【平穏な生活とはなんなのか】

日本を出て5日、まだ5日だがそれなりに思うことはある。

なんせ4年ぶりの世界である。

感覚を忘れてしまっているかと思ったけど意外にそんなことはなかった。

染み付いた勘のようなものはちゃんと働くが、以前よりもさらに自分自身が大雑把になったなと自覚する。

なんというか危機感がない。

おそらく金銭的な理由が大きく、昔世界を放浪していたときはお金の心配ばかりしていた。

常に風前の灯といった感じで、なるべく使わないようにどうしたらいいかということばかりを考えていたし、使ってしまうと罪悪感や後悔の念もあったりした。

そういう気持ち的に軽い部分は正直あり、それ故にあまり焦る気持ちのようなものがないことに気がついた。

心に余裕があるということかもしれないけど、熱量がない自分に少しがっかりするところもあったりした。

ただ、滞在してみてそれなりに驚きもある。

今のところまだベトナムに来てみただけだが、ベトナムに関してはここ数年で恐ろしいスピードで発展したのだということが身にしみてわかった。

9年前はガラケーのようなものをみんな使っていたが、誰もがスマホを持っている。

そんな当たり前そうなことに驚いたりする。

また物価もすごく上がっていると感じる。

想像してほしいのだが、今そこらで食べてるラーメンが4年後に2倍の価格になっていたらどうだろう。

そのくらい上がっている。

ベトナムは平均年齢29歳と若い人が多い。

労働者人口が多ければ生産性も上がり物価も上がっていくのは当然のことだろう。

高齢者もまだまだ元気に働いている。

かつての日本もこうだったはずだ。

僕自身の心境とは裏腹に、ホーチミンは活気に満ち溢れ、気温が下がる夜になってもその熱はおさまることはなかった。

そんな騒がしいホーチミンがなんとなく肌に合ないと感じ、ベトナム南部の僻地バクリュウという聞いたことない田舎にテキトーにバスに乗って来てみた。

下調べもなし、とにかく旅行者が誰もいないような田舎へいってみようと思ったのだ。

そんなことをする僕をおかしな奴だと思うかもしれないが、おかしな奴かもしれないと自分でも思った。

バスに乗り込んで「今から何しに行くのだろう」なんて考えながら。

バクリュウについて思ったのが、日本の田舎とは違うなということ。

日本のように過疎&一都市集中ではなく、地方の街にも人が分散していて、むしろ地方はこれからものすごい発展を遂げるのだろうとそんなふうに感じた。

日本の地方都市は駅前に店や人が集中しているが、ベトナムの都市は広く分散されるようにお店や人が溢れている。

ふと気になって調べてみたが、地図で見る限りめちゃくちゃに小さいバクリュウという街でも人口が15万人もいるそうだ。

ただ少し郊外へ行くと流石に何もなかった。

該当もないような暗い道を歩くのは少し怖かったけど、その脇には作り途中のスタジアムがあった。

僕はそんな瞬間を垣間見れたことを嬉しく思った。

ベトナムへやってきた、田舎へやってきたといっても、何をするわけでもない。

この旅での目的は正直特にないというか、未だに模索中である。

小説を書くと言いながらまだ一文字も書いていない。

ただ朝起きてブラブラと散歩をして、かつては100円ほどで食べられた米粉麺のフォーに200円ほど払い腹を満たす。

また昼もブラブラしてかつては7,000₫で飲めたビールに14,000₫支払う。

つまみに蛇を食べてみたりもする。

夜はまたブラブラして賑わっている店に入ってみたりする。

そのくらいしかやることがないし、やっていない。

ただ街を歩き、街を見渡し、人と話し、その国のご飯を食べ、考え事をする。

そんな時間は「何もしてない」とはやはり言えないような気がするのだ。

多くの人にとっては旅行は娯楽であり、休みの日にやることだ。

だけど今の僕にとってこれは日常であり、仕事と変わらない。

まるではたからみたら何もしていないニートのように思えるだろうし、暇を持て余してるなら仕事や生産の1つでもしろと言われかねない。

気持ちはわかるが、暇はあるが暇ではないのだ。

歩きながら考え事をする。

なぜ川が茶色いのか気にする。

Comは米のことか、Gaは鶏のことか、Bia Chaiはビールのボトルのことか、などと気にして覚えてみる。

あの魚はなんだろうとか、あの野菜はなんだろうとか。

そして英語が通じない街でグーグル翻訳を使う自分に少し悲しくなったりもする。

言葉が通じなければ身振り手振りで何とかするなんて時代ではもうなくなってしまった。

コミュニケーションを取ることに躍起になるのではなく、スマホに一生懸命文字を打つことに躍起になるのだ。

スマホに電波さえ届けば文字を打つだけでもう世界のどこでも人に言葉を伝えることはできてしまう。

地図が見れれば道も聞かない。

そんな寂しさも感じた。

テクノロジーの進歩と発展。

僕は1人の人間としてそれを喜ぶべきなのか少しわからなくなってしまった。

効率や生産を求めた日本が行き着いたのは便利な環境と希薄な関係性ではないだろうか。

日本を出てみるとよくわかる。

今日本はどういう国になってしまっているのか、どういう生き方をみんなしているのか。

よく旅人が「海外サイコー!日本はクソ!」みたいな表面的な情報を元に母国をこき下ろしたりするが、僕は日本人として誇りを持っているし日本が好きなので日本がより良くなればいいなと常に考えている。

けどコロナを経て、日本と比較し世界はどう変わっただろう?という疑問にすでに1カ国目で答えが出てしまったような気がする。

どうでもいいマスク論争にしかりだが、イチ経営者として日本の経済の中に数年立ってみた感想も踏まえて言うと日本はあまり進んだ感覚がないと思ってしまった。

その根底には「平穏な生活を送ろう」という気概のようなものがなくなったのかもしれないと思った。

コロナによりおさえつけられ、マスクを強要され、例えばそれはいいと思う。

けどその先である。

それが平穏な生活ではないと思うのであれば、やはり自ら道を切り開いて行かないといけない。

賃金が、生活が、と言うのであれば、足を動かしたり手を動かしたり、頭を使ってみたり、何かしらのアクションを起こしてみると環境は変えられる。

結局のところ誰がどう生きるかを定義することなんてできない。

僕は思った。

世界へ飛び出てみて、知らない田舎町を散歩して、読めない時を読もうとして、いろいろ考えて、いろいろ食べて、失敗をして、それを言葉にする。

それが僕にとっての平穏な生活なのだと思ったのだ。

子育てが1番という人もいる、お金が1番という人もいる、趣味が1番という人もいる。

音楽を作りたい人は音楽を作るしかない、絵を描きたい人は絵を描くしかない。

それだけが、あなたにとっての【平穏な生活】なのだ。

大切なことはそれがなにかではない、そこに行き着くことができるかということ。

自分に熱量がないと思ってしまったが、情報も出てこない田舎町へ行って一人でぶらぶらしながらどうとでも生きれるエネルギーはある。

かつて孫悟空が「超サイヤ人に慣れさせよう」といって息子の孫悟飯と超サイヤ人で生活をするというトレーニングを行っていたが、そんなようなものかもしれない。

ある人からすれば異常な行動が、旅人からしても理解不能な行動が、僕の中での普通で平穏な生活になってしまっているというだけで。

逆に他の生き方がもう難しいと感じてしまっている。

有り余るような気がする時間の中で柔軟に物事を決め、柔軟に生きてるような気がするが、実はある意味で柔軟性はまったくないのだろう。

スーツを着たり、ネクタイを締めたり、アラームをかけたり、電気代を支払ったり、車を買ったり、そういうことではない。

どうもそんな自分に改めて気がついてしまった。

そんな僕の目線でのメッセージはここだったり至る所に足跡として残していきたいと思っている。

それだけがある意味生きがいなのかもしれない。

周りからは理解されない平穏な生活、そんな生活を追い求めて沈んでみるのもまた一興かもしれない。

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