円を払うことによってマイナスだと考えるのは端的なもので、お礼に150円のお茶をもらったら+50円ということになる。

「お茶をくれ」ということは絶対に言わないし、見返りを求めてやることは違うと思っているからこそ、何も言わないからこそ、その人たちの行動には【想い】がのっかるものだから温かいし面白いと思う。

そんなことをいろいろと考えていて、ふと上野に来たらしょっちゅう会ってる友達に声をかけてみた。

仕事終わりにきてくれることに。

美容師のしんたろーさんである。

かれこれ7年位の付き合いになるけど、相変わらず楽しそうに生きている人で羨ましい。

しんたろーさんのマブダチの【松本くん】という美容師がいるのだが、松本くんは僕にとっては一緒に住んでいたこともあり友達とも違うなんかそういう人なのだけど、一人の恩人であり飲み仲間である。

この日は来なかった。

いろいろと話している中で100円の話をして、帰り際に100円を渡した。

なんとも味気ない感じだったので、渡し方は考えたほうがいいなと思った。

しかしなんにせよ100円プレゼント活動は始まった。

使い道は何にしますか?と聞くと「松本くんになんかおごる」ということだった。

とりあえずこの旅の中で出会った人には100円を配ることにする。

どんな使い方をするのか、何人と出会えるのか、とても楽しみである。

僕は100円を配るために仕事をもっと頑張ればいいし、今後何十万何百万を人に使うことになろうとも、それで得られる経験や人との思い出にはとんでもない価値があると思うから。

楽しくなってきた。

■100円プレゼント

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