ご無沙汰もご無沙汰です。
海外を放浪し、日本に帰国し、それからもう2週間。
9年書き続けた文字を書かなくなって2ヶ月が経ちました。
目まぐるしい日々が続いていたというよりは、闇のなかを彷徨っていたようなそんな時間だったように思います。
そういった表現を「病んでる」とかそういう言葉で形容するのってとても浅はかなことだと最近は思っていて、人間はもっと複雑で色々です。
人は一人で生きていけないからこそ、人と生活もするし、遊ぶし、話すし、喧嘩もするし、仕事もする。
それ故に人の意志や想いにあてられて自分がなにかよくわからなくなってしまうこともあるのです。
親から「あんたはバカだから勉強しなさい」と言われれば「あぁ、バカなのか」と漠然と思うのだろうし、結構自分自身なんてそうやって引っ張られてギリギリ生きているようなものだと思います。
その根底にあるのは自分ひとりで立てないということなのではなく、愛情だったり優しさだったり悲しさだったり、人が持つ感情がそこにあるから人は頑張ってしまうのです。
約半年にわたり会社と個人で抱えてた問題がありました。
ようやくケリがつき、会社としてはまあまあな額の損失をだし、個人としては大切な人生の時間をたくさん失いました。
それを頭でわかっていても、気持ちで切り離すことができず、痛くてもなんでも向き合い続けることが正しいことだと思い込んでいました。
嘘が本当になるまで嘘をつき続ける人の言葉を信じ、その嘘を本当だと思い込み、それゆえに自分の決断を誤り続けました。
個人として誠実に向き合おうと過ごしてきた時間や、社長として悩んで考えてきた時間を仕事を休んだり人に頭を下げてまで作って、起こった問題を平和的に解決できないだろうかとそんなことばかり考えていました。
散々傷つけられてもなお、その人は大変な事情があったのだと信じ込み、手を差し伸べることばかりを考えていました。
甘かった。
最終的になんというか無慈悲にぶん殴られて終った。
恩を仇で返すの究極系を体験し言葉もないというか、もはやネタかなと思えるあたりはポジティブ思考の自分の為せる技かもしれないですが、正直殴られて痛かったな。
結果論でしかないですが関わらなければよかった。
詳細に関しては書くつもりはありません。
プライベートな問題でもあるし、本件に関わった多くの人が全員少なからず不利益を被っているのでこれ以上掘り返したり巻き込みたくもありません。
ただ「騙される」という経験をし、気がついたことがあります。
自分は基本的には最初から100%信じていて、何かあるごとに信用が減っていく減点方式の価値観で人と接しているようで、おそらく一般的には逆の加点方式なのだと思います。
まず他人を信じない。
当たり前といえば当たり前なのですが、おそらくこの10年の生活が僕を真逆に変えたのではないかと今改めて思うのです。
世界を旅して髪を切るってことをしていた期間もそうですし、その後会いに来てくれたとんでもない数の人もそうでしたが「はじめまして!」と名乗るその人物を疑ってかかるなんてことをしていたら頭がおかしくなっていたと思います。
疑って生きるなんて、正直楽しくはないし疲れます。
1日に何十人と日本各地や世界各地から人が会いに来てくれてるなかで「信じる」ということは自分がうまく生きるための術だったように思います。
それも今となってようやくそう思える程度で、そのときはあまり深くは考えてませんでした。
そのほうがただ生きやすかったと感じていただけ。
いわゆる来る者拒まずというやつでした。
しかしそうやってホイホイ誰でも受け入れていてそのうち本性を表すというと言い方悪いですが、要は自分とは合わないなと感じる瞬間っていうものが出てきて。
普通はそうなったら距離を取って終わりですが、関係が深くなっていたり、仕事を一緒にしてしまっていたりとかすると離れづらくなりついには揉めるんです。
それでも最後の最後まで信じぬいてしまい痛い目を見る。
そんなことがこれまで何度もありました。
こういうことを言うのは嫌味ったらしいのですが、僕にとって仕事というものはあまり重要ではありません。
お金もまたそうです。
今100万円を急にもらっても何に使いたいとかもないし、飛び跳ねるほど嬉しいとかもない。
なぜなら作ろうと思えば今にでも作ることができるからです。
思いついたサービスを形にする、店を作ってあれこれやってみる。
そんなことを繰り返して来た中で、今はもうお金のための仕事やお金そのものの重要度があまりにも下がってしまった。
親の形見の傘は大切にしても100均の傘は大切に思えないのと近い感覚だと思います。
僕にとって仕事はクリエイティブで楽しいもの。
紙粘土で想像上の怪獣を作ることと何ら変わらない。
それがお金をもたらすかどうかは重要ではなく、ただ資本主義社会の中で表現するとしたら評価=売上や利益なのでそうしているだけです。
ある程度作ってしまったものにはそれ以上の興味がわかず、ただその一つ一つのブランドを居場所として働いてくれる従業員、守ってくれる従業員、支えてくれるお客様がいるからそこには大きな意味はあると感じています。
僕はおそらく産みの苦しみが楽しみなのだと思う人間なのでしょうが、その部分が異質なのだと思いますし特技なのだと思います。
僕はほとんど何もできない、公共料金だって自分で支払えない、すぐモノもなくすようなちゃんとした人間ではないですがその「なんか生み出す」みたいな部分だけは特化していると思っています。
そこを凄いと言ってくれることは嬉しいのですが、そこだけをピックアップして【すごい人だ】というのは全然違います。
けど表面的にそう見えればそこに頼ってくる人も当然いるわけで、そして僕はそういった人を100%信じるところから始めてしまう。
「仕事を教えて」とか「一緒に仕事したい」とか言ってくる人がこれまでもたくさんいて、ほとんどがやってく中で失敗していきました。
結局仕事とは「楽しいもの」でないのだから。
やりたくないこと、つまらないこと、めんどくさいことも当然出てきます。
それを都度乗り越えていくことが継続。
楽しいのは最初に想像して作り始めるその時と、ある程度満足できたその瞬間と、お客様や従業員が喜んでくれたと感じられるその瞬間くらいのものです。
むしろ大体がめんどくさい。
嫌なことを続けられなければ成功はないし、けど僕なら何でもホイホイ成功しているんだと信じて疑わない人々は上手くできない僕を見て失望するのです。
そうして失望されるのは構わないけど仕事は走り始めてしまっているからこそ、後片付けを僕自身がしたり損失を出したりなんてこともたくさんありました。
今回もまあ言うなればそれです。
頼ってきてくれた人をまず信じた。
けどその全ては嘘で、気がついたときには取り返しがつかないくらいのところまで行ってしまっていた。
それでもなお信じ続けようとした自分が最後はバカを見て、多くの人に迷惑をかけてしまった。
不倫とかした芸能人がよく言いますが「不徳の致すところ」というやつだと思います。
なんにしても自分が悪い。
社長である自分が悪い。
誰かのせいにして、誰かに罪をなすりつけ、嘘をついてその人を陥れることで自分が助かれるとしても、それをやったら人として終わりなので、僕は僕のやったことに対し責任を取るし反省もします。
なんぼ痛い目を見たと言っても、身から出た錆。
これから失った多くのものを取り戻すことはできないけど、やはり作ることはできる。
従業員や家族に対してもそうだし、友達や仕事関係の人にももっともっと誠実にならなけらばならないとそう思える出来事でした。
内容と結果は最悪ですが、その体験を通してこそ言える言葉や考えられることができたので、それは自身の成長だと思いますし良かったとこだと思うようにします。
そもそもずっと疑問に思っていたことがありました。
もうずっと、ずっと昔からシコリのようにあった疑問。
【なぜ人はそうまでして生きるのか】
最近も猟銃で立てこもった事件だとか銀座の強盗事件とかそういったこともありますが、普通に生きててもしんどいしんどいいう人があまりにも多いような気がします。
言わないまでも、資本主義社会の中でもがいているような人はやっぱり増えたんじゃないかと思うんです。
例えば仕事をすることが生活のためだとか生活のためのお金のためだとか、もちろん理解はしてます。
そのために命を燃やすような生き方をすることが普通のようになってしまっている。
勢いよく燃やすためにはエネルギーが必要だし、そのエネルギーが枯渇しているようなそんな印象をうけるのです。
エネルギーを得るためにお金が必要で、そのお金を得るために仕事をし、仕事を続けるためにエネルギーを欲する。
そういうサイクルで生きることがあまりにも僕はつらく、自分でどうにかすることを考えましたがそれはそれでやはり大変でした。
サラリーマンと経営者だって形は違えどやっていることは同じです。
経営者もお金を得て、お金を使い、仕事を作り、お金を得るという過程で人を雇うことや問題と向き合うことなどに命を燃やして生きています。
それが理解できるかできないかは経営者かどうかで違うにしろ、根本的には同じなのです。
資本主義社会を成立させるための一部として一生懸命やるしかない。
どうにもそこにずっと疑問があって、最終的に人に裏切られたタイミングでプッツンしてしまったのが昨年の末。
仕事を休ませてもらい、家やら車やら処分し、愛する猫を実家に預けて海外に逃げるように行ってみても結局そこには何もありませんでした。
もちろん出会いや発見はあったし、楽しさも辛さもありました。
けどそれはわかっていたこと。
旅をすれば、もっと言えば生きていればそういったことは当然起こる。
東南アジアを放浪したからと言って特別な何かが起こるわけではありませんでした。
「旅をすればなんとかなる」と思っていた自分もいたけど、それでなんとかなったのは20代までだったのだと気が付きました。
旅をしようがどこにいようが、不労所得で働かずにダラダラ生きているという時間もまたつまらないものでした。
やりがいがなく、ただ起きて食って寝る。
每日が小学生の夏休み。
楽だったけど楽しくはなかった。
僕は社長であり、従業員やお客様がいる以上やることはやらなければならないということをやはり思うようになり、日本に帰国して今は仕事をしています。
そうして気がついたことが資本主義社会の中で仕事をすることが嫌だったのではなく、むしろそれは社会と接続するために必要なことであったということと、人のコミュニティの中での一定の役割というかポジションのために必要であったということでした。
決してお金や生活のためではなく。
お金や生活のためとなると必死になるけど、ただの接点や立ち位置でしかないと思えば命を燃やしてやるほどのことでもなく、嫌悪感もまたそこにはなく、見方が変わりました。
むしろ重要なのはその生活の部分だと気が付きました。
車、家、服、食、あらゆるものにお金がかかりすぎる生活のほうが問題で、本来かける必要がないところにもかけてその分収入で補填しなければならないので仕事という部分にシワ寄せが来てしまう。
見直すべきところは仕事や働き方ではなく、生活なのです。
日本人が日本人として生きてきた中で、今のような生活をしてきてないということは歴史を学べばわかります。
経済成長を優先し、たしかに成長してきたのだけどその行き着いた先が今の日本です。
もっと働かなければ幸せになれない、もっと裕福にならなければ幸せになれないと信じる人がたくさんいて、仕事に対しては不満が大きくても我慢して続けている人もたくさんいます。
それこそ命を燃やして生きているような。
穏やかな豊かさの中で生きるということを東南アジアでしばらくしていました。
多くを望まず、有るものを有るだけ頂く。
在るもので満足しようとする。
無いのものは無いと割り切る。
そういった価値観の変化に人間は対応できるはずです。
本来そういった生き物なのだから。
今が異常だという前提に経てば、あらゆる信じていたものが嘘に見えてきます。
テレビから流れる情報、紙幣の価値、常識やルール。
日本に帰国して一番驚いたのがマスクをつけている人の多さでした。
なんでも周りと同じで流されて生きていけば不必要な出費もストレスも増えていきます。
本当に信じるべきものは表面的な情報やすぐ変わるルールではなく、本質的な部分なのではないだろうかと今は思うのです。
本質的な部分とは、日本人が遺伝子として持っている感情的な部分です。
ご飯を食べるときに頂きますという心。
鳥居に立ちションしない感覚。
なぜそうするのか、しないのかはうまく説明できないけど当たり前にしなければならないと思うその精神という部分。
そこに日本人が日本人として生きるべき道のようなものが残っていると僕は思います。
日本を旅し、世界を旅し、様々な歴史を学び、様々な宗教を学び、自身もいろんな経験をして、10年で1万人と会い、そう思います。
信じられる確かなものは日本人というアイデンティティだと思います。
政治的思想の話ではありません。
人としてどう生きるべきか今問われてる時代において、僕はその答えは【古き良き日本】だと思っているということです。
お米、自然、神社、伝統、文化。
今経済やエネルギーのために蔑ろにされてしまっているそれらが、本当は一番大切だと思います。
生活にそれらを取り入れ、仕事にもそれらを取り入れ、生きてみる。
しばらく僕はそういうことをやっていこうと考えています。
日本のどこかはまだわかりませんが、今のところ関西〜九州のいずこかのなるべく田舎に猫と一緒に住むつもりです。
そしてこれからはそういったリアルを発信していきたいと思っています。
やはり文字、そして言葉。
飾らない世界で本質的な世界で生きるということがどういうことか、それをまずは体験し、これまでのような仕事のやり方や人との関係性も見直し、本物っぽく質素に生きていきたいと思います。
結構まじで今は転機だと思っている理由として35歳になるみたいな部分もあります。
かつて25歳だという理由で世界に出ましたが、何となくそれと同じような節目を感じています。
仕事、人との関係、いざこざやめんどくさい事も切れた部分は切れたし、色々思うところありお酒もやめました。
何度もやめようとしてきてやめれなかったけど、もう流石に150年分くらいは飲んだと思うのでやめることにしました。
今回、人に騙されて結果的に自社の美容室を手放すことになってしまいました。
残念ではあるけど、これによって美容師プレイヤーとしてやってきた10年、美容室オーナーとしてやってきた7年に終止符を打ち、美容師人生にも幕を引きたいと思っています。
およそ15年間続けてこれた美容師ですが、美容師をやっていたからこそ知れた世界と出会えた人がいます。
良いことも悪いこともたくさんあった。
けど総じて良かったと思います。
そして旅人美容師と名乗り旅をはじめて10年。
その旅の終わりを探していましたが、ここでようやく終わることができます。
次は桑原淳という一人の人間として、そして超超エリート株式会社、株式会社旅猫の代表取締役としてやれることをやって生きていきたいと思います。
まあなんというか、あっ晴れ。
そんな言葉を自分に送り、また今日も慎ましく生きていこうと思います。
有難う。