昨日は久しぶりに人と会った。
本当に久しぶりに。
と言いつつ先日も友達数人にはあったのだけど、サシ飲み的なのはもう2ヶ月ぶりくらいだったかもしれない。
昔タイのパーイやマレーシアのマラッカで出会った方で、先日急に僕にメッセージをくれた。
「意思がハッキリして物怖じしない可愛いねこちゃんですね。」
急に何を言ってるんだろう?という思いよりも、メッセージしてくれたことに意味があると感じた。
いわゆるスピリチュアルな方で、そして僕はそういったことを全くわからないし見えないながらも信じていて信じようとしているので「ああ、そういうタイミングなんだ」と素直に思った。
トントンと話が進み、高円寺で会うことになった。
昼から立ち飲み屋へ行き、二軒目は行きつけの中華料理へ。
愛想の悪いオバちゃんが無言で出してくれる炒め物が美味しい。
「なにがあったの?」
一言そう言われた。
その次に「猫があなたのことすごく心配してるよ。なんとかしてあげたいって困ってるよ。」と言われた。
その瞬間ちょっと泣きそうになったけどこらえて、もう遡って数年前のことから最近のことをすべて話した。
僕は今深い沼のようなところにいるらしい。
網のようなもので絡まってどうしょうもなくなってると。
自分でもその実感があって、どうにかしたいと思っているところだったけど正直どうしたらいいかわかるようでわかってなかった。
やっぱりそういうのが見える人からすると、今の僕は真っ黒らしい。
暗闇で光る電球になり得る人だからこそ、虫とかが集まってきてしまう。
もうそういう人生だからって言われて、それには納得できた。
子供の時から良くも悪くも人が集まってきてしまうことが、嬉しかったり厳しかったりした。
人の闇を背負っていると思ったときも何度もあったけど、今まさにそういう状態みたい。
「あなたの進む道はそっちじゃないよ。」
「早く抜け出して進むべき道を進んで」
自分でもわかってたのに進めなかった自分にずっとイライラしていた。
何よりも文字がどうしても書けなかった。
だけど客観的にアドバイスをもらって、なんか心が軽くなったという幼稚な表現をしてしまうが少しふわっとしたような気がして。
そして最後ちょっとだけ泣けてしまった。
僕は猫を愛してる。
それと同じように猫も僕を愛してくれているという。
動物だからとかペットだからとか思ったことがなくて、家族でも恋人でもどういう言い方が適当かはわからないけどとにかく大切な存在であって。
見える人が猫と僕の写真を見たときに、猫がとても僕のことを愛し心配しているように見えたという。
それがなんだかとても嬉しかった。
その時にそうか、とおもった。
最近嬉しいってことがまったくなかった。
負の感情ばかりだったけど、1番身近に1番そう感じさせてくれる存在がいたんだと気がついて、とりあえず帰ったらちゅ~るをあげようと思う。
スピリチュアルだとか霊的なものだとか、僕は本当に見えなくて聞こえもしなくて、オーラもエネルギーも見れなければなんもわからない。
だけどわかる。
そういう世界観というより、世界そのものがそこにあると感じるようになったのはわりと子供の時からだったように思う。
ただそれを言語化できなかったし理解ができなかった。
いろんな経験をして、その上でわかってきたことが少しあって。
そういうのをすごく信じるようになったし、本当にそういう世界が主になってきている。
数年前から物質主義的な世界から精神世界へ行くと度々書いているけど、度々書くほど僕もそう感じているし、たぶん間違いではないと思う。
目の前のお金、もの、快楽、そういったものを得るために人を裏切ったり傷つけたり騙したりする行為はこれまではただのマイナスだったけど、もう別の世界のお話になるのだろうと感じた。
僕がそれをやることはないにしても、やられてしまうという世界に立っているという状況を変えなければならないのだと思う。
もう正直ウンザリしてたから未練はない。
お金やモノで喜びを得る。
そういうことがやっぱり合わない。
ただ純粋に好きだとか心配してるよだとか、そういう想いで十分だし、わざわざ会って話をしてくれる時間で十分だし、なら僕もそういうことをしたいんだとやっぱり思って。
嘘つかれてしんどいみたいなのももうめんどくさいし、プレゼントをあげて人を喜ばせるなんてことももうしたくない。
だからやっぱり高菜先生にはちゅ~るあげない。
その代わり帰ったら怒られるまで抱きしめてみようと思う。
とても良い一日でした。
感謝。
ありがとうございました。