【旅と死】テルさんに会った人へのお願い。読んでください。

   

2015年4月、チリのサンティアゴでのこと。

ボリビアかどっかからやってきたある旅人と出会った。

名前はテルさん。
 
彼は当時37歳、クリスマスに京都を飛び出て、世界一周をするために東へ東へと進んでいるところだった。

 

僕が沈没していた宿にその旅人はやってきた。

それから1週間、そして2週間・・・

気づけば1ヶ月もの間、同じ部屋で寝泊まりをしていて、いつしか住人のようになっていた。

 
次の目的地も決まらず時間を潰していくという点では僕たちは共通していた。 

ただ、何をするわけでもなくYouTubeを見てダラダラと過ごすテルさんは、旅がしたくてはるばるチリまで来たのか、それともただYouTubeが見たくて来ただけなのかよくわからなかった。

アクティブに外に髪を切りに行ってた僕からしたらなおさら謎だった。

 
僕とテルさんともうひとつだけ共通してるところはお酒が好きだというところだった。

  
その宿にはいろんな旅人が来てそして去っていった。

そんなことの繰り返しの中、僕とテルさんはほぼ1ヶ月毎日のように一緒に飲んでた。

人が多い時も少ない時も。

2人きりなんてときもあったっけ。

 
いろんな旅人がテルさんといろんな話しただろう。

仲良くなったり仲悪くなったり、怒ったり笑ったりしたんだろう。
 

僕もまた同じようにいろんな話をした。
 

・・・1ヶ月という時間は長かった。
 
 

5月18日、僕はその宿から出ることを決めた。

いろんな日本人の旅人を見送り続けてきた僕を最後に見送ってくれたのは日本人ではテルさんだけだった。
 

「またどこかで乾杯しよう」
 

そう言い残し、アルゼンチンへと向かった。

 

 
7月初旬、衝撃的な事件を知ることになる。

テルさんが亡くなってしまったと。

 
嘘つけ!と思い、当時のことを知る人を必死で探し、コンタクトをとったところどうやら本当のようだった。

 
笑って別れた翌月、彼は遠くアフリカの地で静かにこの世を去った。

 
なんだか信じられず、でもなんだか自然と泣けてきた。

ガラパゴス諸島にいる時だった。

 

何ができるかな・・・そう考えて、僕はこんな記事を書いた。

せめて知らない人に、あの時僕らと一緒に過ごした人にテルさんの事を知らせてあげよう。

とても悩んだけど、公開した。
 

友達の死・・・「人生は一度きり!36歳の挑戦状」

 
 

8月、僕はメキシコのとある街で一人の男の子に偶然出会った。

 
少し話していると彼がこんな事を言った。

「あの記事読みました。それで僕も会ってみたいと思ってたんです」

彼はなんとテルさんがなくなる日まで1ヶ月もの間一緒に旅をし、そして生前最後に喋った人であり、翌朝の第一発見者でもあった。
 

警察や実家に連絡をしたり、その後の事もしてくれたそうだ。
 

当時の状況と一緒にテルさんの実家の住所を僕に教えてくれた。

 
あの記事を書いたことで僕の事を知ってくれて、そしてなんの偶然かバッタリと会うことができた・・・

鳥肌ものだった。

 
2015年末、僕は関西国際空港に降り立つ予定だった。

 
帰国したその足でテルさんの実家に行こうと思っていたからだ。

だが飛行機のチケットを予約する段階になり、思いとどまった。

こんな大荷物でいきなり連絡もなしに行くのは失礼だよな・・・

 
一旦東京に戻り、すぐ行こうと思ったが今度は仕事が始まり慌ただしすぎてとてもじゃないが京都まで行く余裕がなかった。

なんとなくモヤモヤしたまま1ヶ月半が過ぎた。

 
だけど昨日、僕はテルさんに会ってきた。

仏壇に、でかいリュックを背負って写ってる写真が飾ってあった。
 

ちなみにこれを書いている僕は今、奈良にいる。

所要でやってきたのだが、ここぞとばかりに京都にも行ってきたんだ。

 
事前にご家族宛にハガキを出し、電話とメールでやりとりをして、約束の時間にお宅へ向かった。

 
出迎えてくれたお母さんはテルさんにソックリだった。

 
お父さん、お母さん、お姉さんに手土産の山梨の信玄餅を渡し、座っていろいろお話をした。

 
僕が当時どんな事を話したか、そして聞いたか。

どんなことをしてたか。

 
やっぱり海外を半年以上旅した息子の情報は乏しいようで、僕の知っていることは何でも話した。

でも思い起こしてみても、チリのサンティアゴでのこと以外は僕だって知りようがなかった。

 
ご家族が持っているものはテルさんのわずかな旅の記録と、唯一ハワイから送ってきてくれた観葉植物と、ボロボロになったどこかの民族の笛、そしてあまり撮って無いカメラから出てきた少しの写真のデータのみだった。

 

僕は海外から無事に帰ってこれた身だ。

写真も思い出話もたくさんある。

家族にも友達にも見せて、そして話すこともできる。

 
当たり前のことだと思ってた。

 
ふざけた話も、楽しかった話も、失敗した話も、僕はまだできる。

 

でもテルさんはそれを家族にしてやることもできない。 

旅の話を聞きたくても聞くことができない家族がいる。
 

命がないということは、それもまた当たり前のことなのかもしれない。

でもそれが当たり前のことだと、僕は昨日初めて気がついた。

 
やっぱり残された家族にとっては話が聞けないことも写真を見れないことも、悲しいことなんだ。

旅人なら「もし自分だったら」と思うと虚しくなると思う。
 
 
 

実際にお線香をあげに東京や他の土地から京都に行くことは難しいだろう。

僕もそう思う。

でも僕は何となく自分の中でケジメをつけたくて、行ってきた。

別にいい人ぶってるとかそんな事じゃなくて、旅の途中で帰ってくる事になった旅人に、友達に何かをしたかっただけ。

 
それだけの気持ちだったが、行ってみるといろんな事を思った。

なんかできないかなって。
  

僕はお姉さんにこう言った。

「実は以前、ブログにテルさんの事を書いたことがあります。勝手にしていいものかと悩んだけど、連絡先もわからなかったのでそのまま書いてしまいました。すいません。でも、なんかしたくて、それでテルさんとどこかで出会っただろう旅人に知ってもらいたくて書いたんです」

 

あの時も同じ気持ちだった。

 
 
実はお姉さんはあの記事を読んでくれていたという。

そして読んで泣けたと。
 
 
知ってたのか・・・と少し驚いた。

 
そして写真の話になった。
 

なんの気無しに、テルさんが写ってるデータをお送りします・・・と僕は言った。

 

 
・・・彼の写真を集めよう。 
 
そうだ。

それなら僕にもできる。

京都に来れなくても、送ることはできる。
 

そのふとした思いつきを言ってみた。
 

「僕の友達でテルさんの写真を持ってる人がいるかもしれません。またブログにあげて呼びかけていいですか?」
 
  
お姉さんは、お願いしますと僕に言ってくれた。

 

 
ということで。
 

テルさんと出会った旅人にお願いです。

 

たった1日、もしかしたらたった数時間、いや5分話しただけの出会いだったかもしれない。

もちろんテルさんと一緒に写真なんて撮りもしてないかもしれない。

 
でも、もしも、たった1枚でもテルさんの写真を撮っているなら、僕にそれを送ってくれませんか?
 
 

 
チリで会った人なら僕から伝えることができますが、その他の地域でテルさんが誰に会ってるのかわかりません。

だからこうして記事に書いてます。

 
もし同時期(2014年12月〜2015年6月)に旅をしてて関連しそうな友達がいるかもって方はシェアやお知らせしてくれると嬉しいですが、無理は言いません。

この記事を読んでいる方のほとんどは、テルさんにはまったく会ったこともないと思いますし、誰それって感じだと思います。

だから、旅人とか、そういう人がまわりにいるならもしよかったらお願いします。

 
・・・実際こういうことをしたこともないし、何枚集まるかわからないです。

でも、最終的に集まった写真はまとめて僕からお姉さんにお送りします。

その後、僕のフォルダからデータは消去します。

あくまで家族に送るため、僕は経由するだけと思ってください。

 
僕への送り方ですが、フェイスブックのメッセージで送ってください。
 

もしない人はメールで送ってください。→ junkuwabara0614@yahoo.co.jp

 

 
フォルダチェックするのとかめんどくさいかもしれないです。
 
でも、ぜひご協力よろしくお願いします。
 

 
image

 
話しているときに、お母さんが気を使ってくれて、おちょこに日本酒を入れてくれた。
 

二人分。

一杯は僕に、一杯は仏壇に。
 

テルさんとの「また乾杯しよう」って約束はこれで果たせたような気がした・・・。

 

 

 
 

 

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