【路地裏の美学 誰も知らないその道で】

旅をなんと定義するかは人それぞれである。

有名観光地を巡る旅、自然を感じる旅。

僕が定義している旅とは基本的には人との出会いを求めるものということだ。

どの国へ行っても、どの街へ行っても、誰も僕のことを知らない。

異国の地で1人でいると本当に世界に僕しかいないような一人ぼっちな気分になる。

市場で野菜を売っているおばちゃんや、バイクにまたがり何処かへと向かう若者、日本人が生涯で鳴らすであろうクラクションの数をわずか15分で鳴らしてしまうバスの運転手。

その一人ひとりが何を考え、何を思って、何に楽しさを感じて生きているのかいまいちわからないのだ。

文化や歴史や宗教が違うということは、同じ人間のはずなのにそれを違う人間のようにしてしまう。

グローバリズム的考え方によると人類皆同じということになるのだが、世界各地様々な国を巡ってなお、そう思うのだ。

ただ、誰もが僕を放っといてくれることや、いちいち共感しなくていい世界というものはとても気楽で心地がいい。

心地がいいが、ふとしたときにやはり寂しさは感じてしまう。

そんな旅の中での人との出会いは、泳ぎながら息継ぎをするようなものだ。

旅をする自分の感情は意外と忙しく、寂しいのと同じくらい「楽しい」「悩ましい」「嬉しい」「悲しい」などがある。

全てに慣れてしまった日本ではあまりない感動というものがそこにあり、そんな中でのちょっとした落ち着ける場所が意外に”人”なのだ。

誰かと出会い、話す時間。

それそのものが楽しかったり嬉しかったりするのだが、人と言葉をかわすことで世界が広がっていくように思える。

感情と向き合うことや、感動することは自分自身の内部で起こることである。

それは自分との対話であり、僕はそれを言語化して可視化するためこうして文字にしているが、人との会話というものはごく自然と自分を外へと向けることなのだ。

そして人との出会いは物語をつくり、旅をより良いものへと変化させていく。

そこにロマンがある。

どうやって人と出会うかは様々であるが、僕はほんの少しでも偶然をそこに感じてみたい。

たまたま出会ったというシチュエーションが「ここに来なければ出会えなかった」という特別感を生むし、それがわざわざその町へ来た理由になりえるからだ。

例えばベトナムにきてみるとそこら辺に当たり前にベトナム人が溢れている。

しかしいざベトナム人とお友達になろうと思っても逆にいすぎて難しいのである。

高円寺駅前ロータリーでベトナム人が飲んでたらおもしろがって話しかけるくせにベトナムではそれができない。

ではどうすればいいのか。

話しかけてもらえばいい。

「どこから来たの?」
「何してるの?」

何でも良いが、つまりナンパをしてくれということなのだ。

昔モロッコの広場で髪の毛を切っていたときなど頼んでもないのに3秒ほどで20人くらいに囲まれたし、チリ北部のアントファガスタという日本人の旅人が誰も行かないような街ではみんなに声をかけられた。

そういうシチュエーションに自分を持っていけばいい。

その最たるものが僻地と路地裏。

観光客は観光地へと行くのが仕事だが、それを世界の誰もがわかっているからこそ生活の場に観光客が現れるとギョッとしてしまう。

東京へ来る観光客は渋谷、浅草、上野、六本木と観光をするが、町田市郊外や練馬国と埼玉国の国境地帯などには絶対に行かない。

そんなところに巨大なバックパックを背負ったThe旅人みたいな人がいたら「なにしてんの?なんで?」と疑問に思ってしまう。

日本にわざわざ旅行に来て津軽半島の先っぽの村みたいなとこに行ったり、鳥取と岡山の間のよくわからないエリアに行ったりはしない。

だからそういうところにいる旅人と出会うとなんだか気になってしまう。

つまりそれをやればいい。

僕はそうしてこれまで数々の地元の人と触れ合ってきた。

聞いたこともない田舎へ行ったりもした。

今回もなるべくそんなことをしてみようと思い、ベトナムの大都市ホーチミンから行き先不明のバスにのり終着まで行ってみて、そこからさらにフェリーに乗り変えてよくわからない街まで行ってみた。

特になにもない。

何もないのだけど、なんとなくそんなとろにある路地裏を歩き、生活を垣間見ることも楽しかったりする。

そこで仮に人と話すことがなかったとしても、ガイドブックにもグーグルにも乗っていないリアルを知ることができる。

名前もわからないような細長い貝を頼み、昼から道路を行き交う人とバイクを眺めながらビールを飲む。

なんの生産性もないが、そんなところのふとした気付きがいつか生産性がある何かを産んだりするのだから知るという行為は面白いものだと思う。

今日もバスタ新宿のようなバスターミナルへ行き、騒がしいホーチミンを脱出するためにチケットを探した。

行きたい場所があったわけではない。

どこでもいいが、うるさくないどこかへ行ってみたかった。

出発時間がすぐだったのと名前の響きでなんとなく「バクリュウ」というポケモンみたいな名前の町へ行ってみることにした。

地図で見る限りは僻地の小さな町のようである。

ググってみても情報が何も出てこない。

おそらく日本人でもいった人はほとんどいないばかりか、旅人さえわざわざ立ち寄るような街ではないと思うが、なんにせよ行ってみれば何かはわかる。

何もない街に何かが有る。

路地裏のロマン。

何もないが”在る”って素晴らしい。

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